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スイングしなけりゃ意味がない!

東京っ子の独身フォティ。
マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズを
こよなく愛しております。
海外物流街道にずっと携われている幸せ者です。
映画と絵本も好き。
週末ランナーでもあります。

どうもです。


3月11日が先ほど終わりました。


あれから3年。


14時46分。


仕事中だったので黙とうはしませんでしたが、いったん手を止めて

あの日、あの時に思いを馳せておりました。


あの日、あの時、どこで何をしていたか、あの激しい揺れの中で

何を考えていたのかは、今でもしっかり覚えています。

あの不安の中で掴んだことを胸に刻んで、

1秒1秒を大事に過ごしたいと思うのみです。


楽しいことを考えても1秒。

不平や不満を唱えてむかついても1秒。

同じ貴重な1秒なら、楽しいこと、明るい希望について考えることに

使いたいです。


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以下は、ネットで上がっていたので御存じの方も多いと思います。

震災直後に、ビートたけし氏が「週間ポスト」で語ったインタビュー記事、

「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」。

考えさせられる文章なので、自分のために取っておきたいと思い、

3年1区切りのこのタイミングで、引用させていただきます。



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 なによりまず、今回の震災で被災された方々には

 心よりお見舞い申し上げます。

 こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。

 ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の

 打ち合わせをしててさ。

 オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

 だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突が

 グラグラしててさ。

 今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。

 こんなこと初めてだよ。

 そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ

 何でもない話だけどさ。

 どのチャンネルつけても、報道番組一色で、

 オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。

 こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組に

 できることは少ないよ。

 地震発生から間もない14日の月曜日に、

 『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、

 スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。

 所(ジョージ)と相談してさ。

 こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。

 とてもじゃないけど笑えないよってさ。

 よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、

 今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、

 戯れ言でしかない。

 しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、

 人間は初めて心から笑えるんだ。

 悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、

 芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

 オイラたち芸人にできることがあるとすれば、

 震災が落ち着いてからだね。

 悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、

 「笑い」が役に立つかもしれない。

 早く、そんな日がくればいいね。

 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に

 一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。

 今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。

 テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。

 だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、

 被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、

 そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。

 それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。

 そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

 本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。

 被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは

 「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、

 自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。

 残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、

 10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。

 2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、

 その悲しみに今も耐えてるんだから。

 だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。

 その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが

 現在進行形で身の危険を感じているわけでね。

 その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

 逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふり

 してきたかという証拠だよ。

 海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、

 国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、

 ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。

 「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、

 心からその重さがわかるんだよ。

 それにしても、今回の地震はショックだったね。

 こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。

 原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。

 政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。

 まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。

 これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は

 多いと思うぜ。

 それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。

 もう、それしかない。

 人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。

 どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。

 「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、

 それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

 オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、

 その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

 今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、

 それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。

 ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって

 思ってゾッとすることがよくあるんだ。

 そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやって

 ゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。

 それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? 

 バカヤロー、決まってるだろ。

 最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。


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☆おまけ:ペタですが、今自動ペタが凄過ぎて、いったん

       受付を止めたいと思います。

       すみませんが、ご了承願います。

どうもです。


ソチオリンピックも無事に(メダル問題などもろもろ、

もめているところもあるようですが、一応)閉幕しましたね。


久しぶりに女子フィギュアをしっかり観戦しました。

浅田真央選手の勇気ある、素晴らしいフリーの演技!

メダルは逃してしまったけれど、結果を恐れず、

自分らしいチャレンジ!

おばちゃん、もらい泣きです。。。


さて。

まっこと今更なんですが、ネット上ではとっくに知られているネタ(^^;)


アメリカにあります、衣類や小物類を扱うホルステイー社の

マニフェスト。


いつからか、ネット上でもその訳文があちこち

出回っています。

そのどなたかの訳文をシェアいたしますね。

とても素敵な文章なので・・・

タイポグラフィも素敵ですね!

the holstee

これはあなたの人生です。


自分が好きなことをやりなさい。


そして、どんどんやりなさい。


何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。


今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。


時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。


人生をかけて愛する人を探しているなら、それもやめなさい。


その人は、あなたが好きなことを始めたときにあらわれます。


考えすぎるのをやめなさい、人生はシンプルです。


すべての感情は美しい。


食事をひと口ひと口味わいなさい。


新しいことや人々との出会いに、心を、腕を、


そしてハートを開きなさい。


私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。


自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているのか聞きなさい。


そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。


たくさん旅をしなさい。


道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。


ときにチャンスは一度しか訪れません。


しっかりつかみなさい。


人生とは、あなたが出会う人々であり、


その人たちとあなたが作るもの。


だから待っていないで、作りはじめなさい。


人生は短い。


情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。



46再

どうもです。

少しタイムラグが出来てしまいましたがアップします。


数十年ぶりの大雪に見舞われた東京、雪の翌日2月9日(日)

大久保にありますソウルバー、ストーンにて、

音楽評論家 吉岡正晴氏のトークイベントが開催されましたので

友人達と繰り出しました。


その名も、「ソウル・サーチン・トークイベント」。


吉岡正晴氏のブログにも詳細が出ております。


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11770302245.html


ストーン


吉岡正晴氏は音楽評論家としても幅広い活動をされ、

その中でもマイケル・ジャクソン関連の著書も出版されています。


今回は、氏のブログやかつての著書のタイトルでもあり、

氏にとってのキーワードとなる単語、「ソウル・サーチン」という

言葉を巡る旅路のお話となりました。


当初、本イベントは「DJ & トークイベント」となっていて、

私はてっきり、

「ついに吉岡さんはDJもされるようになるのか!」と勝手に

先走ってこんな妄想をしておりました。



dj吉岡

DJ吉岡・・・いや、まじで。

舞台となるソウルバー、ストーンは写真を見る限り、決して

ダンスフロアがあるような広い店ではないため、マイクも持って

ターンテーブルも?語りを聴きつつ、我々は踊るのか?と

とんちんかんなことを考えておりましたが。


そんなことはなく・・・(苦笑)

DJ担当を横に、吉岡さんはマイクでもって語り、我々は

着席スタイルで講義を聴くというものでした。

もっとも盛況で立ち見の方もいらっしゃいましたが。


写真の真ん中よりやや左側、カウンター奥にて

着席されているのが吉岡正晴氏です。


吉岡さんイベント


さて。

今回は、吉岡さんが1983年夏にロスとニューヨークへ取材旅行に

行かれ、そこで出会ったミュージシャンや音楽関係者と良い関係を

築けたことが、今日の評論活動や執筆活動につながっている

ということがトークの中心となりました。



まずは、ニューヨークから。

カシーフというミュージシャンにインタビュー出来たことが

大きかった、と。

カシーフは孤児であり、何もないところから自らの力で

道を切り開き、ミュージシャンとして成功します。

当時の彼はニューヨークの広いロフトに住んでおり、

そこでインタビューとなったそうです。


ここで1曲目、カシーフのデビューアルバムより、

「Stone Love」- Kashif


インタビュー後、1983年7月にセントラルパークで開催された

ダイアナ・ロスのフリーライブについて。

なんでも大雨で途中で中止となったものの、翌日急きょ再演となり、

あわてて会場に赴いたけど、人が多すぎて傘しか見えなかった、と。


「Pieces of Ice」-Diana Ross


友人の車の中、土砂降りのマンハッタンを眺めつつ・・・

ラジオからはこの曲がよくかかっていたそうです。

それが、同年のヒット曲。


「Tonighjt I celebrate my love」-Roberta Flack & Peabo Bryson


そう、これって、今や懐かし、小柳ルミ子とケンヤくんの結婚式で

流れて話題になった「愛のセレブレーション」!!!

踊ってましたっ熱烈な熱いキスをかましてましたっ、あの曲です!


で、ここでピーボPeabo Brysonについての小ネタつーか、

若干クレームであります。

彼はライブをやるのですが、毎年セットリストが同じなんだそうです。

本人曰く、「セトリとしてもう完成してるから直す必要がない」んだそうで。

どうなん?その姿勢(^^;)

で、シャーデーの曲をギターで弾き語りをして歌うけど、いまいち

うまくない。

そして、ぜひサム・クックの曲が合うからライブでやるといいと

アドバイスをしても、スルーされちゃったんだとか。

もっとも、ピーボ自身はサム・クックの生ライブを見ているそうで、

今となってはそういう人は貴重なんだそうです、吉岡さん曰く。


さて、ここからお話はニューヨークからロサンジェルスに移ります。


まずロスでの最初ネタは、ジョージ・デュークへのインタビュー。

吉岡さんはインタビューの際、もちろんメモも取り、ボイスレコーダーも

持参されるそうですが、あとで思い返してみると、すごくささいなことの

方が記憶に残っているのだとか。


ジョージ・デユークでいうと、インタビューは朝敢行されたのですが、

なんだかえらく濃いコーヒーをジョージが飲んでいた、そのことを

なぜか今でもはっきり覚えているのだそうです。


「Shine On」-Geroge Duke


すでに1時間経過。ずっと吉岡さんは話しっぱなし。

10分休憩が入りました。


第2部の開始です。

引き続き、お話はロス。1983年8月。


16歳のジャネット・ジャクソンのインタビュー話ですが、何せ相手が若い

女の子で、しかもジャネットはかなりシャイだから、正直インタビューは

しにくかったそうです。

で、横にはパパ、ジョーがいて、ジャネットはずっとパパの顔色を

伺ってばかりいた、と。

ジャネットのインタビューをどうにか終え、パパ・ジョー・ジャクソンと

軽く世間話をしたことのほうが印象に残っていると。

何せ、あのマイケルやジャネットをエンターテイメント界に押し上げた

ステージパパ。ものすごい威圧的な存在感だったそうです。


その翌日は、ご近所のセルジオ・メンデスにインタビュー。


セルジオのインタビュー後、ジャクソン家でジャッキー・ジャクソンの

インタビューとなりました。

彼はマイケルやジャネットのお兄ちゃんであり、ジャクソン5や

ジャクソンズのメンバーです。

そしたらなんと、その日はたまたまマイケルやラトーヤ達も家におり、

少しだけお話することが出来たそうです。

そのことが、後のジャクソンズのヴィクトリーツアーライブレポや

著作活動につながるのだとか。



吉岡さんインタビュー
こんな感じでしょうか・・・。

ラトーヤはとにかくメイク濃くしときゃいいや的

イラストですが(汗)


ここで、ジャネットのデビューアルバムから

「Young Love」-Janet Jackson


後年、レイ・チャールズなどの伝記を手掛けるデヴィット・リッツが来日

した際、一緒に六本木のお寿司屋さん(すしせい、という名前だそう)に

行ったら、なんと、たまたま来日していたジャネットとばったり

遭遇した、という小ネタも!

(すごいなー寿司屋でジャネット・ジャクソンと鉢合わせって!)


ジャクソン家でのインタビューの後、ジャクソン家の野球チームの

話が出たそうです。お兄ちゃんのジャッキーも野球が好きで、

おそろいのユニフォームなども作って楽しくスポーツをしているけど、

なぜかマイケルはスポーツはやらないのだそうです。

あれだけのダンスが出来るので運動神経は素晴らしいのかと思いきや、

案外、ダンスとスポーツってあまり関係ないのかもしれません、とのこと。


ここで、カシーフが再び登場します。

1984年7月、ジャクソンズのヴィクトリーツアーを観るため渡米した際、

ニューヨークでカシーフと再会します。


その頃のカシーフはロフトからコネチカットの高級住宅街にある

邸宅へ移り住んでいました。

その邸宅は、黒人初のメジャーリーガーである、ジャッキー・ロビンソン宅

だったそうです。

未亡人からその邸宅を購入したとかで。


ジャッキー・ロビンソンについては、2013年日本でも公開されました

映画「42」でその偉業について日本でも認知されていますね。

ここで、しばし黒人映画ネタに話が跳びます。

同じような時期に、立て続けに黒人映画が公開されました。

「42」

「大統領の執事の涙」

「それでも夜は明ける」

「ソウル・ガールズ」

吉岡さんがなぜか熱弁、「大統領の執事の涙は見やすい映画だから

デートでもお勧めですが、それでも夜は明けるはかなり重たいから

デートには向きません!!!」

だそうです(^^;)確かに・・・見終わって、ご飯食べながら楽しく感想を

言い合える映画じゃないとね。


で、話が音楽に戻ります。


カシーフ宅でバーベキューをすることになったそうですが、そこに

現れたのが、20歳そこそこのホイットニー・ヒューストンでした。

吉岡さんが日本から来た客人ということで、ホイットニー曰く

「私子供のころ、母と一緒に日本に行ったことがあります」と。

母親のシシー・ヒューストンに連れられて(7歳位だそう)

ヤマハ音楽祭に出たそうです。


「You give Good to Me」-Whitney Houston


そしてここからは、ラジオのお話が出ます。


吉岡さんはその名も「ソウル・サーチン・レディオ」という

ラジオ番組もお持ちなのですが、そのラジオIDを

来日したロバータ・フラックー先ほどの「愛のセレブレーション」

歌った人ですーにお願いしたところ、快く引き受けてくれたと。

そして、かなり完璧主義らしく、何テイクもやってくれたそうで、

その様子の音源を聴かせていただきました。


ちなみに、ロバータ・フラッグは、マイケル・ジャクソンの

ショートフィルム「BAD」で、書き置きをしたママの声でも

登場しています。

確か、「サンドイッチがありますよ」みたいなやつ。

ここで、しばし「BAD」のオープニングからママの声までの

ショートフィルムが流れました。


この後もしばらくラジオネタが続きまして、

お話は少しづつ終盤へとさしかかってゆきます。


1988年グラミー賞を観に渡米した際、

ジョン・ホワイトヘッドへインタビューします。

彼も貧しい環境から努力して成功をおさめ、がっつりと

稼いだのですが、翌年税金が払えずに、なんと刑務所へ。


ジョン・ホワイトヘッドは、

「オレは刑務所でソウル・サーチンをしたんだ」とインタビューで語って

くれたそうです。


ソウル・サーチンーSOUL SERCHIN' /魂の探究・・・


その言葉が吉岡さんの何かに引っ掛かり、また不思議な事に、

その後も何人かのアーティストのインタビューで、

同じく「ソウル・サーチン」という言葉を耳にしたそうです。


このあたりから、吉岡さんにとって「ソウル・サーチン」という

言葉は大切なキーワードになったそうです。


「I need Money Bad」-John Whitehead


I need Money BAD!オレは本当に本当に金が必要なんだよっ

切実です!


その後、ラジオでご自身の洋楽履歴をお話する機会があり、

その録音を学生時代のご友人(インドネシア在住だったかと)に

送ったところ、

ご自身が忘れていた学生時代のことをご友人からメールで

教えられて、ものすごく驚いたのだそうです。


ご友人曰く、吉岡さんは高校時代に放送部に所属し、

昼休みにエレクトリック・フラッグの「ソウル・サーチン」を

テーマソングでかけていたよね、と。


なんと約40年近くの時を経て、点が線になっていった・・・とのこと。


てっきりジョン・ホワイトヘッドから教わったかと思っていた言葉ですが、

すでに高校時代に出会っていたのですね。


「Soul Serchin'」-Electric Flag


ここまで、第2部はノンストップで2時間!

最後の曲となりました。

「Street Life」-David T.Walker


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いやー楽しくもとても豊かな時間でした。

学校の授業がこんな感じなら良かったのに!


マイケル・ジャクソンをきっかけに洋楽に興味を持ち、少しづつ

いろいろークインシー・ジョーンズやナイル・ロジャースなどの

ライブにも行き始め。

今回、吉岡さんのトークでまた少し洋楽のキャパを広げられたらと

思っていましたが、一方でお話についていけるかな?という

不安もありました。


でも、とっかりやすい曲が多かったことと、

お話に一本テーマが絞り込まれていたことで、とても

分かりやすく、洋楽の知識を1段階増やせたと思います。


また、かねてより吉岡さんブログを拝見しつつ、

ソウル・サーチンって素敵な言葉だけど何だろう?と思っていたので、

その謎が今回のトークイベントで明らかになりました。


また少しづつ、この日伺ったミュージシャンの音楽を

聴いてみたいと思います。



☆おまけ


イベント参加者には、もれなくこんなお土産付き♪


吉岡さんお土産


中身はこちら。


吉岡さんイベントチョコ

うわーい、チョコだ!しかも吉岡さんピグ付き♪って・・・

おりしもバレンタインデー直前・・・

むしろ、こちらからチョコをお渡しすればよかった・・・。

すみません、ドカ雪で頭が一杯でっ

次回は何か差し入れの一つも持って馳せ参じますっ!