車は大破したが幸い母も私も大した怪我はなかった。
運転していたのは母だったが、二日間の入院で済んだ。
エアバックの陰に母の動かない姿を見た時、不思議と母の死という可能性は思いつきもしなかった。
実際死んでなどいなかったのだが。
私の中で、母の死などあり得なかった。母がいない生活など考えたこともなかったのだ。
だが、どこにもそんな保証はないのだった。私は何故に母の存在を当然のことと考えていたのだろうか。
事故、災害、病気に怪我...
防ぎようのない、予知不可能な死の可能性はいつでもどこにでもあるというのに。
今日の日本社会においてほとんどの人に当然のごとく約束されている平和というぬるま湯に頭まで浸かってしまっている私たちは、時にそんなことでさえ忘れてしまう。あるいは忘れようとする。
たしかに考えてもきりがないことではあるかもしれないが、考えるのをやめた時、恐ろしいことが起こるのではないか。そう思えて仕方がない。
そして今自分もしくは愛する誰かが今生きている確率、生きて明日を迎えられる確率、そんなことを考えた時、人の生き方は例え少しでも変わるのではないだろうか。