今日からしばらく、とあるホテルに滞在する。と言っても、旅行や休暇ではない。住み込みで働く、いわゆるリゾートバイトというやつだ。向こうに着くのは14時過ぎなので、仕事は明日からだ。
左足には、1ヶ月ほど前に発作を起こした痛風の痛みが残っており、正直立っているだけでも辛い。回復の兆しは見えているものの、まだ足は腫れており、強めの痛み止めを服用しながら、なんとか歩いている。
こんな状態で仕事を始めて大丈夫かと不安になるが、コロナ禍において、需要の少ないホテルで住み込みで働けるチャンスを逃したくはなかった。
もっとも仕事は1ヶ月契約で、その期間中にどのぐらい働けるのかや、延長できるのかは客入り次第という条件付きだ。
仕事を辞め、実家に帰って早半年。自分はともかく年金暮らしの両親にコロナを移してはまずいと外出を控えてきた。
今回働くにあたって、住み込みのアルバイトを選んだのも、それを懸念してのことだった。
流行り始めの頃は、じきに収まるであろうと楽観視していたコロナも、まったく姿を消す気配がない。
失業保険でなんとか年金や税金の支払いをし、家にも月4万ずつ家賃を入れてきたが、受給期間の3ヶ月が終わり、わずかな貯金を残すのみとなった。
朝6時過ぎ、アラームの鳴る1分前に母に起こされた。居間に置いてあった小銭入れを手に取ると、どっしりと重い。中を見ると大量の500円玉が詰め込まれていた。いたずらっ子のように笑う母の心遣いに感謝した。
朝食を取り、7時頃に父に駅まで送ってもらった。今日の荷物は、バックパッカーを気取る私にしては珍しく、中ぐらいのキャリーケースとアライグマの黒いトートバッグ。そして、カメラバッグだ。
昨日の夜になって、この足で重い荷物を背負って歩くのは大変だと考え、荷物をバックパック からキャリーケースに入れ替えたのだ。
車が発進してすぐに、リュックにつけていた腕時計を忘れてきてしまったことに気が付いたが、引き返してもらうのも気が引けたので黙っておくことにした。
駅で車を降りる際に父に呼び止められ、餞別と書かれた白い封筒が差し出された。最初は断ったものの、父も頑として譲らないので、ありがたく受け取る。
後で確認してみると、中にはなんと10枚もの1万円札が入っており、さすがにこれには驚いた。
今年で29歳。大学卒業後に勤めた2つ目の会社を退職し、予定していた留学をコロナに阻まれ、現在無職。
そんな息子に対して、父はどんな思いで10万もの餞別を用意したのだろう。
両親に対する感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになった。
目的地までは電車で約5時間と、なかなか遠い。乗り換えも6回ある。
まだ地元だと油断していたのか、最初の乗り換えで、さっそく間違えた。
乗る電車を間違えるなんて、私にしては珍しいことだった。かなりのタイムロスだ。
次の駅で慌てて降り、逆方向の電車に乗り込んで戻る。正しい乗り換えのホームに辿り着いた頃には1時間近くが経過していた。かなり早めに家を出ていて正解だった。
しかし、次に乗り換えを間違えたら、もう間に合わないかもしれない。そう思い、電車の中で何度も時間を確認した。
携帯のバッテリーの減りが早く、少し不安だ。
途中の駅の構内で、鱒寿司のおにぎりと紫芋ホワイトチョコのベーグルを購入。
まだ10時前だが、小腹が空いたのでおにぎりは駅で食べてしまった。
ここから次の乗り換えまで、約2時間30分同じ電車に乗ることになる。乗客は少なく、上手い具合に一番後ろの角の席に座れた。ここでようやく少しホッとする。
あまり混むこともなさそうで、降りる駅まで時間もある。少しでも足の負担を減らすべく、靴を脱いでくつろいだ。
どうせ時間があるなら勉強しようと持ってきていた通関士のテキストを読んだり、景色を眺めたりして過ごした。
山の中の景色が続き、仕事というより旅行をしに来たような気分が味わえ、少し嬉しくなった。
乗り換えの関係で、次の電車が来るまで1時間以上時間が空いていた。電車を待っている間に、日本語学校時代の同僚から久々にLINEがあった。
一緒に飲みに行く夢を見たという、なんてことのない内容だったが、とにかく連絡をもらえたことが非常に嬉しかった。自分を覚えていてくれる人がいる。これだけで幸せなことだと感じた。
ホテルの最寄駅に着くと、支配人が車で迎えに来てくれていた。中を案内されながら、明日から一緒に働くメンバーに簡単に挨拶をする。
ホテルの人は皆、とても親切で、分からないことだらけの私に色々と教えてくれた。
「緊張しなくていい」と笑顔で言ってくれる。先輩の一人は、自分のを持って来ているからと、自分の部屋にあったケトルを私の部屋まで持って来てくれた。私の部屋にはなかったので、とても助かった。
「人に恵まれる」どんな仕事をする場合でも、一番大切なことだと思う。小さな心遣いが、こんなにも嬉しい。自分ももっと人に優しくなろうと思った。
左足には、1ヶ月ほど前に発作を起こした痛風の痛みが残っており、正直立っているだけでも辛い。回復の兆しは見えているものの、まだ足は腫れており、強めの痛み止めを服用しながら、なんとか歩いている。
こんな状態で仕事を始めて大丈夫かと不安になるが、コロナ禍において、需要の少ないホテルで住み込みで働けるチャンスを逃したくはなかった。
もっとも仕事は1ヶ月契約で、その期間中にどのぐらい働けるのかや、延長できるのかは客入り次第という条件付きだ。
仕事を辞め、実家に帰って早半年。自分はともかく年金暮らしの両親にコロナを移してはまずいと外出を控えてきた。
今回働くにあたって、住み込みのアルバイトを選んだのも、それを懸念してのことだった。
流行り始めの頃は、じきに収まるであろうと楽観視していたコロナも、まったく姿を消す気配がない。
失業保険でなんとか年金や税金の支払いをし、家にも月4万ずつ家賃を入れてきたが、受給期間の3ヶ月が終わり、わずかな貯金を残すのみとなった。
朝6時過ぎ、アラームの鳴る1分前に母に起こされた。居間に置いてあった小銭入れを手に取ると、どっしりと重い。中を見ると大量の500円玉が詰め込まれていた。いたずらっ子のように笑う母の心遣いに感謝した。
朝食を取り、7時頃に父に駅まで送ってもらった。今日の荷物は、バックパッカーを気取る私にしては珍しく、中ぐらいのキャリーケースとアライグマの黒いトートバッグ。そして、カメラバッグだ。
昨日の夜になって、この足で重い荷物を背負って歩くのは大変だと考え、荷物をバックパック からキャリーケースに入れ替えたのだ。
車が発進してすぐに、リュックにつけていた腕時計を忘れてきてしまったことに気が付いたが、引き返してもらうのも気が引けたので黙っておくことにした。
駅で車を降りる際に父に呼び止められ、餞別と書かれた白い封筒が差し出された。最初は断ったものの、父も頑として譲らないので、ありがたく受け取る。
後で確認してみると、中にはなんと10枚もの1万円札が入っており、さすがにこれには驚いた。
今年で29歳。大学卒業後に勤めた2つ目の会社を退職し、予定していた留学をコロナに阻まれ、現在無職。
そんな息子に対して、父はどんな思いで10万もの餞別を用意したのだろう。
両親に対する感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになった。
目的地までは電車で約5時間と、なかなか遠い。乗り換えも6回ある。
まだ地元だと油断していたのか、最初の乗り換えで、さっそく間違えた。
乗る電車を間違えるなんて、私にしては珍しいことだった。かなりのタイムロスだ。
次の駅で慌てて降り、逆方向の電車に乗り込んで戻る。正しい乗り換えのホームに辿り着いた頃には1時間近くが経過していた。かなり早めに家を出ていて正解だった。
しかし、次に乗り換えを間違えたら、もう間に合わないかもしれない。そう思い、電車の中で何度も時間を確認した。
携帯のバッテリーの減りが早く、少し不安だ。
途中の駅の構内で、鱒寿司のおにぎりと紫芋ホワイトチョコのベーグルを購入。
まだ10時前だが、小腹が空いたのでおにぎりは駅で食べてしまった。
ここから次の乗り換えまで、約2時間30分同じ電車に乗ることになる。乗客は少なく、上手い具合に一番後ろの角の席に座れた。ここでようやく少しホッとする。
あまり混むこともなさそうで、降りる駅まで時間もある。少しでも足の負担を減らすべく、靴を脱いでくつろいだ。
どうせ時間があるなら勉強しようと持ってきていた通関士のテキストを読んだり、景色を眺めたりして過ごした。
山の中の景色が続き、仕事というより旅行をしに来たような気分が味わえ、少し嬉しくなった。
乗り換えの関係で、次の電車が来るまで1時間以上時間が空いていた。電車を待っている間に、日本語学校時代の同僚から久々にLINEがあった。
一緒に飲みに行く夢を見たという、なんてことのない内容だったが、とにかく連絡をもらえたことが非常に嬉しかった。自分を覚えていてくれる人がいる。これだけで幸せなことだと感じた。
ホテルの最寄駅に着くと、支配人が車で迎えに来てくれていた。中を案内されながら、明日から一緒に働くメンバーに簡単に挨拶をする。
ホテルの人は皆、とても親切で、分からないことだらけの私に色々と教えてくれた。
「緊張しなくていい」と笑顔で言ってくれる。先輩の一人は、自分のを持って来ているからと、自分の部屋にあったケトルを私の部屋まで持って来てくれた。私の部屋にはなかったので、とても助かった。
「人に恵まれる」どんな仕事をする場合でも、一番大切なことだと思う。小さな心遣いが、こんなにも嬉しい。自分ももっと人に優しくなろうと思った。