PK戦のことを考えながら延長戦を戦っていると、油断から、予期せぬ油断が生じ、悲劇が生まれる。

 また、これとは別に、

 勝ったらどうしようか、と考えるポジティブさも大切だろう。


 僕はよく、勝っても空虚だなぁと思う。
 良い音楽ができたらなぁ、と思う人はそう考える。理想のサッカーについてもそうだ。
 本当はこれではいけない気がする。
 良い音楽と、勝利とが合致する考え方をするのでなければ。


 もし、「勝っても空虚だ」と思うのなら、

 自分の限界を自分で制限していないか?

 と考えてみる必要があるのかもしれない。



 僕には自傷癖があるのかもしれない。
 もちろん、肉体的な自傷癖ではない。精神的な自傷癖である。


 これは計画性ということにも当てはまる。

 計画とは、将来の展望に関する自分の想像であり、自分はそのように歩むのであるという、将来の自分を想像するものだ。

 この計画という考え方には、どれくらい先を見通しているのかは関係ない。
 今から一日をどう使っていくのか、と考えてもいい。
 将来どんなことをしたくて、その為に今どのようなことをするのか、と考えてもいい。



 そう考えると、この逆の考え方にも目がいく。

 今、自分のやりたいことをすることで、将来はそれが実現するような世界に、自動的に導かれる。

 なるほど、こう考えれば、計画など必要ないのかもしれない。



 どちらかにする、というのはどうもあまり好きではない。
 経験的に、ハイブリッドが一番だということを知っているからだ。


 結果をいえば、
あるときは今から思いを馳せるべきだし、
あるときは先を見通した今を生きるべきだ。
そうすることが、全体として一貫性を保つコツだと思う。


 どの視点がうまく働くのかわからない。
どちらも見通せるのが良いに決まってる。


 そして、行為、態度、それ自体は、無意識的でもなんでも、自動的に行動しているように。

 これは、音楽と同じで、

 いまとりあえず全身全霊をかけてやってみるのだけれど、

 それでいっぱいいっぱいにならずに、

 評価する。ということ。