バッド・エンド・ファンタジー・ワールド
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旅立ち  ドッグ・デイ・アフタヌーン Ⅰ


 かつて、世界には神が二人いた。

一柱は、凡てを照らす太陽の瞳と猛き雷をその身に纏いし力強きドンナー。

一柱は、深き海の肉体と生と死の円環を束ねし雄大なるミドガルズオルム
 
 
いつからそうだったのか、いつからその神が大地と天空を別って争いをはじめたのかその理由は語られていない。
ただ厳然たる事実として――神と神、その二人の神に付従う人と人、大陸を二分して大きな争いがあった。
神が雷を纏いて槌を振り上げ、神がその身を世界を包むほど巨大な蛇へと身を変え、お互いを殺しあう。
天と地が揺るぎ、人が剣と槍で人を刺し貫き、獣は吼えたてて地を駆け巡る。
その当時世界には「平穏」などというものはなく地の一端から一端。天に浮かぶ水の一粒から一粒。

海中の一液から一液あらゆる場所すべてで戦が繰り広げられていた。
戦乱を厭うものなどおらずその理由を問うものもなく己の敬愛する神のために死ぬことを本望とする。



後世はこの時代のことを「ウォー・エイジ」と記述している。



『月』の暦1065年
天候:晴れ 8月16日
(場所記載なし・詳細不明)


 黒々とした大地が、続いている。
空は晴れだというのにどこか暗い雰囲気を孕んでおり生気が感じられない。
まばらに生えた植物はどこか歪んだ、悪意を感じるような形状のものが目立った。
それらが群生する場所には窪地があり、そこに土を含んで半ば泥のようになった水源が存在している。
それは一見、雨水がたまったぬかるみのように見えた。
しかしある程度魔法の素養や勘の鋭いもの、もしくは注意力に優れたものか感受性の強いものならそれがまともな水源でないことが分かる。
うっすらと絵の具が流れるように、水から黒い煙――瘴気が立ち昇っている。
それらの瘴気は人間には不愉快な感覚をもたらし、また人間と対立するある種族には甘美な美酒のように思える――


どこか歪んだ気配を孕む黒い大地で、人と魔族が死闘を繰り広げている。
多くの人型魔族が地に倒れ伏し、雑兵と見受けられる小柄な亜人魔族が奇怪な言語をかわしながら、及び腰で4人の人影を遠巻きに包囲している。
戦力差は大きい筈だが人間4人が圧倒的に優勢に見える。

「そっちにいったぞ!ナオキ!」
「任せろ…そりゃああああああっ」

 また一匹、蒼く燐光を発する刃に角を生やした巨大な魔族が切り裂かれる。
一刀両断。毒々しい色をした魚燐の肉体がふたまたに別れ、地へと崩れ落ちて蒼い光となって宙に溶けて消えていく。
それを見届けた亜人魔族が悲鳴のような号令と共に退却を始める。
4人の人影はそれを追うことはせず、各々の戦闘体勢をとったまま背中合わせに周囲を警戒している。

しばらしくして、どこか人懐っこい雰囲気を持った少年――ナオキが息を吐く。

不思議な光沢を持つ鎧とまるで生物のようにはためく長大な朱のマントに身を包んでいる。
あきらかに地に引き摺ってしまうほどの長さのそれはまるで地に触れるのを嫌がるように少年の背ではためいている。
手に握られた剣もまた普通の代物ではない。
その刀身は針のように細く、消えることのない光る炎に包まれている。
刀身にはびっしりとルーンが刻まれておりそれらひとつひとつが精緻に組み込まれた魔法術式として効果を為し、強力な「聖」と「炎」を剣から発している。
二つの属性に極端に弱い魔族などは見るだけで怯えて逃げ出すほどの力だ。
魔法を付加した剣、というものは魔族との戦争が本格化して以来多くの国で量産されてきたものの、「その剣」の力はそれとは比較の対象にもならない。

「魔法」が付加されているのではない「魔法」が剣の形をなしているのだ。

「お見事!弱いヤツラは逃げ出したみたいだ」

ナオキの背中を守っていた体格のいい少年ケンヤが快活に声をあげる。

「…自分たちの“神殿”の上に人間が、となるとヤツラも積極的になりますわね」

しなやかな肢体をドレス風の騎士鎧で包み、貴族をあらわす赤髪が特徴的な少女ハイネが呟く。

「……魔力がもたないな」

ローブに眼鏡、背中に大量の“蔵書”をリュック背負った線の細い青年、アライスが杖を下げる。

「おつかれー!」

最後に面々から少し離れた高台から小型魔族を撃ち落していた弓使いの少女、エレノアが元気に手を振る。

この5人こそが2年前に「魔王」を倒し、封じ込めた「勇者」たちである。

異世界から召還され、神と剣に選ばれた少年、神城ナオキ。
その悪友にして快活な性格と豪快な戦いぶりで兵たちからの信頼も厚い東条ケンヤ。
もっとも古き騎士の名門ミルニル家のご令嬢にして強力な剣士ハイネ・オーディニ・ミルニル。
魔法使いの国エルムト出身のビブリオマニア兼最年少の知識の賢者アライス。
正確無比な射撃の腕前と野生児のような無邪気な性格の竜に育てられた少女エレノア。



この世界を救った5人の中にはかつて――小柄な白髪の少女戦士もいた。



 ユノはリーンベルネに向かうにつれて、どんどん気が重くなっていくのを感じていた。
まず、人の密度がドンテカとは違い過ぎる。どこに目をむけても人、人、人。
2年間で砂漠や荒野といった場所に慣れてしまった感覚がどうにも窮屈さを感じさせた。
荒涼とした大地は孤独ではあるものの――どこまでも自由である。
赤い髪で豪奢な服を着た貴族。仕事にせいを出す土木屋。定食屋の呼び込みビラを配るエプロン姿の少年。親密な雰囲気の男女。小難しい議論を交わしながら何処かへ去っていく修道士たち。どれもこれもユノには生のエネルギーに満ち溢れすぎていて居心地が悪かった。

(そもそも私の格好が、浮いてる)

 言うまでもなく、ユノは冒険者だ。ギルドの認可を受けて報酬と引き換えに様々な荒事をこなすなんでも屋、ゴロツキ、根無し草。言い方は色々だが、ひとことで言えばアウトローだ。
その様々な荒事は一般的には「○○村がモンスターに襲われているから助けてこい」というものや「盗賊に○○が狙われているから守ってくれ」といった一応「人のためになる」ことだ。しかし、時には「○○が気に入らないから殺せ」や「○○の息子を攫ってこい」なんていう明らかなウェットワークも、数多く転がっている。それらは表向きはロードスギルドの誇り高き<冒険者の掟>によって検閲されているものの、依頼者がちょっと袖の下で金袋でも渡せばすんなりとどこかの金に目がくらんだ冒険者が必ず飛びつく。最悪ギルドすら仲介せずに直接冒険者に話を持ちかける者も多くいる。法律上、縛り首だ。

つまり何が言いたいか、というと――基本的に冒険者は天下の界隈に居てはいけない存在なのだ。

 はあ、と溜息をついてユノは己の姿を省みる。
汚れや傷。ところどころに古くなった返り血が付いたアニマルハイドのポンチョ。プレートと合成皮で間接部分を補強した年季の入った白いレザーアーマー。ぼろぼろで黒のインナーウェア。腰のベルトには幅広の直剣と短剣が一本ずつ挟みこまれている。
これだけでも充分に「冒険者」だが、ユノの場合は二の腕と両足の横に備え付けられたスローイングダガーのベルト。一抱え程度の岩石なら砕ける手投げ式の爆薬を6個。ポンチョの内側にもいくつか武器を隠し持っている。おまけに背中にはデイバックと一緒にドワーフの王国、ニザヴェリルで製造された「魔法を撃ち出す持ち手付の筒」を背負っている。

魔術伝導率が高いミスリルで作られたその砲身の内側には「物体を加速させる術式」が螺旋を描くように、外側に「物体を直進させる術式」が円周に沿って刻み込まれ、大抵相手を粉々にするような物騒な魔術を封じ込めた玉を装填できる仕組みになっている。魔術の発動は筒に篭められた術式が行うため適正のない者にも扱える。
「個人による威力制圧」というコンセプトで作られたそれは「あっち」の世界の「らいふる」によく似ていた。

(もっと普通の格好してこれば良かった)

すれ違った修道士の集団がユノの姿に怯えて身を避けていった。

「リーンベルネへようこそ…ご用件は?」
「姫様への謁見を、許可証ならここにあります」
「ご拝見いたします……少々お待ちを」

 軍装に身を包んだ門番が城門の中へ消えていく。
ユノはそれを見送って、2年前と姿の変わらない城を見上げる。
王都の中央。王城リーンベルネは堅牢な要塞だ。壮麗な装飾でたくみに覆い隠されているものの城壁から覗く銃眼(弓矢や銃を構えるための城壁窓)や有事の際には王都の魔術師たちが防衛に使用するトーチカ。空中を飛ぶ敵勢力を叩き落すための高射砲台などまるで戦争中の要塞であるかのように防衛施設が城と一体化している。
長らく魔族の侵攻に正面から立ち向かったランバルディアの歴史を体言するような城だ。
と、門番が戻ってくる。

「確認いたします、ユノ・ユビキタス様でよろしいですね?」
「ええ」
「不明をお許し下さい…それではお進みください。」
(いい兵士だ)

折り目正しく礼を執る門番に軽く答えると城門をくぐる。

(帰ってきてしまった)

 ぐ、とポンチョの胸元を掴む。
城の中はなにも変わっていない。青を基調とした屋根と白いレンガで作られたパレス。
城の四方を囲むように建てられた尖塔には弓を持った兵士たちの姿が見え隠れしている。
城門を進んだ正面には花と緑で彩られた石造りの噴水がある。
噴水にはお抱えの楽士や召使。謁見を待つ貴族達。談笑する軍の騎士。図書館を訪れた学院生たちの姿がある。
その中央の噴水から道が分かれ、王族の住む宮殿。王立の図書館。騎士たちのバラック。王城に住む人々のパレス。修道士や神の巫女のいる礼拝堂へと繋がっている。

(なつかしい)

「世界を救うため」と、「こっち」に召還された場所がリーンベルネだった。
ユノ・ユビキタス、今はそう呼ばれる「向月ゆの」がこの世界に訪れたのはもう4年前だ。
今でも憶えている。帰りの「でんしゃ」の中から突然景色が変わり、魔方陣が描かれた城の一室になった光景。

大陸中央に堂々と構える歴史ある大国家、ランバルディアの礼拝堂の祭壇。

ユノと同じようにこの世界に召還されたのが少年――神城ナオキとその友人の筋肉質な青年、東条ケンヤだった。
突然の事態に戸惑い怯える私たちに召還の儀式を取り仕切った王女にして神の巫女――セリア・ランバルディア・イヴヴァルトが言った。

「お願いです勇者様――どうか私たちの世界をお救い下さい!!」

(そう、所謂異世界ファンタジーの王道中の王道――「魔王を倒すために召還された勇者たち」になってしまった。)

「異世界での冒険」という「ユメモノガタリ」に突き動かされて半ばわくわくとしながら冒険をはじめ――すぐにこれは勧善懲悪の異世界王道ファンタジーではないな、とユノと二人は気付かされた。

世界情勢は思った以上にハードだった。

2000年前に海中に封印されたはずの魔王とその配下たちは西部の国々を瞬く間に滅ぼし、一片の光も射さない闇の世界へと変えてしまった。
魔王軍の侵攻を逃れた人々も、西部と中央を遮るように横たわるメルカトル大砂海にその骨を沈めた。
それと同時に魔王の魔力を受けて異形と化した動物――モンスターが人々に確かな敵意をもって襲い掛かった。
おとなしい筈の愛玩用のモンスターが子供を噛み殺した。
隊商のランドドラゴンが狂ったように咆哮を上げて走り去った。
巨大なオーガーとトロルの群れが通常ありえないような統率を持って村落を夜襲した。
いくつもの村や都市が滅び、たくさんの人々が死んだ。
目の前でモンスターに人間が容易く殺され、暖かい臓物が顔に降りかかってようやく、ようやく「向月ゆの」は「今」がどうしようもないくらい「リアル」で途方もないくらい「現実」である事を痛感した。
そんな血なまぐさい最悪なファンタジーの中を3人は必死で駆け回った。

 騎士団とロードスギルドの教官たちからスパルタで教育された。早々に音をあげかけた。
貿易都市カスツールで盗賊団を相手に大立ち回りを演じた。商人に顔が利くようになった。
船を容易く丸呑みする巨大なテンタクルスから商船を守った。沈んでいく怪物の死体と夜明けの空が忘れられない。
海の向こうにひっそりと佇む神秘の都パルメキアで僧侶から世界の事を学んだ。平和を取り戻してあげたいと本気でそう思った。
ジャングルの奥深くに眠る加護の地で勇者の加護を受けた。授かった力の大きさに怯えた。
ドワーフの王国ニザヴェリルで武器をもらった。子供たちに懐かれた。
国のためなら死ねる、と大陸中から集まった魔王討伐軍「エインヘリャル」をランバルディアの王から享け賜った。
そして――あとは果てのないほどの戦いの日々
ビブリオマニアの魔法使いと、プライドが高く、ナオキに恋する騎士を仲間に加えて
国と、人と、仲間と、なにより自分を守るために殺し続ける日々。
人の赤い血と、魔族の蒼い血が大地に河を作り、死体と死骸が弓と魔術を防ぐ防壁と役割を換える。
怯え震える心を奮い立たせるために歌を叫び歌いながら戦場を駆け巡るエインヘリャルの騎士とその配下の兵士たち。




地の平和を永久であれ 絆は鉄の鎖であれ 王国万歳!

光を胸の中にもて かのものの血と死で 死せる戦士の鎧を染めよ

闘え 闘え 神と王国のために 闘え 闘え 恋人と正義のために

進軍のときは今ぞ 死せる戦士たちよ こうべをあげよ 王国万歳!




(ああ、やめよう)

深呼吸をする。動悸が早まっていた。
2年前から――ユノは「闘い」から帰れなくなった。平和なはずの日常の中でもどこかに戦場の空気を感じて、ずっと心が高ぶったままになるのだ。
街に聞こえる談笑の音が魔族の奇怪な嘲りに聞こえ、道行く衛視が死んだはずの兵士に見えるときもある。背後からの奇襲を常に警戒し、遠方からの狙撃に備えて広い場所へ出たくなくなる。少しでも挙動のおかしい人間を見たら魔族の擬態を疑う。幻視幻覚。完全に病気だろう。
そのせいで随分とアリカに迷惑をかけている、とユノはドンテカで待っているらしい半人半獣の少女の顔を頭に思い浮べる。
この前のようにパニックになってアリカに襲い掛かりそうになったことも1度ではないし、幾度も実は魔族のスパイじゃないか、とか暗殺者や賞金稼ぎではないのかと疑ってかかったこともあった。
そうして正気に戻るたびに、悔いた、泣いて謝ったこともあった。そのたびにアリカは許し、時には怒り、正気を保つ術を一緒に考えてくれた。
助けたはずの少女にユノはずっと助けられていた。
また「闘い」に飲み込まれそうになったら――ユノはこうアリカのことを思い出すようにしている。
なんとか心の昂ぶりを抑えて、ユノは噴水の正面を抜けようとする。



――噴水を囲む群衆の中から、鋭く澄んだ声が響いた。

「この神聖なリーンベルネの御庭に、そのような不逞な格好で何様か」



 ざわり、と群集が凍り、ざざと何人かの人影が身を引いた。
そこに立っていたのはユノと同じくらいの、年齢も、恐らく背丈も同じくらいには低い少女だ。騎士の姿をしている。
貴族を表す赤毛はあまり手入れされず後ろ頭にひっつめている。蒼い双眸に引き結ばれた小さな口元。その頬に残る大きな刀傷がなければ城下の吟遊詩人あたりが美貌を褒め称える詩でも歌っていたかもしれない。
ブーツと同じ鋼の首当てに鉄の輪を連鎖して造られたリングメイル。軽装を重視しているのか細いしなやかな腕は二の腕まで露出されている。
鋼鉄で出来た腰当には湾曲した形状の剣が交差するように二本。
グローブの甲にはどこか見覚えのある紋章が刺繍されている。

(二刀流?)

赫怒を滾らせながらこちらを睨む少女の後ろにはもう1人大柄の騎士がいる。
こちらも年の若い騎士だ。典型的な若い騎士といった風情だ。
鎧はが錆止めに黒く塗られているところを見ると叙勲していない自由騎士だろう。こちらは軽装の少女と違い防御に徹するスタイルの騎士と見えた。顔に人の良さそうな笑みを浮べているもののその瞳はユノの姿を油断なく見ている。侮りも驕りもない善い瞳だとユノは思った。

「王女とのお話がある。道を開けてもらいたいのですが」
「知っている――しかしその前に少し私の用件に付き合って貰おう」
「あ、ちなみにセリア様でしたら沐浴中ですので今は王宮ではなく神殿におりますよ」
「余計な口を挟むなフリードォ!」

くるりと小柄な身体が反転し、後ろで笑いながら指を立てた騎士(フリード?)の脛に痛烈な蹴りを入れられる。
がん、と鉄と鉄のぶつかる音がし、大柄な騎士が脛を抱えて飛び跳ねる様子にユノは少し拍子が抜けていた。

「用件とは、なんでしょう騎士さま」
「只の冒険者のフリなどして貰っても困る。貴様はユノ、ユノ・ユビキタスだろう」
「・・・・・・」
「沈黙は肯定と見るぞ――我が親族の仇、貴様の血で慰めさせてもらいたい」
「ボクはその立会いです」

ざわ、と噴水の間を取り囲む群集が沸く。

「あれが?あれがかの“灰かぶり”か?」
「騎士を…殺したというあの?」
「おぞましい!真に白ではないか」
「ひ弱な少女に見えるぞ、何かの間違いではないのか」
「門番は何をしておる」

へっ、とそれまで作り続けていたユノの少女の仮面が割れる。
その下にあるのは――もうすっかり染み付いて取れなくなった冒険者の貌だ。
俯いたその表情は対面にいる騎士の少女には見えない。

「その双剣、見覚えがある。そう確か“アンテローズの白薔薇”」
「貴様の口が我が姉の名を紡ぐな、騎士殺しめ」
「それは失礼…あなた様が赤い薔薇の方でございますか」
「その通り、王都守護騎士団ルビィ・ギムレット・アンテローズ。これ以上は無駄口、さあ剣で語ろう」
「せっかちは嫌われますよ、お嬢ちゃん」

ああ“捌け口”ができた、とユノの脳裏でなにものかがそう囁いていた。
もう既にアリカへの思考はどこかへ消え去っていた。
聖母の如き貌を浮べる鱗の目立つ少女の立像は「闘い」を途方もなく愛する不定形の塊に追いやられる。
それを最低だ、と他人事のように誰かが呟いた。分裂しているのを感じた――王都に入ってから胸に出来ていたしこりが消え去り、ずいぶんと楽に息が出来る。これは、きっと戦の空気だ。やっぱりもう「向月ゆの」は戦場から帰れない。

(セリアには、悪いことするなぁ)
(でも、でもしょうがないよねだって仇だもんね)
(闘おう、闘おう、闘おう)
(もう駄目だ、こんなことをしてはいけない…だめだ…だめだ…)
(目の前の敵は軽装、早さを重んじる…今の装備のままでは少し不利)

はああ、と息を吐いて、腰のベルトから剣を引き抜く。

「上等、上等だよ騎士のお嬢ちゃん」
「……何だ?」
「ところで仇討ちってお嬢ちゃんは神聖なものだって考えたりしちゃってる?でもねそれって違うんだよ」
「ルビィ、少し様子がおかしい。気をつけた方がいいぞ」

黒い鎧の騎士――フリードが一抹の危機感を感じて少女に警告する。
騒ぐ群集たちを退かせながら二人の少女の中間点、立会い人の立ち位置まで移動する。
それを受けた騎士の少女が流れるような動きで二刀の剣を引き抜き顔の前で交差させる。

「ちっ、バラックでやりあうつもりだったが…諸侯!少し噴水の間を貸して貰うぞ!」
「仇討ちってさ面倒くさいだけなんだよね――家が燃えるわ、アリカが危ない目にあいそうになるわ、ギルドの依頼書がなくなるわ、金もなにも私の手に入らない」
「何だ!貴様は何を喋っている!」

「飽きてるんだよね、私、そう仇討ちってのはもう飽きてるんだよ」

ばっ、とユノの白髪が踊り、それまでルビィに見えていなかった貌が顕になる。
そこにはルビィのはじめの一声に答えた、どこか疲れたような少女の面影が消えている。
凄絶な、「たった今のいままで戦場で敵を斬り殺していた戦士」の表情だ
その視線に少しだけルビィは恐怖を覚える、が、次の瞬間には不敵な笑みを浮べている。

「まあそれでもいいや、その仇討ち、買うよ」
「上等…“アンテローズの赤薔薇”推して参る!!!」

二人の少女が、ゆっくりと歩を進め、それは早足へと変わり最後には突進へと変わる。
ユノは剣をだらりと下げたまま。
ルビィは顔の前で交差させたまま。
そして二人の距離はゼロになり――その瞬間にリーンベルネの庭が剣と剣の合いする音に支配される。
群集が驚愕の声を上げ、すぐに静まりかえる。それは未だあどけない幼さを残す“灰かぶり”の勇者の、その力任せを体言した嵐のような剣筋に息を呑み、その表情があまりにも楽しく笑っていたからだ。
対する赤い髪の少女騎士も負けてはいない。その可憐ともいえる双眸を凄絶に歪め、まるで舞踏のような剣捌きと足運びは命を刈り取る死のダンスだ。

「あはっ」

旅立ち  再会と予兆

『月』の暦1065年
天候:曇り 8月16日
12時23分――神を信仰するものならばまず食前の礼拝をするべき時間
ドンテカ外れの小屋、ユノの自宅


 時々――彼女がいない間に部屋を掃除することがある。
 それはアリカがいない間に脱ぎ散らかされた衣服だったり、床に転がった酒瓶だったりする。両方の時がほとんどだ。
 半人半獣の少女アリカははたきで棚の上の埃を落としながら、ほんの2時間前に立っていったこの小屋の主について思いを巡らせていた。

 ユノ・ユビキタス――ユノは本名でユビキタスはあとから付けた名前らしい。その理由を問うと曖昧に答えをにごされてしまったからあまり触れないほうがいい話題らしい。
 一見、かよわい雰囲気を持つ少女だ。小柄で華奢なシルエット、丸みのある白い顔の中にはこの世でいちばん小さな月がふたつ浮かんでいる。
 顎のラインで切りそろえたショートヘア。のび放題で放置されていたのをアリカが無理やり椅子に座らせて手入れしたものだ。

ここまでは王都ランバルディアにも貿易都市カスツールにも魔法使いの国エルムトにもいそうな普通の少女だが――その 髪も睫毛も「白」
 年を取ると魂が少しづつ髪から抜けて白くなる老化の白ではない。金属の光沢をもつ大陸の人間ではありえない特徴の色。生まれつきではないらしく元々は黒髪だったよ、とユノは乾いた笑いを浮べながら話すことがあった。
 「白」になった原因について訊ねると――ふさわしくないものが間違って勇者になってしまったときの色なんじゃないか、とユノが自嘲気味に呟いていたがアリカは、そうは思わなかった。

 ユノは確かに勇者――おとぎ話や伝承に詠われるような昔の勇者たちのように清廉で勇気に満ち溢れ、純粋な正義のために「人」を脅かす「魔」との戦いを先導する。そういった伝説の存在と同じであるとは、世間知らずのアリカでもイエスとは言えない。
 いつも疲れたような表情に歪められた瞳。引き結ばれた唇からは年相応の少女らしい言葉も英雄らしい発言もなく、粗暴で時として自虐的な皮肉が吐息のように呟かれる。
 戦いに明け暮れ、酒に潰れて、眠るときは剣を抱きながら獣のように身を縮めて眠り、悪夢や幻覚で昨日のように暴れることもある。
 勇者とはほど遠い。戦いに疲れ果て病んだ少女兵士の姿だ。

 それでも――そんな姿でもアリカにとっては誰よりも「勇者」だ。

 戦いに生き、そして死ぬ種族リザードマンと人の間に生まれたアリカは、種族の苛烈なあり方についていけなかった。
 闘争の中の勝利と敗北によって自己を確立する――温厚なアリカにはその価値観は血生臭くて15のときに生まれ育った集落を出た。
 そして人の街で新しい人生を始めたが、今度は人として生きるにはリザードマンの特徴が枷になった。運の悪さというのもあるだろう――人として暮してもいまひとつ馴染めなかった。リザードマンとのあいの子というだけで区別され、時にははっきりと拒絶され働き口を転々とした。身体目当てで言い寄られ乱暴されそうになったこともあった。
 なにひとつうまくいかず、遂に性質の悪い冒険者にひどいことをされそうになったときに――ユノが現れた。
 眠たげに細められた目に、逆手に握られたワインのボトル。剣も抜かず拳も使わずあっと言う間に冒険者二人を沈めて颯爽と消えてしまった。

 一目惚れしてしまった。

 誤解を招く表現だがこれが一番的確で、自分の将来に夢も希望もてなかったアリカが人の暮らしの中で唯一見つけた光だった。
 それはきっと清廉な、優しく暖かな光ではなかっただろう。
 強い、近づけば焼き殺されかねない、強く、暴力的な光。
 しかしアリカにはその光が自分に必要なものに感じられた。
 闇を、暗い日常を、感情を吹き飛ばす強すぎる光。
 気づいたときにはその小さな背中を追って酒場を飛び出し、勇気を持って話しかけた。殺気立ったオーラを醸しだしていて怖かった。
 でもアリカのことを嫌がらず拒絶せずに話を聞いてくれた。一生懸命お礼を言ったら照れたように笑って「別にあんたを助けたくてやったんじゃない。苛々していただけ」そう言った。
 その発言は確かに真実だったのだろう。アリカはその後も無理やりのようにユノと関わり、冒険者らしい利己的な面も見れば粗暴な面も見た。
 そして彼女の心が半ば、ある種の狂気と同居していることにも気づいた。
 しかし――もしかしたら彼女自身は気づいていないかもしれないが、月のような瞳の奥にはいつも理不尽を憎み、障害を踏破せんとする意志があった。
 それはアリカが幼いころに本を読んで夢想した「勇者」の瞳だ。

 ふう、と吐息をついてアリカは小屋にひとつしかない窓を見やる。
「大事な用件が出来た」と言って、今朝方いちばん早い馬車で行ってしまった。
 何かに決意する表情で――きっと過去のなにかを片付けに行ったのだろう。

(それは、いいことなんだよね)

 でも、とアリカは口に出して呟く。祈るように

(――傷つかないで、ほしいな)

 好きな人が前に歩き出したという期待。先の見えない不安。
 アリカの縦長の瞳の中には、緩やかに太陽を覆い隠す雲が浮かんでいる。



『月』の暦1065年
天候:曇り 8月16日
12時23分――神を信仰するものならば食前の礼拝をするべき時間
大陸馬車103号(ドンテカ発王都ランバルディア行き)


 ユノは大陸馬車に揺られながらセリア――聖女にして王姫、セリア・ランバルディア・イヴヴァルトから送られてきた手紙を読み返している。
 手紙には封筒と同じく上質な便箋が2枚。もうひとつはロードスギルドから発行される『王命通知書』だ。不変を象徴する伝説の植物であるロードスの葉が描かれ、その下に重要かつ決して抗命してはならない書類であることを表す印が捺されている。
 文章はたった一行――『王命により契約を無期限に停止する』

(契約)

 ユノはその二文字を――いくらかの苦味と共に想起する。
「勇者でありながら魔族に組して英雄たる騎士を殺害」言うまでもなく大罪である。
 ユノの主観では食い違いがあるものの結果は変わらない。過去の過ちは覆らない。
 本来なら、神罰として王都でもっとも残虐かつ苦痛を味わう方法で処刑されるが、ユノには――どんな考えであれ助命を求める「みんな」がいた。

 その結果が契約だった。
 ギルドに所属し死がその身を滅ぼすまで無償で戦いに赴くこと。
 魔王が倒されその王民たる魔族の大半が地上から姿を消したとはいえ、この大陸は平和ではない。
 魔王が放つ魔力で凶暴化したモンスター。ゲリラ活動を続ける魔族軍兵士。誑かされユノと同じように魔族を助ける反乱者。戦場の狂気から帰れず、無差別に死を撒き散らす狂戦士たち。
「反逆の勇者」が死ぬ場所などたくさんあった。
 この2年間で何度死に掛けたことか――あまり考えるのはよそう。感情がコントロール出来なくなりそうだ。

 白い便箋を開く。


 親愛なるユノ、そして「向月ゆの」へ

 あなたがお父様と契約を交わしてから2年の歳月がなりました――
 王宮のほうは相変わらず慌しく私も最近ではお父様の政務を手伝っています。
 あなたや皆と会えない日々が続いていますがあの頃とは違う。目に映るものすべてを美しいと感じられるような、そんな日々を送っております。

 今回の突然のお手紙には戸惑われていると思いますがどうしてもあなたに伝えたいことがあるのです。

 王宮ではあなたの2年間の功績を通して少しづつではありますが、あなたに対する意識が変わりつつあるように思えます。
 もちろん未だにあなたを神罰に基づいて処断すべきであるという声もありますが――たしかにあなたの罪はあなたの頑張りによって少しづつ許されていると思えるのです。
 そこで私とお父様の間で話し合いをして――あなたにひとつ頼みごとをしたいと思うのです。
 この手紙では他人の目に触れるおそれがあるため書きません。
 あなたには是非ランバルディアの私のところまで来て、直接話しを聞いて欲しいのです。
 ギルドには既に通達して契約を停止してあります。

 最後にいつまでも頑固なあなたへ――

 私もみんなもすでにユノのことを許しています。
 当時はみんな魔の気配と戦場の空気で心が荒み、あのようなことになってしまったのです。
 この2年間わたしたちは幾度も、夜も昼も話し合いお互いの過ちを認め合いそして前を見て進むことを決意したのです。
 あとは、ユノ――あなただけなのです。あなたが誰よりも罪を重く受け止め、交わした契約以上のことをして自分を死に追いやるような莫迦な真似をしているのをわたしは知っています。
 それはとても悲しくて、わたしにはつらいことなのです。
 罪を忘れろとはいいません。ただ、みんなに向き合って――共に前を向いてほしいのです。

 はあ、と息をついてユノは便箋を封筒にしまう。

 重い、とても重い内容だった。そしてそれは刃のように尖っていた。
 その手紙に描かれているのは確かに赦しだろう。ユノが犯した罪に苦しんでいることを理解し――受け入れてくれる。
 しかしユノには手紙の主セリアの広げた腕に飛び込むことは、できない。
 もし純粋に罪に苦しんでいるのならいい。己の犯したあやまちを心底反省し、どんな言葉にも真摯に向き合い、贖罪をし現状を打開する方向を向いていけるなら

 ユノは違う。自分は心の底で「自分は悪くない」――そう思ってしまっている。

(なんで私が責められなきゃいけない?)
(私は私の正義で行動した。一方的に罪だと押し付けられた)
(何故子供まで殺す必要がある?人でなければ何をしてもいいの?)
(私の命令を無視したのはあいつらだ。殺されても当然じゃないの?)
(死ぬまで戦え?それは結局死ねってことだろう!)
(そもそも私は勇者なんてやりたくもなかった!)

 ああこれはいけない――黒々としたナニカが腹の奥底から溢れて湧いている。普段は色々な重石で蓋をした壷。目を逸らしたくても叶わない感情。

 憎い 憎い 憎い 憎い

 がたん、と馬車が揺れる振動ではっ、とした。同時に自分が息をしていなかったことに気づく。腹の底から膨れ上がった感情が形を得て肺を圧迫したかのようだ。
 息を吸う、にがい。
 馬車に備え付けられた窓から外を見る。もう王都が近い。

(来て、しまった)

 王都ランバルディア――この大陸における現在唯一の王制国家であり一大強国である。
 広大な農作地と豊富な鉱山を背景に近代的な装備を整えた常備軍を持ち、勇者率いる国を超えた魔王討伐軍「エインヘリャル」も多くがランバルディアから選出される。堅牢さと壮麗さを兼ね備える都市は「戦乙女の都」とも呼ばれることがある。
 しかしその繁栄を極める王国の王室は――退廃的な側面が見え隠れする。
 その原因のひとつは「戦の優るものが第一後継者」という信仰からくる王族の内政不振。
 軍事力にばかり目が向くせいかそれ以外の重要な案件がふいにされ易い、とユノは聞き及んでいる。くわしく見聞きしたわけではないが中立地帯であるドンテカにまで噂が聞こえるあたりあからさまなのだろう。
 もうひとつは貴族――内政下手の王族に代わりその臣下たる貴族が政治を主導する形なっているが…そこは貴族の独断と専横の場であるという。耐えかねた王民が王族に訴えを申し出ても貴族は言葉巧みに王族を騙し、また違う形で利益を自分のものとする。
 戦うことにしか興味のない王族とその目を盗んで民の上で舞踏する貴族。
「こっち」に来てから2年で得た印象はそんなものだ。

『麗しの王都ランバルディアー到着にございます……次回も大陸馬車のご利用をお待ちしております』

 馬車が王都正門の停留所に止まる。大陸馬車は「あっち」でよく利用していた「こうそくばす」によく似ている。王都からどこかへ旅立つ人間がより集まって自分が乗るべき馬車の到着を心待ちにしている。馬車を運営する組合員が、大声と身振り手振りで客をたくみに誘導し馬車に人を押し込めていく。剣を背負った冒険者も豪奢な服の商人も粗末な服の労働者風の家族も平等かつ迅速に馬車に乗車させられていく。トラブルも頻発するが足の踏み場もない喧騒と屈強な衛視によってすぐさま騒動は喧騒に消えていく。
 王都からどこかへ旅立つ人々と入れ替わりになるようにユノは王都に入っていく。大抵の人よりも背が低いユノにとってはこの時間は不快以外のなにものでもない。
 ドンテカとは比べ物にならないほどの喧騒さと明るいエナジーに辟易しながらも中央に聳えるランバルディア王城――リーンベルネの方向へ歩いていく。
 喧騒のなかへ消えていく白髪の少女の背中を、風船を持ったピエロがじっと見ている。
 泣き笑いのように化粧した顔のまま、道化服の襟元についた「何か」に向かって呟いた。

『道化より――灰かぶりの王都入りを確認。繰り返す灰かぶりの王都入りを確認。状況を移行せよ』

 子供と母親が風船をもらいに寄ってくる。するとピエロはいつものようにサーカスの興行があることをひょうきんに報せながら子供に風船を手渡した。



『月』の暦1065年
天候:曇り 8月16日
13時40分――昼が終わり各々が仕事に戻るべき時間
王都ランバルディア王城リーンベルネ


 バラックの訓練場の土を、鋼のブーツが躍る。
 その華麗な足捌きの持ち主はまだ年若い――十五前後の少女だ。
 貴族を表す赤毛はあまり手入れされず後ろ頭にひっつめている。蒼い双眸に引き結ばれた小さな口元。その頬に残る大きな刀傷がなければ城下の吟遊詩人あたりが美貌を褒め称える詩でも歌っていたかもしれない。
 ブーツと同じ鋼の首当てに鉄の輪を連鎖して造られたリングメイル。軽装を重視しているのか細いしなやかな腕は二の腕まで露出されている。
 グローブに包まれた両手には特徴的に湾曲した細い剣が上段と逆手に握られている。
 長さの違うそれを巧みに操りまるでダンスでも踊るかのように訓練相手の甲冑の騎士に剣戟を加えていく。上段の振り下ろし――逆手の首を狙ってのなぎ払い――瞬時に持ち替え、股間から天辺まで流れるようなスラッシュ。
 その瞬間、少女は猫のようにしなやかに空中を伸び上がっている。
 相手役の甲冑の騎士も巧みな剣技で少女の剣を捌いていたものの最後の一撃に耐え切れず剣を弾き飛ばされる。
 そして打つ手のなくなった甲冑に騎士が剣を突きつけて――勝利の宣言。

「殺った!」
「はい、殺られました」

 ひゃー、とその姿に見合わないコミカルさで甲冑騎士が手を上げて降参する。
 その騎士の様子に少女は満足したようにうむ、と頷くと剣を腰のベルトに吊り下げる。

「いやぁ、ルビィなんだか今日はいつにも増して気合入ってるねぇ」
「当たり前だ!」

 間延びした口調で少女――ルビィに話しかけたのは甲冑の騎士だ。
 やれやれとフルフェイスのヘルメットを脱ぐとそこには浅黒く、健康的でいかにも人の良さそうな青年の顔が覗いた。汗ひとつかいていないその顔には見る人を安心させるような笑みが浮かんでいる。

「今日こそ姉さまの仇を討つ!私はそう心に決めているのだ!」
「いや、まずいんじゃないかい?相手は勇者だろ?姫様のご友人だぞ」
「わかっている…だから殺しはしない」

 ぐ、と周囲に聞こえるくらいグローブに包まれた拳を握り締め、決然とルビィは呟く。その目には炎が燃えさかり、今にもその「仇」を燃やし尽くさんばかりだ。

「だから!」
「だから?」
「半殺しにする!!」
「決然ということじゃないよねルビィ」
「もうそろそろ到着する頃だ…ゆくぞついてこいフリード!弔い合戦だ」
「ねえ聞いてる?僕の話、ちょ、痛いからひっぱらないでよ痛い痛い」

 どこかずれた雰囲気のある――親子のような身長差の2人の騎士。
 騎士団の期待のルーキーにして双剣技の使い手ルビィ・ギムレット・アンテローズ。
 そのお転婆な振る舞いに付き合わされる人のいい平民騎士、フリードリヒ・ヴァイセン。

 この2人の登場によって――物語は動いていく。

 過去から逃げた勇者は旧友に呼ばれて
 復讐に燃える1人ともう1人は勇者を迎え撃ちに
 その二者の舞台の裏側で、何者かが暗躍する。

旅立ち  生活の終わり

『月』の暦1065年
天候:快晴 8月17日
(時刻記載なし)
砂海入り口の村――ドンテカ
村外れにひっそりと佇む小屋


(おまえのせいだ)


(おまえのせいで、我らは)


(裏切り者)


(許さぬ、許さぬぞ小娘)


 ユノは疲労困憊している。
それは足元に絡みつく泥と、着慣れない金属鎧のせいだ。
雨も酷い。そもそも雨とはこんなにも血生臭いものだっただろうか?
顔に降りかかる雨はどこか赤い色を帯びているような気がする。
血のような、雨。
背後に忍び寄る気配に、振り向きながら剣を振り下ろす。
「神の加護」によって必要以上に強化された剣の一撃が、槍を構えた騎士を一閃する。
槍ごと切り裂かれた騎士は悲鳴すらあげず、泥の中に崩れ落ちる。

――ああ、剣が重い。

 ユノは一足に跳躍すると斧を構えた騎士と、それに守られるように弓でこちらを狙う騎士に肉薄する。
 力任せに振り回される斧を篭手で払いのけ、刺突。そのまま絶命した騎士の身体を盾にして強引に弓を持った騎士に近づく。
 振動、矢が放たれたのだろう。鉄の鎧と筋肉はそうそう貫通しない。
用済みになった「盾」を捨てると距離を開けようと後退した騎士を押し倒し、剣の 柄で殴る。
 がん、だか、ごん、だか小気味のいい音を立てて兜がひしゃげる。
 生暖かい泥だか血だかが顔に飛んできて気持ちが悪い。


――シャワーが浴びたい・・・シャワーって何だったっけか


 何か大事なものだったような気がするが、と首を傾げながら立ち上がる。
 ああ、それにしても、とユノは泥にまみれた大地を歩きながら考える。

(あの子たちは逃げれたかな?逃げて、出来れば生きてて欲しい)

 雨に紛れて近づいたのか、軽装の騎士が猫科の動物を思わせる跳躍と共に剣戟を入れてくる。

 二刀流。コンビネーション。
 連続で振るわれる刃と刃を剣と篭手を使って受け流す。

 なかなか手強い。

 少しでも隙を見せれば致命的な一撃をもらいかねない。
 足元のぬかるみと身体を大地に縛りつける鎖のような雨。

 この悪条件がなければ状況はもっと目の前の騎士にとって有利に動いていただろう。
 ふっ、と下からの風を感じて咄嗟に上体をそらす。反応できたのは間違いなく幸運だった。

 次の瞬間に見えたのはブーツに包まれたつま先。
 危うく首の骨を折られるところだった。
 姿勢を落として身体をねじりながら騎士のふともも付近を裏拳で一撃する。鉄と鉄の擦れあう音が響き、騎士が体勢を崩す。その頃にはユノは腰を落としたまま泥の上で体勢をたて直し騎士に身体ごと突進し、剣を首に突き刺す。
 骨を突き砕く感触がいやに手に残った。
 騎士はびくん、と1度だけ大きく震えるともう動かなくなった。
 荒い息を吐いて、騎士の身体を泥に横たえる。

 重い体。汗で滑る剣。血のような雨。熱い泥。
 何もかもが不愉快で、最悪だった。


(おまえのせいだ)


(おまえのせいで、我らは)


(裏切り者)


(許さぬ、許さぬぞ小娘)


(ああ、クソ、うるさいな――自分たちが悪いんでしょ)


 がしゃ、がしゃ、がしゃ、がしゃ、鉄の擦れあう音がする。
 雨を通して伝わるその音はユノとその周りの死体を包囲するように近づいている。
数は特定できない。少なくとも20よりは多い気がする。
 ひとりきりのユノにあるのはどうしようもなく重い体と鈍器と化した剣のみ。
 もう何もかもたくさんだとユノは思った――剣を投げ捨てて跪けば楽に逝けるだろうか?
 それとも、十字架にでも架けられて火炙りにでもされるだろうか

「――――ユノちゃん」

 とても懐かしい呼ばれ方をした。誰だろう、そんな呼び方をするのは
 いつの間にか雨が止んでいる。体の重みも、プレートに束縛される圧迫感もない。そのかわりに胸が痛かった。
 きゅう、とこみあげるような逃げ出したくなる痛みがユノの薄い胸の間で火傷のように熱を発している。

「――どうして、こんなことを」

 懐かしい声!懐かしい顔!二度と聞きたくもない!
 ユノの目の前に「彼」が立っている。さらさらの黒髪、やさしげな目。細いがけしてひ弱ではない体を不思議な光沢を見せる鎧が隠蔽している。
 あいもかわらず似合わないマントが揺れている。勇者らしい、と言うと困ったように笑っていたっけな
「彼」はいつもの通りに、誰にでも優しく平等な視線を悲しみに歪ませて。
 今にも泣きそうな――捨てられた子犬のような表情でこちらを見つめている。

「気づいてあげられなくて、ごめん」


 ユノは臆面もなく悲鳴をあげて――意識を失った。


「うわああああああっ!!!」

 がば、と身体を覆っていた布――のようなものを蹴り上げて、その反動で何か固い床のようなものにしたたかに身体をぶつけた。
 心臓が早鐘のように鳴り響いて、視界が明滅している。歯の根も合わず、どこか頭の中の冷静な部分が「脳みそが危険な物質を分泌し過ぎています、沈静すべきです」と自己診断を下していた。
 無意識に腰の後ろに手を回している。通常ならばそこに護身用の短剣を差している筈だが
――ない。その事実だけでユノはパニックになっていた。

(武器だ、冷静になるには武器が必要だ。)
「あ、ユノさんおはよーっス」
「・・・・・・!?」

 突然の声、推測するに女性の、声。位置はユノの正面で大股2歩分の距離。
 敵かそれ以外か、そんな判断は働かなかった。

 ひたすら獣のような動きで顔すら確認しないまま突進し、押し倒す。
 首元を狙った右手は目測を誤ったのか何か柔らかくて暖かいものを掴んでいた。

――ふにゃあっ!?

 ずいぶんと間抜けな悲鳴だ・・・・・・と、そこまで動いてからユノはぴたりと体の動きを止めた。

「いやん♪ユノさん朝から大胆ですねー・・・でもわたしもユノさんも女の子だし、もっとお互いを知ってからこういう関係になった方がいいと思うんですよ、両親への挨拶も済ませてないですし」
「・・・・・・どうして私の部屋にあんたがいるのよ」
「そりゃあ、郵便配達人ですし」
「入ってくんなよ、なおさら」

 散らかった小屋の中心で、豊満な胸を鷲掴みにしたまま半人半獣の女性アリカとユノは夜這いのような姿勢でそんな会話をしていた。



「はい、コーヒー」
「・・・あんがと」
「もっと可愛らしく感謝してください」
「嫌」

 ハプニングから数分後、当たり前のように家に居座ったアリカは日課といわんばかりにユノの文の朝食を作っている。手馴れた様子でスクランブルエッグを作るその姿に通い妻という言葉が浮かんできて背筋がぞっとした。

「~♪」

 機嫌よさそうに料理をするアリカをぼんやりと見つめる。
 アリカ・マイルズ。リザードマンと人のハーフ。亜麻色のふわふわとしたセミロングに大きな金色の瞳。瞳孔が縦長で見る人によっては怖いかもしれない。いつも笑みを浮かべた口元からは尖った牙が見え隠れし、口の中は染めたような青色だ。
 背はユノより高く(大抵の人はユノより高い)豊満な胸と引き締まったウエストが男性には魅力的かもしれない。身体のところどころに生えた緑色の鱗さえなければどこかの金持ちのぼんぼんでもつかまえて公爵夫人にでもなっているだろう。

 ユノとの経緯はじつにくだらないものだ。

 村に武器の修理にいった時に酒でも飲もうかと思いたち近場のバーに足を踏み入れた。ユノの顔を知らないもののねっとりとした視線と知ったものの警戒の視線に苛々としながら席に座りエールを注文――しようとしたさいに背後から悲鳴が聞こえた。
 バーという場所は基本的に暇を持て余した冒険者や傭兵が多く溜る場所だ。特に近場にメルカトル大砂海という大きな「金」が転がる場所には腕もたつが自尊心も強い連中が多く集まる。
 そういった連中の中には馬鹿騒ぎと迷惑行為を履き違えている輩が時としている。
 そんな連中にバーの隅に連れ込まれ今にもウェイトレス服を脱がされかかっていたのがアリカその人だった。腕を押さえ込まれ、胸を揉みしだかれている。必死に抵抗しているもののパンツを降ろされるのも時間の問題だろう。


 助けて!と叫んでも誰も助けようとしない。


 アルコールに酔っ払い過ぎて耳が悪くなってたり、賢明にも無関心に一瞥したり、好色そうな視線を向けてにやにやと口角を歪ませたり、その日に限ってはそんな連中ばかりだった。
 その日の機嫌の悪いユノはバーのマスターに一瞥を向ける。
 枯れ木のような老マスターは人生とはそんなもんだとばかりに悲しそうに首を振るばかりだった。
 ぺっ、とつまみのオリーブの実を吐き捨てて隣で恐々とユノの方を窺っていた若い男女のワインボトルを拝借する。
 なにやら文句を言っていたようだが半眼で睨みつけるだけで沈黙してくれてありがたかった。
 そんなに広くもないバーをスタスタと渡りきり、まだ未開封同然のワインボトルの首を棍棒でも握るように持ち替える。
 あとに起こったことはシンプルだ――振り下ろされたボトルはパンツを脱がそうと背を向けていた馬鹿の頭を一撃し、顔を赤くして剣を抜こうとした胸のほうの馬鹿は股間を「パンシール卿のデイリーワイン」のラベルに描かれた濃い顔の貴族にキスされてバーの床に沈んだ。
 その後は後ろの方でおずおずとこちらを見やる若い男女にワインの代金を渡してバーは出入り禁止になった。ユノの廃人同然の生活で起こった――実に瑣末でくだらない1日のドラマだった。

 ただアリカの方にはどうも大きな出来事と認識されたらしく――「一生の恩人です!」と感謝された後にずるずると――唯一の友人ともいえるポジションになってしまっている。
 ウェイトレスからギルドの郵便配達人に転職した理由を問うと「プライベートでも仕事でもユノさんに会えるからです!」と返されてしまった経験がある。
 レズではないと思いたい。ただのリザードマン種族独自の性格らしい「強い人間には性別の関係なく敬意を抱く」というものであって欲しい。
 そうでないと困る。
 臆病なユノには「アリカってもしかしてレズ?」とは決して聞けないのだ。

「何か失礼なこと考えてます?ユノさん」
「気のせいでしょ」
「まあいいや――はーいスクランブルエッグとスープとパンですよー」
「ありがと」

 えへへ、と牙を見せて笑うアリカに簡素に礼を言うと朝食にとりかかる。特別旨いわけはないものの冒険の依頼をこなす以外は狩りか飲んだくれるかという暮らしを送っているユノにはとてもありがたいものだった。
 だが同時に「これでいいのか」とも感じている。ユノは王都の大半の人間からは「魔族に組して英雄たる騎士を殺害」した大罪人であり、「みんな」やギルドを媒介した王都とのある契約によりなんとか死刑を免れている身だ。
 そんな人間の横にはどんな人間もいるべきではないとユノは思う。ユノには勇者として与えられた力があるがアリカはか弱い女性だ、ユノに特別な悪意と復讐心を持つ者の中には彼女を殺すか汚すかすることでユノの罪を断罪すると考えるものもいるかもしれないのだ。先日のフィオナ・ベルのような理性的な人間はあまり多くない。
 そんな事になってしまったらもうユノは人間にも勇者にもなれない。きっと魔族よりよほどたちの悪い存在になってしまうだろう。
 しかしユノにはアリカを突き放すことが出来なかった。ユノに信頼の目を向けてくれる彼女。廃人同然だった生活を立て直してくれた彼女。絶妙な距離で接してくれる彼女。
 浅ましいことに――ユノはアリカのことが好きなのだ。

「あ、そういえばユノさん」
「――何?」
「あなたに手紙が来てるんですよ、それも珍しいことにギルド郵送ではなく普通の手紙!ユノさんも普通の文通相手とかいたんですねぇ」
「……」

 否定する気にもなれずユノはアリカからその手紙を受け取る。かなり上質な封筒で、ギルドからいつも送られてくる粗雑な茶封筒とは明らかに違う。
 と、封筒の裏側に流麗な書体で書かれた名前を見てユノの手は固まった。
 テーブルを挟んでコーヒーを飲んでいるアリカに小さく訊ねる。

「アリカ」
「なんですかー?ユノさん」
「中身……見てないよね?」
「さすがのユノさんでもその発言はどうかと思いますよぉ、郵便配達人の誇りに賭けて手紙の封は切ってませーん!」
「……そっか」

 懐かしい筆跡。確か「こっち」の文字は、彼女に教わったんだっけか。
 真っ白で、どこか花の芳香が薫る封筒の裏にはこう書かれている。


 あなたの永遠の親友――セリア・ランバルディア・イヴヴァルトより