「断捨離」
「ときめきの片付け術」




どちらも、私には合わない。他にもこれらが合わない人はいると思う。
ブームだからといって乗っかるのは危険だなというブログ。




何故かというと、自分を構成しているものを捨ててしまう可能性が大いにある。



例えば子どもの頃に貰った賞状。作品。検定証。
大好きだった漫画。写真。好きな教科のレジュメ・プリント。部活の道具。思い入れのあるイベントのチケット。オワコンと言われる作品のグッズ。
付き合っていた人の写真。などなど。


こう書くと「未練がましい」「判断能力がない」「もしかして片付けられない人?」と言われそうだが、こういった感情的な理由ではないのです。


就活や、仕事中「昔から絵が得意だったんですよ。小学生の頃、佳作はもちろん市長賞をもらったり」という話になることはある。
「え〜?センス良いようには見えないんだけど〜。任せて大丈夫かな?本当なの?」
今の自分の実力を知らない他人には、そんな些細な話でも実物や賞状を見せるしか、証明方法がない。絵に限ったことではないが。
「実家の物置掃除してた母が懐かしがって写真撮って送ってきたんですよ」
というような適当な理由をつけて見せた方が小さな信用を築けるのは間違いない。

しかも、未就学児〜小学生の頃の作品というのは、振り返ってみてみるとかなり参考になることがある。今見ても「何これスゲェな自分!?なんでこんなこと思いついた??」というような。

例を挙げてみようと思います。
一つ。私は、中学の選択授業でフォニックスというものを取った。
簡単に言えば、英語の発音規則を学ぶ授業。
cake ケーキ。でもカーケーとも読めるはず。aをエイと発音するのは、c+母音+子音+eのときは、cは子音読み、母音をアルファベット読みし最後のeは読まない、とかそういうやつ。
テキストもプリントも検定証も捨ててしまった。

お陰で「フォニックスなんて聞いたことがない。そんなのないんじゃないの?」とか「フォニックス?だっけ?日本人が考えそうなことだよね!そんなの無くても留学経験があれば全て身につくはず」とか言われることがある。
そうじゃないんだよ…。ちゃんと英語圏でも学術的な裏打ちがあるんだよ…!
他にも、 consider はね…といくつか説明できたら良いのだが、身についているだけで全てにおいて具体的で流暢な説明が出来ないから、やってきたことが認められない・なかったことになってしまう。 

捨てた理由は
「もう身についているから必要ない」
というものだった。

何年も経てば忘れてしまうこともある。読み返したかった。

あと、ロースクール時代の…あの3年間…ずっと嵐に次ぐ嵐の中に居たような時期の、試験答案用紙の数々。ほとんど捨ててしまったが、期末だけは取ってある。
「よくこんな文書けたな…頭良すぎじゃね笑」と今でも思う。しかも、悪い意味で笑。知っている浅い知識はどーん!と書き、勉強が足りないところはふんわり隠して、さも知っているかのように(「いわずもがな勿論、前田説ですよ!説明必要ないですよね?」みたいな)自分で基準立てし、結論はまくしたてる。一応、起承転結…というかすんなりと順序立っているせいでキーワードが無いのに論文ぽく見える。誤魔化しの天才かよ笑!

取っておけばよかった。


じゃあ部活の道具。
これはちゃんと部活に打ち込んでいた人限定かもだけど。
「なんだか体型が変わってきた…部活してた頃はこんなことなかったのに」
歳のせいだけにしないで、あの頃のトレーニングをやってみたらどうだろう。
また、道具を使う部活では、社会人になってからまたその運動などを始めるとあの頃手に入らなかった道具が自分で買える喜び、満足感、虚しさ、後悔、悔しさ…色々な感情が感動になって押し寄せる。
そして初心を思い出させてくれる。


次に、オワコンと言われるコンテンツのグッズ。

グッズというより、本が中心。
1番分かりやすい最たるものは『封神演義』。あとるろうに剣心も。
つい15年〜4年前まで『ジャンプコミックス/藤崎竜/封神演義』といえば、古本屋で一冊30円で売っていたこともあった。
当時アニメ化した時のグッズを売ってしまったり捨ててしまった人も多いのではないか。
それが今、どうだ!!!
再アニメ化が放送され、2.5次元舞台化。
ブックオフではついこの前まで50円で売られていた、紙が黄色くなった封神演義が一気に値上がり。
これな、『曇天に笑う』もそうだから。普通に『曇天に笑う』好きで、ちゃんとした収入が得られるようになったら大人買いしようって、アニメ1話放映から決めてた。そして、今一応、やっと月12〜15万は貰えるようになった。そのタイミングで実写化ー!!!売り切れ&値上がり….神よ…。おっと、封神演義ね。
アニメでは、優希比呂さんかと一瞬間違えるほどの太公望役小野賢章くん。賢章くんありがとう。優希比呂さんの太公望と声同時に流してみたい!!!!四不象は、まさかの櫻井孝宏ー!!??どこまで豪華にすれば気がすむのさ笑!でも元の増川さんの四不象も大好き。ていうか、申公豹、鳥さん!? 石田申公豹も鳥海申公豹も溺愛せずにはいられないよ!大好きだ!もう一度見たい!!
かと思えば、2.5次元舞台では、荒木健太朗さんと(ミュージカル刀剣乱舞 源義経役)、大平峻也くん(ミュージカル刀剣乱舞 今剣役)…なんの因果か運命か。キュン死するですます!

売っちゃったら、また買うしかないんだよね。
自分が読み込んだものじゃないものを。

加えて、なんの前触れもなくマイブームが来ることがある。
私の場合、突然マイブームがバスケになったり。
そしたら『DEAR BOYS』が読みたい。『黒子のバスケ』が読みたい。
読んだらまた感動する。大好きになる。世間が何ブームでも関係ない。
たとえ周りが『ハイキュー!!』一色に染まっていても(※ハイキュー!!も大好きです)今読んだ感動は、緑間くんの「このチームに足手まといなど、俺は知らない。そんなものはいない(的な意味のセリフ。うろ覚え)」であって、グッズを使いたくなるんだよ。
DEARBOYSシリーズは、原作者・八神先生の苦労が計り知れないよ。。。トウヤくんが好きです笑 



最後に、付き合っていた人の写真や思い出の品。
別れたばかりはそりゃ捨てたくもなる。
これを捨てない方がいい理由は少し毛色が違います。

私の場合は、大学を卒業してから5年後に、在学中のゼミの後輩から電話がかかってきました。
卒業した大学と私が入学した大学院は、徒歩10〜15分くらいで、卒業後も3年くらいは半年に一回くらいゼミに顔を出していたので。
要約すると
「先輩たちのやった模擬裁判では○○を使っていたと聞きました。僕たちも使いたいのですがどうしてもうまくいきません。どうやったんですか?」というもの。
当時の写真、同じゼミだった元カレが写っているので全部捨てました……。その写真の中に必ずヒントはあったはずなんです。
元カレの写真を全て捨てるというのは、その時間にあった他の事、他の人の思い出も活動もすべてなかったことにしてしまう行為。ゼミの同期・先輩後輩・バイト先の仲間・上京していた友達との集まり…その時間全てを否定するようで。

加えて毛色の違う話をすると。
元カレといった場所。そこの会社の株式を買おうと思ったことがありました。業績が常に右肩上がりなのを見つけたので。
何年でどの程度(いくら程度)設備投資をしてこの数字になったのか、写真があれば参考になったのに。
他に、箱根・大涌谷。一時、火山活動が活発化して立ち入り禁止になりました。ここも、二人で行ったことがあります。マスコミの【普段は観光客で賑わう山道ですが、今はこのように立ち入り禁止〜云々】は信用できない。ヤツらは「そんなところ、コアなファンしか行かねぇよ!」ってところまでそう言うから。
写真があったら「本当に、こんなところまで立ち入り禁止になる程の危険な状態なんだ」と分かったはず。

観覧車の写真→どの部分改修したか?
チケット→当時いくらだった?消費税率との関係は?
指輪→何が原因で太ったかw?あるいは、むくみではないか?なぜむくむのか。

「うわぁ、イタいなぁ」と思いながらも確認できれば良かった。
 
あとね、小田原城にも行ったよ。当時のブログ消したんですが、そのブログには、小田原城に展示されている刀の感想が載ってたはず。写真は撮れないけど、あの時の感性と、文章力と、記憶力で貴重な刀が…刀が刀が刀が……!!!w 刀剣男士の姿がー!!!今、一人で小田原城に行くて、時間と体力がつづかない。あと経済力も。

一番信頼できる資料じゃないか!!!

自分の感想なんだから。
しかも、ずば抜けて人生で一番表現力と感受性が高かった時のものですから。

チッッッキショーーーーwww

消すんじゃなかった!




そして
『ときめきの片付け術』確かそんなような名前だったかな。

その中で
「謎の(電気配線の)コードは一生謎のまま!捨てるべし」
との項目があって、全容がわからないものは思い切って捨てました。


そしたら…必要なものが出るわ出るわ。

・携帯、スマホの画面をテレビで見たい! そんなときはこのコード。
・どうしてもこの動画を録画したい!そんなときに使えるアナログ端子
・有線インターネットをここまで伸ばすとは思わなかったから捨てちゃった大容量コード。当時はサービスで貰ったけど、買うと高い。延長用のオスメス端子さえあれば、なんとでもなった。
・モバイルバッテリーとスマホをつなぐ汎用コード
・小イヤホン端子→大イヤホン端子に変換するカバー
・ACアダプタの一種。いざという時に、差さるか、使えるかはやってみなくちゃ分からない。
・ヘッドホン、イヤホンの延長コード


ってものを捨ててしまって、かなり後悔しています。
まさに、捨てろ捨てろ詐欺に遭った気分です。






だから




わたしは


捨てない。


しがみついてでも 守る。(幽☆遊☆白書の決勝戦 浦飯幽助より)

大切な事 ものはいつまでも大切。

元彼云々の下りについては

その時大切だと思ったのだから、その人が居なくなっても結局大切なんだよ。

本来の『感情のままに生きること(ヒイロ・ユイ)』がこんなにも難しいとは。

ああ、そうさ。こんなんだから別れるんだよ笑



謎のコードについては、語る人物と自分との人格の差に気付け。と偉そうに判断しておく。スケール(=物差し)が違えば言葉の意味も違ってくる。

「いつか何かに使えそう」= お前はどうせそのコードの存在さえ忘れるから。0割5分の可能性で「もしかしたら」って思ってるんだろう?

「いつか何かに使えそう」= 何系に属しているかを認知し、いざという時に「そういえばあそこにアレあったな」と思い出せる、でも6割方「きっと使わないでしょ」という意識が明確な人が思う「謎のコード」。


どっちの意味で使ってるかを、見極めなさいってことか。


世間が言うオワコンについてもそう。
今気になるのは『ぬらりひょんの孫』もかなりおいしい作品の筈!

なんで ぬらりひょんなの?

なんで 息子じゃなくて孫なの?

というところを充分に補完するチャンス

とうらぶで祢々切丸も出ることだしね。花開院豪羅の『式神・弁慶の薙刀!』てのも惜しかった。岩融にしちゃったら話題になっていたかもしれない。

真面目な話をすると、原作者・椎橋先生が東日本大震災のときにイラストを送った。それが、不謹慎だが、泣けた。
確かに、集金力で言えば、ONE PIECEやNARUTOやBLEACHの方がはるかに上だろう。銀魂の空知先生のメッセージも感動した。

だけど、ぬらりひょんの孫の椎橋先生は、主人公からの励ましではなく敢えて脇役の遠野勢を描いた。「遠野の隠れ里は見えないけれど、そばにいるよ。一緒に頑張ってるよ。忘れないで」。それは、単純な「遠野を作中に出してるし」という繋がりで描いたんじゃない。読んでる人からしたら当たり前のようにそう思う。
作中で、妖怪とは、人々の畏れや信仰があって姿を保って行ける存在。遠野の隠れ里の妖怪たちは、東北を故郷に持つ人々の心と歴史が支えとなって強い力を得て生きている妖怪だ。いわば、東北魂が体現された者。例えば河童やなまはげがそれ。そんな妖怪達が、地元に、人の心に寄り添わない筈がない。だって、東北の民から忘れられたら、妖怪は生きていけない。
民俗学としても「何故、河童伝説があったのか?」「何故、なまはげが生まれたのか?」という点を突き詰めていくとやはり、そこに住まう人々の心に行き着く。柳田國男/遠野物語から百年余り。

まーるたけえびすにおしおいけー: 劇場版名探偵コナン 迷宮の十字路(クロスロード)
がしゃ髑髏 : 妖狐×僕SS
芦屋vs安部 : 陰陽師
渡辺綱 : 御伽草子・刀剣乱舞など
んま、数えきれない。



とりあえず、私は本当に要らない物より他のものは、これ以上捨てない。
壊れたものは修理するか、写メに残す。ちゃんと居場所を作ってやる。年に一度は全部思い出してやる。その時傷ついても。




自分が なにで構成されてきたかを忘れない。