ワインを飲んで、本から学んで、Human Resource Managementを考える

ワインを飲んで、本から学んで、Human Resource Managementを考える

ヘッドハンター→BPRコンサルタント→組織コンサルタントとジョブチェンジしてきた者が綴った記事です。

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職場近く。気分を切り替えるために、ノートPCを持ち込んで、ジョナサンでコーヒーを飲んでいるといろんな話が耳に入ってきます。
張りのある、アップテンポの会話。隣のテーブルについているのは、二人の少女。
聞いていると、「現代文が対策の仕様がなかった」とか「センター対策をしっかりしていたからよかった」とか話をしているので、高校三年生か浪人生かでしょう。

そう言えば受験シーズンが終わって、卒業の時期。
長かった受験勉強を終えて、次のステップへ進む人、不合格の苦みを抱えたまま春を迎える人。
自分はその両方を味わったことを、ふと思い出しました。
がむらしゃらに勉強していました。寝るのを、食べるのを惜しんで勉強していました。
ストレスがたまって、母にあたったり、早慶クラスに入れない大学生は大学生じゃないという父を大嫌いになったり。
さかぐや、こぐれちゃん、せっきー、いそやわかに泣き言を聞いてもらったり、見栄を張ったり。
色々とみっともないことをいました。今と変わらずに 笑。


そんな自分でも今は親。なんだか不思議です。


僕たちの子供も、いつか受験の壁に立ち向かうことになるのだと思います。
その時のエネルギーを受け止めてあげる器量を養わなければならない。



隣のテーブルからは、髪の毛を何色に染めるか、どんな髪型にするのか、そんな会話が聞こえてきます。
受験が終わって、大学デビュー。どんな生活が待っているのか、どんな出会いがあるのか、わくわく感が伝わってきます。
私は髪の毛が短いから、参考にならないけど 笑。

どんなゼミに入るのか、卒論はあるのかないのか。地方公務員になりたい、地方公務員はいいなと話しています。

彼らにとって、今年の春は格別。
盗み聞きは良くないかもしれないけど、ツイッターを眺めるよりも、リアルに元気をもらった気がしました。

さて、社会人のわれらは、どんな風に春を迎えるのでしょうか。
春はみんなに訪れるもの。学生だけが、新しいシーズンを感じるものではないはず。
空き時間には、春の迎え方を考えるのも面白いかなと思いました。





とある小学校の6年生が豚を飼育することになった。

豚の飼育の当初の目的は、生徒たちが卒業するころに、その豚を食べることだった。自分たちで育てた豚を食べることで、「命を食べる」ことがどんなことかを学んでもらいたい、そんな担当教師の思いから始まった「実験」だった。生徒たちは、当初これを受け入れた。育てて食べることを受け入れた。
しかし、春夏秋冬と、豚と一緒に楽しい時間を過ごしていくうちに、誰かが言いだす。「本当にこの豚を私たちが食べるの?」と。

この議論は、やがて教室を命の哲学を語る場に変え、議論は教師と生徒を越えて、生徒の家庭や学校全体を巻き込みながら、展開していきます。


命をテーマにしたドキュメンタリーとしては、『いのちの食べ方』が有名ですが、この映画もまた、食べるということを子供たちの視点を借りて、強く心に問う作品。個人的には、『いのちの食べ方』以上にメッセージ性が強く、また、考えさせられるものです。


日本に生きていると、肉はスーパーで調達します。お金と交換して、料理しやすい形に切られた形のものを調達します。私が生まれたときから、ずっとそうです。
しかし、お肉は最初からお肉であるわけなどなく、元は生きた家畜です。生きた家畜は、食べるために殺されるからお肉としてスーパーに並びます。そんなことは誰でもわかっています。
しかし、自分が仲間と育てた豚であったならば、本当に食べられるでしょうか。食べられないとしたら、なぜ食べられないのでしょうか。食べられるとしたら、なぜ食べられるからでしょうか。
小さな豚が自分たちのところにやってくる。生かすために餌をあげる。餌を夢中で食べる豚。かけ足も速くなり、心なしか、自分が餌をあげたり頭をなでたりすると喜んでいるようにも見える。すくすくと成長して大きくなる豚。立派な風格になり、成長を実感できる大きさに成長する。その豚を、自ら殺して、食べられるように切って、食べる。

小学生のころに、似た話を少しだけ道徳の授業などで学んだように思います。食べ物を大切にしましょう。命に感謝しましょうと。しかし。


この議論をしなくても、私たちは現代社会を生きていけます。



現代社会を生きていくのに必要不可欠でないのに、なぜこんなに私たちの心を揺らす力があるのか。
私の場合、それを忘れていたからだと反省しています。
毎日の食卓に並ぶメニューに、料理をしてくれた妻や親への感謝はあれども、食材に対する感謝はありませんでした。またそれらを飼育し、殺して加工し、スーパーに運んでくれる方々への感謝も完全に忘れていました。
私がスーパーに並ぶ食材を見て思うのは、高いか安いか、食品添加物が多そうか少なそうか。賞味期限はいつまでか。それだけを見て、購買を決定していました。

それが悪いことだとは全く思いません。飼育している酪農家の方々は、食肉を販売して生計を立てていますので、そこにはプロとしての仕事が要求されます。そのプロが用意した「商品」を、別の商品やサービスを、世の中に提供して得た対価で、「購入」することが悪いことのわけがないと思います。

では、なぜこんなにも私たちの心を揺らすのでしょうか。

まだきちんと整理ができていないのですが、この身で感じていることがあります。「正解のない問い」であることを前提として、愚かな意見を掲載します。

私はこのテーマを、「敗者への礼儀」と「勝者の責任」と整理をします。
食べる食べられるだけではなく、自然界は生存競争のアルゴリズムで包まれています。動物と動物もしかり、人間と動物もしかり。そして、人間と人間もしかり。

生きるということは限られた資源をめぐって戦うことに他ならないことだと感じています。
出世競争、競合との競争、グローバル競争。スポーツの世界も政治の世界もそう。歴史は競争の歴史であると言っても過言ではない程です。

私たちは、人間として生まれ、多くの動植物を食べる存在となりました。自然界の中での強者です。競争に勝った側です。多くの動植物を食べる存在であっても、恐竜のように絶滅してしまう場合もあります。私たち人間も、いずれは滅ぶ存在かもしれません。

競争に勝った側なので、生きるために食べられる物を食べます。食べないと死んでしまうからです。豚を食べなくても、鶏を食べればいいかもしれませんが、それは鶏だって、自分が育てたのであれば、やはりかわいそうと思うでしょう。牛のように大きな動物であっても、鳥のひなであっても、かわいそうだと思うでしょう。自分が餌をあげて、糞尿の始末をしていたのなら、情が移ります。

食べて、力をつけて、次の競争に負けないこと。
世界を構成するものから、力を分けてもらって、勝ち続けること。
安易に競争から降りないこと。勝手に簡単に負けないこと。
自分が食われないようにすること。
自己が多くの犠牲の上に成り立っており、これからも多くの犠牲を重ね続けなければならないのであれば、強くなることが定めであるように思っています。

ウィルスは、私たちを殺す時に、躊躇などしないでしょう。体に寄生虫が入り込めば、こちらの都合など気にせずに触手を伸ばしてくるでしょう。

たくさんの動植物の力を借りて生きていく。霊長類の王と言えば、奢り以外の何物でもないと思われそうですが、王者として、堂々と生きていくこと、そして、王者として、やさしさをもって生きていくことが、必要なのではないか。

自殺だなんて言っていられない、弱音なんて吐いていられない存在なのではないかと、ふと思いました。人間は、決して強い存在ではないけど、弱い存在だなんて言っていられないと思いました。私自身、その例にもれない、強くない存在ですが。


私には、生後4カ月弱の子供がいます。強く、立派に育ってほしいと思います。





『豚がいた教室』wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%BF%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E6%95%99%E5%AE%A4
会社勤めの人たちにとって、10月は目標管理面談の時期だったりします。4月~翌3月の一年間の業績貢献度と能力や行動の発揮度合いを振り返るものです。

一般には4,5月に期初目標設定をして、10月に中間振り返り、3月に期末評価となります。
かつては、評価制度のコンサルタントとして、クライアント様の目標管理/評価制度(Management By Objectives=MBO)の設計をしたものです。

私は今日がその日でした。

うちの会社は、ちょっと変わっているので、普通の目標管理の欄の他に、将来の自分のために何をしますか?という記入欄があります。
他の社員はそんな事を書かないのでしょうが、私はこの欄に、以下のようなことを書きました。


スポーツ:自転車。健康と体力を維持するために、週に最低60km走行すること。サイクリストとして、必要な知識と経験を養成し続けること。

文化:勉強会(人文系図書、ビジネス図書をテーマとする)。考え方を豊かにすべく、月に一度の会に参加し、場の創造を学ぶべく、テーブルファシリテーターを務めること。

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うまく言えないのですが、人として生きて行くのですから、仕事以外の目標があって当たり前かと。

ちなみにコンサルタントとしての上期の成果は上々でしたので、特になんのお咎めもなく、1時間の面談を終えました。
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写真は、クライアント訪問の際にiPhoneで撮影したもの。

東京駅公舎が、昔の姿に復元されたとのことで、観光客で賑わっています。

丸の内ビルディング、新丸の内ビルディングという二大現代建築に向かい合う形で、古き建築模様の東京駅が鎮座している。
こういう景色をみると、自分たちが一続きの長い時間の中に生活しているという事を、普段より少しリアリティを持って感じられるような気がしませんか?

日本の政治経済の中核を担う企業が、皇居の前に居並ぶ風景を見た時に、まるで、時代劇の将軍様と老中たちみたいだなと、変なたとえを思い浮かべた事があります。

最近、DVDでTBSドラマの「仁-JIN-」を完結まで見ました。現代の医師が幕末明治維新の頃にタイムスリップする話ですが、主人公が明治維新の時代と自分がもともと生きていた時代のつながりを、常に問い続けてました。
坂本龍馬をはじめ、物語の登場人物たちの熱い志が、現代を作ったのだと心打たれてます。

少なくとも今はタイムトラベルが出来ませんので、明治の頃も昭和の頃も直接見ることはできませんが、思いを馳せる事はできるのだなと。

丸の内は石畳の道も多いので、若干難があるかもしれませんが、このような歴史ギャップのある風景をクロスバイクで走るのも楽しそうだなと思いました。

愛車は、Giant社のescape号。フレームがパープル、ハンドルとサドルがホワイトで、ちょっとサムライみたい、と思うのは、僕だけでしょうか。

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写真は上海出身の応君と厳さん。

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日本が好きで、日本で仕事をしていきたい、生活をしていきたいといいます。
日本の方が賃金がいいからとか、そういう理由ではありません。彼らはまだ大学院生ですが、僕の感じる限り、グローバルに活躍できる知性と根性とスキルを有しています。僕なんかは、日本企業なんかに勤めないで、外資に行くべきでは無いかと言うのですが、日本の企業で頑張りたいと応君。

まだまだ日本には産業的な魅力があるんだと言う事を、何となく感じた小一時間でした。

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巨大な本屋とカフェが一体になっている上、スポーツバイクが数多く駐輪している。すなわち、僕の好きなものが集まっている。

代官山の蔦屋。

昨夜のナイトサイクリングで、たまたま発見した。

店のデザイン・レイアウトが素敵なのも手伝ってか、2日連続で来ても飽きない。素晴らしいの一言。

自分用に、空間哲学の本と手紙の書き方の本、生まれてくる赤ちゃん用に絵本を購入した。





北欧の国々は、自転車が普及する条件が整っているようだ。
デンマークは国内の最高地点が170m。つまり、坂もあまりなく平坦で移動しやすい。年間降水量は1000ミリ以下と雨も少ない。

山地が多くて、猛暑や豪雨がある日本と比べるとなんと自転車をこぎやすいことか。

デンマークは、なんと、新車購入の際には車両価格の105-180%もの登録税がかかるので、出来上がりは車両価格の2,3倍くらい。200万円の車を買おうとすると400-500万円必要なのである。

2005年時点で自転車登録台数8600万台であるから、日本は不利な条件にもかかわらず、随分と自転車が普及している国であると言えよう。

しかも、3.11大震災後、自転車は以前より4倍くらい交通量が増えたそうだ。





8月末に自転車を買いました。
自転車と言っても、ママチャリではなく、クロスバイクです。Giant escapeというやつです。

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ジャイアントWikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジャイアント・マニュファクチャリング

wired関連記事
AUTHOR INTERVIEW ママチャリ文化にみる日本の危機:世界最強の自転車メーカーGIANTに学ぶ

http://wired.jp/2012/07/17/giant/


でもって、自転車通勤を始めました。片道約7km。ほぼ毎日20-30分かけて往復します。
まだクソ暑いし、多少は疲れますが、風を感じながら走るのは爽快そのもの。とても気持ちいいです。

自転車を買っただけですが、メタレベルで捉えると、私はライフスタイルを変えたのだろうなと思います。
運動できて健康にもいいし、ろくでもない(と兼ねてから思っていた)満員電車に乗っての通勤からも解放されたし、スポーツそのものの楽しみもある。

少年の頃に戻ったように楽しんでいます。
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この美しい宮殿は、豊臣秀吉の軍勢が破壊し、その後、当時の統一朝鮮が復旧していたにも関わらず、旧日本軍が再度破壊。さらには、旧日本軍が朝鮮支配の拠点としていた王宮である。

名を景福宮(キョンボックン)という。
王とその子孫、すべての百姓たちが、太平の世の恩恵を授かることを願うことを意味している。

ソウル特別市が誇る、最も規模の大きな宮殿で、その歴史は李氏朝鮮の頃、1395年に遡るという。

ソウルの旅の2日目は、この景福宮散策から始まった。