南三陸町で初日の活動を終えて隣の歌津地区にある旅館へ向かう時のこと。
ボラセンから旅館の送迎車が待つ場所まで「無料バス」が出ているとのことでボラセンに確認してバスに乗り込んだ。
ドライバーの後ろに座り、発車して少ししてドライバーが話してきた。
ド「あんた、ボランティアの人か?」
私「はい。そうですけど。」
ド「これ見えなかったか?」
と、見せられたものが「ボランティアお断り」と書かれた20センチ四方のダンボール紙。
「これは町が運転するバスだから町民以外が乗ると迷惑なんだよね~。」
って車内で言われた。
ぶっちゃけ、ボラセンに確認したし、そんなちっさいダンボール紙じゃ気づくないわけないし、格好や荷物見りゃわかるだろうし、発車してからそんな事いうなよ。。。
って思ったけど、車内でひたすら平謝りで10分少しの乗車が気まずかった。。。
宿に着きチェックインの時に話の流れで若女将と無料バスの車内での出来事を話した。
すると、若女将は「せっかくボランティアで来てくれてるのにその対応は酷い。」と憤慨し、土曜日にも関わらず「無料バス」を運営する町役場に連絡をしてくれた。
役場の返答としては「一人二人くらいの利用ならOK」という事だった。
以前にボランティア団体が「無料バス」を貸切状態で利用して町民が乗れなかったという事があったらしい。
それが原因だが役場としての見解がなく、ドライバー任せというのが現状だった。
翌日も送迎車に乗り無料バスでボラセンに向かう予定だったが、ドライバーの言った事も一理あるなと思ったので「無料バス」を利用せずJRの代行バスを利用してボラセンに向かうことにした。
翌朝日曜日、従業員のおばちゃんが送迎車で最寄のバス停まで送ってくれた。少し時間があったので「バスが来るまで車内で待ってれば?」と言ってくれた。
少し車の中で待っていたが、どことなく何か胸騒ぎがしていた。念のためバスの時刻表を確認すると・・乗ろうとしたバスは土休日運休でこの日は動かない。。。
次のバスは昼過ぎ。確実にボラセンに間に合わない。
意を決しておばちゃんに相談してみた。
おばちゃんは若女将に連絡をとってくれて「ボラセンまで送っていいよ。」とのこと。
めっちゃ嬉しかった。
ボラセンまで行く道中、おばちゃんが当時の事を話してくれた。
ちょうど平地にいていつもの地震じゃないと察知し、ひたすら高台に上り、津波に飲まれていく地元の姿を目の当たりにしたとの事。
おばちゃんの家も被災し、仮設住宅住まい。おばちゃんの友人・知人も何人か亡くした。
しかし、おばちゃんは私が関西の人間と知り、「阪神大震災の時は何もできずに申し訳ないのに、遠くまで来てくれてありがとう。」と言ってくれた。
そして、「地震が起こったら絶対に高台に向かって逃げて欲しい。」という事をひたすら話していた。
おばちゃんの一言一言が胸に響いた。もちろん感謝の言葉も。
やはり、経験した人がいうのだから間違いない。親戚が和歌山沿岸部に住んでいるから他人事じゃない。
そう感じた。
そしてボラセンに着き、最後の活動に入った。
私はこの旅館の若女将とおばちゃんの対応に同業者としていたく感動した。
若女将も土曜にもかかわらず役場に電話してくれたり、おばちゃんもこのマヌケな私のために若女将と交渉してくれた。
苦境に立たされた気持ちに応えてくれた、いや、向き合ってくれた事に涙が出そうになった。。。
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そんなこんなで4日間過ごした宮城県。
価値観が大きく変わりました。
まだまだ手付かずのところが多い現地。そして解決の糸口が見つからない原発問題とその地域。
それでも現地の人はボランティアでも困っている人がいれば助けてくれる。
自分達が助けに来たのに、逆に助けられ励まされる。
やはり人は助け合って生きているというのを実感した。
震災から1年と1ヶ月。
震災の日はマスメディアが大きく取り上げたが今となっては予想通りというか、関心がさらに薄れたように感じる。
東北から遠い所にいるが、これからも手を差し伸べたいと思う。
できれば、現地にまた行きたいと思う。
復興の手助け、そして本当に大事な事がこの地にはあるから。
了