Maho Exhibition「厚いくちばしの島」
過去に数回、イベントなどの展示にしか参加してこなかった作家Mahoの初の個展が開催されます。一度目にした人には強烈な印象を与え、きちんとした展示が熱望されていましたが、
この度はじめて個展という形で展示が行われます。
点描、アクリル、水彩画と多彩な技法で描かれた平面作品の数々を是非御覧ください。
Maho Exhibition「厚いくちばしの島」
会期 2012年8月17日(金)~23日(木)
時間 13:00~23:00(初日19:00から 最終日19:00まで)
休館 日曜祝日
会場 CAI02 raum1 札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2(地下鉄大通駅1番出口)
ライブ・パフォーマンス 8月17日(金)19:00~
※作家によるライブパフォーマンスを行います。
ご来場の方は併設のカフェで1ドリンクご注文をお願いいたします。
Maho HP http://mahosuzuki.tumblr.com
彼女の恩師であり、創造都市さっぽろ・国際芸術祭実行委員会副会長の武邑光裕さんから展示に際してコメントを頂きました。
『美しい虚言―Mahoのものがたり』
武邑光裕・創造都市さっぽろ・国際芸術祭実行委員会副会長
Mahoは、学生時代から美しい「虚言と幻想」を表現してきた稀有な才能の持ち主である。一見おしとやかな女性だが、内なる過激が、鋭く光る表現へと駆り立てる。卒業制作で描いた「絵本」は、Mahoの才能を示す一端だった。ノイズ音楽から視覚デザインといった既成の表現手段はもとより、彼女にはストーリーテリングや、何より幻想や虚言を語る才能が迸っている。
アイルランド出身の詩人で劇作家のオスカー・ワイルドは、19世紀末に台頭したリアリズムの風潮に対峙して、「虚言の衰退」(The Decay of Lying,1889年)という対話形式の評論を書いた。この中でワイルドは、芸術とは人生の事実を模写するものではなく、創意や想像をもとに、人生を新しい形につくりかえることだと主張した。要は、芸術は「虚言」、つまり「美しい不実を語ること」を目的とし、誇張の一形式だとも述べ、現実の社会から芸術という「虚言」が衰退することの危機を問うたのである。
そして「芸術は自然の模倣」ではなく、「自然は芸術の模倣」であるという有名な結論を導く。自然はそれ自身では何も語らず、すべては人間が芸術を通して語ってきたもので、自然現象や人工物に至るまで、芸術がそこに美や物語を付与してはじめて、自然は何かを語り出す。霧がロンドンの風物詩になり、それが美しいと感じられるのは、芸術が霧をそのように描いてきたからだ、という喩えは有名である。自然を保護しようとする意識にも、芸術という美しい虚言や誇張の形式がどれだけ作用しているかを想像すれば理解できる。
政治や経済の嘘が累積し、人々は現実と直視し、透明性を求める。過去から現在に続く「卑しい虚言」が自然となるような時代だからこそ、芸術という「美しい虚言」が人生の新たな形を語り得るのである。現代のリアリズムが、根こそぎ芸術の虚言までを否定してしまうことは避けなければならない。 Mahoが、この美しい「虚言と幻想」を、際限なく表現して行くことを望む。そして、彼女の次なる虚言と早く出会いたいと思う。



この度はじめて個展という形で展示が行われます。
点描、アクリル、水彩画と多彩な技法で描かれた平面作品の数々を是非御覧ください。
Maho Exhibition「厚いくちばしの島」
会期 2012年8月17日(金)~23日(木)
時間 13:00~23:00(初日19:00から 最終日19:00まで)
休館 日曜祝日
会場 CAI02 raum1 札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2(地下鉄大通駅1番出口)
ライブ・パフォーマンス 8月17日(金)19:00~
※作家によるライブパフォーマンスを行います。
ご来場の方は併設のカフェで1ドリンクご注文をお願いいたします。
Maho HP http://mahosuzuki.tumblr.com
彼女の恩師であり、創造都市さっぽろ・国際芸術祭実行委員会副会長の武邑光裕さんから展示に際してコメントを頂きました。
『美しい虚言―Mahoのものがたり』
武邑光裕・創造都市さっぽろ・国際芸術祭実行委員会副会長
Mahoは、学生時代から美しい「虚言と幻想」を表現してきた稀有な才能の持ち主である。一見おしとやかな女性だが、内なる過激が、鋭く光る表現へと駆り立てる。卒業制作で描いた「絵本」は、Mahoの才能を示す一端だった。ノイズ音楽から視覚デザインといった既成の表現手段はもとより、彼女にはストーリーテリングや、何より幻想や虚言を語る才能が迸っている。
アイルランド出身の詩人で劇作家のオスカー・ワイルドは、19世紀末に台頭したリアリズムの風潮に対峙して、「虚言の衰退」(The Decay of Lying,1889年)という対話形式の評論を書いた。この中でワイルドは、芸術とは人生の事実を模写するものではなく、創意や想像をもとに、人生を新しい形につくりかえることだと主張した。要は、芸術は「虚言」、つまり「美しい不実を語ること」を目的とし、誇張の一形式だとも述べ、現実の社会から芸術という「虚言」が衰退することの危機を問うたのである。
そして「芸術は自然の模倣」ではなく、「自然は芸術の模倣」であるという有名な結論を導く。自然はそれ自身では何も語らず、すべては人間が芸術を通して語ってきたもので、自然現象や人工物に至るまで、芸術がそこに美や物語を付与してはじめて、自然は何かを語り出す。霧がロンドンの風物詩になり、それが美しいと感じられるのは、芸術が霧をそのように描いてきたからだ、という喩えは有名である。自然を保護しようとする意識にも、芸術という美しい虚言や誇張の形式がどれだけ作用しているかを想像すれば理解できる。
政治や経済の嘘が累積し、人々は現実と直視し、透明性を求める。過去から現在に続く「卑しい虚言」が自然となるような時代だからこそ、芸術という「美しい虚言」が人生の新たな形を語り得るのである。現代のリアリズムが、根こそぎ芸術の虚言までを否定してしまうことは避けなければならない。 Mahoが、この美しい「虚言と幻想」を、際限なく表現して行くことを望む。そして、彼女の次なる虚言と早く出会いたいと思う。



