中国に生産工場を開きたい。
目標ができた。
前にも書いたが、日本国内で信用取引を行っていると、どうしてもキャッシュフローが悪くなる。
資本金300万円、これを大幅に増やすことなどとても出来そうにない。
中国の工場で、頭金をもらい、そして生産し、出荷し即入金されるシステムだと、材料費を後払いにすればいくらでも発展できそうな気がした。
人件費と言うのは、日本も中国も基本的に後払いだ。末締めの翌月末払いと同意義。
ひどい会社であれば、15日締めの翌月末払いの会社もあると言う。
この場合、従業員に45日間労働を「ツケ」てもらっている状態だ。
当時の中国の工場では、20日締めの翌々月という工場もあった。
この場合、70日間労働を先に借りている事になる。
工場の家賃は、これも日本も中国もほぼ同じ。
敷金を3か月~6か月払い、前家賃1か月払う。
しかし、家賃の場合はフリーレント期間というモノがあって、最初の6か月くらいは家賃が発生しない契約方法が存在する。
フリーレントは日本の方が多いが(交渉次第)、中国の工場では「改修期間」と言う名目で数か月サービスしてくれる。
やはりキャッシュフローはいい。日本より断然良い。
ただ、中国の工場を開くに当たっては
「設備投資」
が必要となる。
ここがちょっと面倒な個所だ。
工場さえ開いてしまえば、キャッシュフローは楽に経営できる。1000万円で月商1億円の商売さえもできるだろう。
しかし、生産工場には設備投資が絶対に必要だ。
この段階ではいったいいくら必要なのか全く想像もできなかった。1000万円なのか3000万円なのか、仮に1億円と言われても当時の俺には「そんなもんか」と思ったと思う。
知識ゼロの状態で、実際にうまくいくのかわからない。40歳に近づいた今であれば、とても冒険できない事だと思う。
でも当時の俺は、ほぼ悩むことなく、即決即断で中国に工場を開くためのプロセスを考え、そして実践した。
まず俺が考えたことは、
成功している、もしくは成功しそうな中国の工場に入り込むこと。
従業員として入り込むこと。
そうしない事には何も見えてこない。
会社には秘密があり、絶対に見えない部分と言うものも存在すると思う。中核をなす部分だ。
しかし、俺の経験で言えば、ある程度は分かるはずだ。90%いや98%くらいのノウハウは目で見えるはずだ。
当時、よく本を読んでいたが、その時読んだ本で書かれていた事を鮮明に覚えている。
成功したければ・・・・・
「誰にもできない事をやる必要はない。誰にでもできることを、誰にも出来ないくらいやるんだ」
今となっては胸に沁みるくらい良くわかる。当時の俺には深い意味は分かっていなかっただろう。でも、若かった俺を刺激するには十分な言葉だった。
「工場を開くなんて、誰にでもできるんだ。中国の怪しくて学のないおっさんが経営しているじゃないか。俺ならば絶対にできる。」
根拠のない自信の塊だった若かりし頃の俺は、出来ないと言う可能性を全く考えていなかった。
俺はすぐにクラウン工場を訪問し、新さんと会った。
「新さん。大事な話があります。」
「何?」
「俺を営業部長として雇ってくれませんか?」
「?営業部長?」
当時クラウン工場は決して大きな工場ではなく(後年すごく大きくなる)、日本向けに出荷していたけれど日本語スタッフは変な日本語使うし、やる気がない男だった(後日登場する中国人の光男君)。
営業という言葉さえも知らないような中国人の窓口に、品質管理の概念もない工場長。お客さんの要望の材料をなかなか探さない仕入れ担当。納期が遅れても特に気にしない総経理。
当時はそれでもお客さんは寄ってきていた。何故ならどこの工場も似たり寄ったりだし、完璧を求めることは当時の日本顧客はしなかった。
「営業部長にして下さい。お客さんを探してくるし、品質管理や納期管理も俺が管理します」
「・・・・・。」
「給料は不要です。その代り、俺が探してきたお客さんには出荷金額の4%をください。」
「・・・・・・・」
新さんは考えていた。いや、考えるふりだ。内心では大喜びしていた(後日そう言っていた)。
そもそも、クラウン工場のある地域は、中国の中でもトップクラスの田舎だ。本当に何もない。
都心部から車で3時間。当時は高速道路も無かった。
停電は週3回確実に起こる。コンビニどころか店もない。中国人でさえ、この地域は田舎すぎるからと言う理由で来ない人間もたくさんいた。
そんな場所に、大学を卒業した日本人を雇うチャンスなどあるわけがない。今までずっと求人募集していたようだし、日本人ではなく、中国人でさえも大学卒業者は働いてくれない。
それが給料ゼロで、しかも、新規顧客を開発すると言っている。品質管理も納期管理も見ると言っている。
断るわけがない。っと後日新さんが言っていた。
しかし、そこは商売人の中国人。さっそく飴と鞭を使いだした。
「わかりました。ただ、4%は厳しいので3%にして下さい。その代り、あなたが日本に帰国する際の飛行機代と、出張費、は会社で負担します。あと携帯電話とパソコンも支給します」
出張費なんていうのは会社が出して当たり前だ!っと言いたかったが、それは言わなかった。
では早速翌月から働きましょうとなって、最後に言い忘れていたことがあったので伝えた。
「新さん。後日トラブルになるのは嫌だから先に言っておくけど、俺は将来的には自分で工場を開きたいと言う夢がある。それについて何か約束事があれば今のうちに行ってください。」
「そんなのは誰でもそうですよ。実力があって資金があれば皆独立したいと思っている。私だってそうしたから。ただ、仁義として2つだけ。顧客を引き連れていかない事。もう一つは幹部従業員を引き抜かない事。これだけ。」
「わかった。約束する」
契約書を結んで、翌月から働くことになったと皆に紹介された。
総員40人くらい。
26歳でその現場の最高責任者になった。
そして、日本の業務をまとめて次男に引きつぐためにおれは帰国した。
日本から給料30万円もらえるからこそ、無謀な挑戦ができる。上手くやらなければ・・・。
帰国した俺を待っていたのは、次男が起こした面倒なトラブルだった。
