わたしが今、もっとも課題としている「嫉妬」という感情とどう向き合うかについて、この本はこれからの私の指針となるものを提示してくれた。

愛されたいと思うのでなく、「愛する」のである。

愛は対等で自由である。

私を愛してくれるかどうかは相手が決める。愛は強制できない。

属性として生きるのではなく、個性として生きていくこと。

相手は、私の所有物ではない。

嫉妬する人は劣等感がある。常に他人と比べ、競争をしている。質的なものでなく量的なものを比較している

嫉妬する人は、愛したいのでなく、愛されたいのである。

思いは変わるものであり、それは自分も同じである。

小説家は他人が受賞したとき妬むのではなく、小説を書き続けなければなりません。

自分の個性を発見し、他人の個性も発見する

愛されても愛されなくても自分の価値に変化はない。

自分の価値は、他の誰にも代えることのできない自分自身、つまり個性にある。自分は生きているだけで価値がある。

「マチネの終わりに」と「ある男」をAudible で聴き、両方とも最後のシーンで泣いてしまった。本を読んで泣くというのは、何十年ぶりだろう。自然に感動をして涙した。最近、すっかり平野さんの本にはまっている。登場人物一人一人の気持ちを細部にわたり描写し、それも、私の今の生活とは無関係の環境の方々の境遇や心境を描いている。その背景の複雑さとその中で揺れ動く人々の感情の起伏に私自身、共感し、振り回されながら読了するのである。ちなみに「マチネの終わりに」は2回Audibleで聴いた。久しぶりに恋愛小説を読み、男女間の感情のやり取りに、惹かれあうということに深い感動を覚えた。New York のセントラルパークで再会した二人がその後、どうなろうと、私がヨウコなら、このセントラルパークでの再会でもう残りの人生を十分幸せに過ごせるような気がした。

ビルをジャッジすることはできない。ビルは言う。自分は現場で共に闘ってってきた。批評するだけの人たち、何もしない人たちとは違う。命をかけてきたと。

ただ一方的にビルを批判し、正義をかざして、どんな言い訳も正当化されないなどどいうような感想を述べることは、今はしない。年をとってきていろいろな人生があるということを少しわかるようになったからである。

この映画からわかるのは、その時代、自分たちの信念をもとに闘った人々がいて、一方、国家秩序を守ろうとした側もいて、それぞれがそれぞれの正義のもとに、矛盾と葛藤しながら生きていたということだ。誰もジャッジすることはできず、一つ一つの決定をリスペクトしなければならないと思った。

何も体験していない私が、このような映画やニュースだけをみて、あーだこーだとジャッジすることはできない。大変、困難な時期、自分たちの信念のもとに命をかけて闘ってきた人がいたおかげで、今の私たちがあるということに感謝する。