先日、結婚記念日を迎えた

数年前に20周年を迎えた

特別何をするでもなく、今回もそんな感じ

何も予定がなかったので、

仕事の上で知り合った友人の飲みの誘いに同意していろいろ話した。

開口一番「離婚しようと思って、奥さんに離婚届渡した」

「・・・・あっそう・・・」

まあいろいろ話を聞くと、まあわからんでもない

友人にしてみれば、わがままな奥さんの態度(というか生き方)に付き合ってられん。

ってこと見たい。

 

それを聞いて

「俺はしあわせだな」

「夫婦間で何も問題ないし、子供ともそう。よく育ってくれた。」

友人からの問いは

「どうやったらそうなるだろう」

 

私の結論は出ていて

【不公平であること】

夫、妻、姉、弟

それぞれ、性別、年齢、能力、責任、経歴、立場が違う

これで、公平であるはずがない。

(このことは、うちの奥さんには結婚する前から言っている)

これは、例えば、

経済的な役割の比重が私が大きいから、対外的な責任は私が大きく、

我が家の経済活動の大枠の部分は私がイニシアチブを有する

日頃の経済活動は妻に任せる

といったこと

これは優劣ではなく、「ただ」「そうである」ということ。

それ以上でもそれ以下でもない。

このように、立場が違えば、役割も変わり、責任も違う

これなのに無理に公平にする必要はない。

ということを根底に持っておくことが、

人と人が関わりを持つ上でとても重要。

さりとて、公平であったほうがいいに決まっていて、

それにどれだけ寄せられる、それぞれの能力次第ということになる。

能力がないのに、立場を与えたり、

過剰評価をしてしまっては、どこかでおかしなひずみか起きる。

 

といった話をした。

友人は、そのひずみを起こし収拾がつかなくなったというのが、

私の話を聞いての今のところの思いようだ。

 

前述の私の考えすべからく正しいとは言わないが

真っ向から否定されるほど間違っているとも思わない。

 

家族や自分のコミュニティの中で、

どれだけ、自分が役割を持ち

責任をとれるか

が、

「成長」といえるのかもしれない。

 

全員が等しく成長して、等しく能力を持てば、その時、「公平」になる

これを先に「公平」として、能力が違うのに平等に扱うといびつになるのだろう

共産主義国家がそうか・・・。

 

結婚から共産主義になってしまったが、

人と人とのかかわりという点では、

大小の差はあっても、構造的には差はないはず。

 

とりとめもなく、おえます。