皆さま、こんにちは。
また前回の更新からかなり時間が経ってしまいました。
今日は、いつもながらの大変遅ればせながらではありますが、今年の5月5日に満84歳で亡くなられた、世界的な音楽家の冨田勲氏への追悼といたしまして、氏のシンセサイザーによる初の作品『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』より、J.S.バッハの『シンフォニア第2番 ハ短調BWV788』の部分を抜き出してお送り致します。
ちなみにテレビの『題名のない音楽会』でも、昨日は冨田勲氏の追悼特集が放送され、今ならYouTubeで完全版を高画質&高音質で視聴することが出来ると思います(ただしあまりにも映像のクオリティが高いため、すぐに消されてしまう可能性もありますので、もし興味がおありでしたら、お早めにご覧頂いた方が良いかと思われます)。
さて、本日 Caffè LORENZO でご紹介させて戴く作品は、氏がモジュラー式のモーグ・シンセサイザー(モーグlll-P)を初めて入手してから、僅か3ヶ月ほどで製作されたもので、そのためウィキペディアなどでは “習作” という扱いになっており、一般的には、シンセサイザーの導入から1年4ヶ月を費やした『月の光(1974年)』が、冨田勲氏のシンセサイザー音楽作品としての正式なデビュー・アルバムとされているようです。
この『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』は、TBSブリタニカ発行の『世界こども百科(1972年)』の付録のピクチャーLPアルバムとして発表されており、のちにカセットテープ版も作られました。
実は『世界こども百科』は、子供の頃僕の家にもあり、我が家のはカセットテープ版の方でした。
そして僕がこのテープを初めて聴いたのは、なぜか中学生になってからのことでした。
ある日たまたま(もしかしたら大掃除中だったのかも知れません)『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』のテープを見つけ、中にどのような音楽が収録されているのかすら全く知らないまま、興味本位で何となく再生してみたのでした。
曲が始まってしばらくの間は、“いかにも児童向け”といった感じの、既に中学生になっていた僕とっては正直に言って子供っぽく聴こえるメロディーが続いていたのですが、『せっかく掛けたのだから、一応最後まで聴いておこう。どうせ暇だし』くらいの気持ちで適当に聞き流していたのでした。
しかし曲が始まって15分くらいが過ぎた頃(正確には17分あたり)、突然これまでのお子様向けっぽい調子とは全く異なる、鳥肌の立つような鋭い響きの、深遠で美しく、そして物悲しく神秘的なメロディが始まり、僕は思わずラジカセに向き直ってしまったのでした。
その部分こそ、今日ご紹介させて戴く、バッハの『シンフォニア 第2番 ハ短調 BWV788 』でした。
実は僕は幼稚園の頃からヴァイオリンを習ってはいたのですが、作曲家などについては全く興味がなく、バッハという人物に関しても当時は、 “名前はどこかで聞いたことがあるような…たぶん外国の偉い人とかかな?” 程度の認識でした。
おそらく練習用の楽譜にも『バッハ』という文字は頻繁に登場していたのに違いないのですが、特にそれに注目したり関心を持ったことは一度もありませんでした。
本当にそういうことには無頓着な子供でしたから、練習中もそれが人名なのだという認識すらなかったと思います。
当時の楽譜は確かめようも無いのですが、もしも『バッハ』ではなく『J.S.Bach』と表記されていたとしたら尚更です。
また、カセットテープにも副読絵本にも『バッハ』という言葉は載っていなかったはずなので、途中から流れてきたその曲がバッハの作品なのだということなど、もちろん僕には知る由もありませんでした。
また言うまでもなく、冨田勲という名前も全く知りませんでしたし、カセットテープや副読絵本に表記されていたとしても、注意を払うことはまずなかったでしょう。
しかし、そういう状況でしたから却って、“歴史的な大作曲家の作品だから” とか “有名な音楽家の作品だから” というような先入観やプラシーボ効果などは微塵たりともあろうはずがなく、ただ純粋な感性だけで、初めて耳にする冨田版の“BWV788”の響きに、決して大袈裟ではなく文字通り戦慄したのでした。
僕がこの曲がバッハの作品であると知ったのは、恐らく成人して以降のことであり、更に“BWV788”だと特定できたのは更に後のこと…今でははっきりとは覚えていないのですが、下手をするとネット検索という習慣が僕の人生に登場してきてからだったのかも知れません。
もしも『一番好きな作曲家は?』と問われれば、僕は迷うことなく『バッハです』と答えるのですが、“音楽の父” J.S.バッハが余りにも高名で偉大な人類史上の巨人であるが故なのか、不用意に『バッハが好きです』などと人前で言うと、
『世俗的な価値基準に迎合している』、
あるいは、
『アカデミズムに毒されてバッハが偉大だと思い込まされているだけ』(某国立芸大卒のヴァイオリニスト談)、
更には、
という風に曲解されることが時々あるのですが、バッハという人物も、その曲がバッハの作品であることも何も知らないような、文字通り無知無教養な中学生の自分が、子供向けの百科事典の付録のカセットテープに過ぎない『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』の中の、特に“BWV788”だけに本能的に反応し、それ以降もしばらく長い間は、それが誰の作品かなどには興味を向けないまま、28分の交響詩の中の僅か1分25秒の“BWV788”のパートだけを、何度も何度もテープを巻き戻しては繰り返し繰り返し聴いて(当時のアナログなラジカセでこれをやるのはかなり面倒で手間の掛かる作業でした。スイッチも洒落たフェザータッチではなく、いわゆる “ガッチャン式” でした)しみじみと味わっていたのですから、今でも『自分は純粋にバッハが好きなのだ』と、これだけは胸を張って堂々と表明することが出来ます。
ここまで書いてきて、タイトルが『追悼・冨田勲先生』なのにもかかわらず、大バッハを讃えるような記述ばかりで、却って氏を蔑ろにしているような文章になってしまっていることに気付きました。
しかし、決して社交辞令的に書くのではありませんが、何度も『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』を聴いているうちに、バッハ以外のパートの良さもだんだん分かってきて、いつの間にか最初から終わりまでの全てが大好きになってしまいましたし、氏の作品によってバッハとの幸せな出会いを果たすことが出来たことについても、冨田勲氏には心から感謝している次第です。
そして、その後もCDやYouTubeなどを通して、数多くの有名演奏家による“BWV788”を聴いてみましたが、少なくとも僕にとっては、冨田勲氏の“『銀河鉄道の夜』版” 以上の “BWV788” と出会うことはありませんでしたし、恐らくこれからもないと思います。
またこのたび氏が亡くなられたのを機に、主にウィキペディアなどで冨田勲氏の余りにも膨大で偉大な業績を再認識して、己の無知に恥じ入っている次第でもあります。
つきましては、氏のエピソードの中でも、個人的に非常に面白いと思った部分をウィキペディアから引用させて戴きます。
『シンセサイザーとの出会い』
1969年に、大阪万博の東芝IHIのパビリオンの音楽を録音するため、大阪に滞在した。
訪れた輸入レコード店で、モーグ・シンセサイザー (MOOG III-C) を全面的に用いて作成されたワルター・カーロス(現在はウェンディ・カルロス)の『スイッチト・オン・バッハ』と出会い、これこそ求めているものだと直感した。
1971年秋頃、モジュラー式のモーグ・シンセサイザー(モーグIII-P)を日本で初めて個人輸入した。
非常に高額な楽器であり、金銭面で苦労したという。
当時、楽器として輸入しようとしたところ、日本ではシンセサイザーがほとんど認知されていなかったので、税関から軍事機器(むしろアナログコンピュータそのものであろう)と疑われ、税関の検査場で数ヶ月間止められ、しかもその間の保管料を請求されたといったエピソードがある。
楽器とは関税率が異なる精密機器として扱われそうになったので、楽器であることを証明する必要があったとされる。
証明に時間がかかったのは、シンセサイザーの演奏写真を送ってくれと頼んだのに、いつまでも来なかったからで、証明に使われたのはキース・エマーソンの演奏写真。
モーグには説明書が付属していなかったので、使い方が全くわからずに苦戦し、「高いだけの鉄くずを買ってしまった」と後悔している。
『シンセサイザー音楽作家としての活動』
1974年、シンセサイザーの導入から1年4ヶ月を費やしたシンセサイザー音楽作品としてのデビュー・アルバム『月の光』を制作。
当時このアルバムを日本の各レコード会社にもちこんだところ、「クラシックでもポピュラーミュージックでもなくレコード店の棚に置く場所がない」などの営業的な理由ですべて断られたとされる。
以上ウィキペディアより。
僕はこの中の、
「モーグには説明書が付属していなかったので、使い方が全くわからずに苦戦し、『高いだけの鉄くずを買ってしまった』と後悔している」
という箇所と、
「当時このアルバムを日本の各レコード会社にもちこんだところ、『クラシックでもポピュラーミュージックでもなくレコード店の棚に置く場所がない』などの営業的な理由ですべて断られたとされる」
の部分に、先駆者特有の苦悩や苦難が、極めて生々しく且つ象徴的に凝縮されている気がして、特に好きです。
昨日の『題名のない音楽会』でも、ヴァイオリニストの五嶋龍氏が『パイオニア精神』という言葉で表現しておられましたが、冨田勲という人物の最も卓越した特徴の一つは、やはり『先駆者』という点にあると思います。
また、今あらためて読み直して気付いたのは、冨田勲氏がモーグ・シンセサイザーと運命的な出会いを果たした際にも “大バッハ” が介在していたということです。
今更ではありますが、こういうところからも、やはりバッハという音楽家の偉大さには、何か計り知れないものがあるのだと感じさせられたりします。
前回でも少し触れましたが、どうせなら『トッカータとフーガニ短調 BWV565』とも、もう少し幸せな出会いが出来ていればと、それだけが今でも悔やまれます。
なおBWV 788は、のちに冨田勲氏のシンセサイザー音楽としての5作目のアルバムである『宇宙幻想(1978年)』の中の『ソラリスの海』を構成する2曲のバッハ作品のうちの1曲として再び使用されております(もう1曲はアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス(1972年)』に使用された、『我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ BWV 639』です)。
シンセサイザー購入から僅か3ヶ月で仕上げた“習作”『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』に比べると、シンセサイザー奏者として既に世界的な名声を獲得しておられた6年後の『ソラリスの海 』の中の “新・BWV788” は、当然より完成度の高い洗練された “THE TOMITA SOUND” となっているわけですが、僕にとってはより荒削りでシンプルではあっても、いやそれだからこそ『銀河鉄道の夜』の中の “旧・BWV788” の方が、やはり今でもより直接的に胸に響いてくるのです。
ただ今回の動画に使用した音源は、ある中古レコード屋さんが試聴用にアップされていたものをダウンロードさせて戴いたものですので、中古レコード特有のパチパチ音がかなり混じっておりますが、どうぞその点をご了解の上お楽しみください。
また使用した写真は、僕が北イタリアで撮ってきた中で一番 “『銀河鉄道の夜』のイメージに近い” と思われた、ヴェネツィアの写真を選んでみました。
僕の大好きなアラベスク風の装飾を施した、これぞ古き良きヨーロッパという風情のクラシカルな街灯の背後に佇むやはり大時代的な帆船は、イタリア海軍の練習船『PALINURO (起工1933年、進水1934年)』です。
ちなみにPalinuro(パリヌーロ)とは南イタリアの地名で、日本ではまだあまり知られていませんが、透明度の高い海で有名な美しいリゾート地です。
この写真を撮ったのは2008年6月4日でしたが、僕が2週間ほどヴェネツィアに滞在している間に、イタリア海軍のイベントが行われていたため、幸運にもこの美しい帆船を間近で見ることが出来、また、船上の水兵さんたちに手を振ってカメラを向けると、みな気さくに笑顔で手を振り返してくれました。
今調べてみたところ、第一次世界大戦中の1918年に、イタリア軍が当時の敵国オーストリア=ハンガリー帝国海軍の誇る戦艦セント・イシュトヴァーンを沈めた6月10日が今でもイタリア海軍の記念日になっているそうなので、たぶんその関連イベントだったのだと思われます。
とにかくある日急にヴェネツィアの海にたくさんの軍艦が集まってきたので少し驚きました。
言葉は分からなくても皆さん和気あいあいとした雰囲気でしたので、さすがに“戦争が始まったのか?”とまでは思いませんでしたが。
また、これもたった今気付いたことなのですが、思えば宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の主人公、ジョバンニとカンパルネラもイタリア人風の名前ですし、小説にはタイタニック号をモデルにした船も登場するので、何か不思議な縁を感じます。
それでは最後にあらためてご紹介させて戴きますが、1972年の冨田勲氏初のシンセサイザー作品『こどものための交響詩:銀河鉄道の夜』より、J.S.バッハの『シンフォニア 第2番 ハ短調 BWV788』のパートをお聴きください。
なお導入部分とエンディングの “蒸気機関車の走る音” につきましては、わたくし Lorenzo が動画の構成の都合上、冨田勲先生のご許可を得ること無く勝手にオリジナルを編集してしまったことを、天国の先生にお詫びしつつ、皆様にお断りさせて戴きたいと思います。
如何でしたか。
それでは今日はこの辺で失礼致します。
本日もご来店くださり、ありがとうございました。

