そのうち、実家の茨城が震度6だと

いう情報が入ってきて、慌てて電話をしてみる。

家の電話=呼び出し音のみ

(もうこの時点では茨城県は停電してた)

父の携帯がまだ通じたので、留守電を残す。

「もしもし、大丈夫でしたか?

こっちも余震で揺れてますがぁあああああ~~!

(ちょうどこの瞬間、茨城県沖が震源の

震度6地震が起きていた)

何とか大丈夫です、連絡下さい」


電話を切った瞬間、今同時に

震度6の地震が実家近くで

起きていたことが判明。

テレビ画面を見て「もうやめてー!」

と叫びました。


ここからもう、茨城には電話が

一切つながらなくなります。

災害伝言ダイヤルに伝言を

吹き込むけど、返事はなし。

テレビでも茨城の情報は皆無。

時たま映る天カメの映像で、

実家方面で火事は起きてないか…

と目をこらして見るしかできない。


今頃家が壊れてたらどうしよう、

両親が近くの小学校に避難してて

寒さに震えてたらどうしよう?

落ちてきたガラスで怪我してたらどうしよう?

と、不安でいっぱいでした。


夕方になり、弟からメールがあり、

祖母宅と電話が通じ、みんな無事

との連絡が入る。

でもそれって、何時時点の情報なのか

全然わからなくて、

(3:15に茨城が震源の地震が起きてるので、

例えば3:00頃に取った安否確認だったら

しょうがない、と思った)

そうこうしているうちに、東京住みの

私の携帯も通話規制で通じなくなった。


と、とにかく通信が回復するまで

待つしかない…と

近所のスーパーにテコテコ歩いて買い物に

行きましたら、2つある大手スーパーのうち

かたっぽは営業停止してる。

もう片方は、やたらとアグレッシブに

営業してました。

(この時点ですでにカップラーメンは品薄)


駅の近くを通ると、電光掲示板は

14:48 新宿

とかのまま止まっていて、踏切は

開きっぱなし。不気味でした…


続きます。


東日本大震災から、2か月が経ちます。

東京住みの私、最近やっと3/11の事が

冷静に振りかえる事ができるようになってきました。

なので、忘れてしまわないうちに、

あの日の事を書き残しておこうと思います。


ドキュメント3・11 ~私の場合~


発生時(14:47)

生活が深夜サイクルになっていたので、

「起きようかな~…うとうと」

という感じで、まだ布団の中でした。


地震が来て、「おお~、揺れてる揺れてる」

と思っていたら、どんどん揺れが大きく

なってきたので、そばにあるコタツの足に

しがみつく(たぶん、コタツにもぐろうとしたんだと思う)


あっ、収まってきた…ホッ、と思ったら、

さらにグワングワン揺れて、

棚の上に置いてあったぬいぐるみやら

スピーカーやらがわっさわっさ落ちてきて、

(ああ、もう私、終わりかも…)

と思った。天井の蛍光灯がすごい

揺れたので、思わず手で押さえる。


揺れが収まった後、ガクガクブルブルする

足で何とか立って、外を見てみると、

電柱が魚肉ソーセージみたいに

びょんびょ~~ん、と揺れている。

近所のおばちゃんやおっちゃんが駐車場に

集まってざわ…ざわ…してた。


あわててテレビを付ける。

ええい、ミヤネ屋じゃ話にならん、と

思いNHKに回すと、

震度7と大津波警報をやってた。


(と、とりあえずツイッター…

この怖さを誰かと共有したい…)

と、携帯からアクセスするも、

つながりにくくて、PCからアクセス。

この時はまだ事態の深刻さに

全然気づいてなかった。


続きます。



東日本大震災で被災された皆様に、
心よりお見舞い申しあげます。
1日も早く、みなさんに
穏やかな生活が訪れますように、心から祈っています。

久しぶりに書くブログがこんな内容になるなんて思ってもみませんでした。
実家の茨城もかなり揺れましたが、
家族みんな無事でした。
家族全員が健康であることを感謝しながら、
これからいろんな事を通して、
みんなの役に立っていきたいと思います。

いろいろ困難は多いけど
負けないぞ(・∀・)ノ