映画の中の結婚式 結婚式にはビデオ演出が当たり前になっている。


挙式から披露宴までの全記録を撮影するブライダルビデオなどは


以前からあったものだが、


最近は披露宴の途中で流すプロフィールビデオ や


当日のハイライトを編集したとって出しエンドロール などが主流に


なっている。


それらの結婚式ビデオを会場側に頼むと結構割高だが、


ネットで業者を探せば、良心的な料金でクオリティの高いサンプルを見つけることができる。


料金も会場に直接頼むより5割ぐらい安いのではないだろうか。


結婚式は何かと費用がかかるものだが、


いろいろ工夫をすればきりつめることができる。


幸せな結婚生活を続けて10年。ヨハンとマリアンヌ夫妻は満ち足りた日々を送っていた。
ある日、地元新聞社から、模範的結婚生活についてインタビューを受ける。
そしてその時から、夫婦の間に、少しずつ溝が広がり始めていく…。
はたから見れば円満そうに見える夫婦でも、見えない部分ではしっかりとヒビや溝が生まれていることがある。夫婦であろうと、それぞれが別々の人格を持った違う人間であることを思い知らされる。
全編ほぼ二人だけの出演者による、辛らつな台詞のぶつかり合いで、人間にとって結婚とは何か、夫婦生活と個人の人間性の調和とは何か、厳しく問いかけてくる。

監督:イングマル・ベルイマン


映画の中の結婚式 「遠雷」は、地方都市の郊外で、成人後も親と同居し、家業を継ぎ、結婚して暮らして行く農家の青年の姿を描いた青春映画です。
家族や土地に振り回されていた主人公が、ハウストマト栽培への情熱と結婚を機に自分の行き方を肯定していく様子が丹念に描かれています。
主人公の青年は、地方で農業を営むことに悩みや不満は持っていても、疑問は持っていない。ここより他の場所を目指すこともない。そういう生き方に迷いがない。地に足のついた主人公の生き方が都会暮らしの自分には新鮮に映った。
この映画の中に、新郎の自宅の広間で行われる結婚披露宴のシーンがある。1980年代の始めだから自宅での披露宴というのは、少なくなっていたかもしれないが、その雰囲気が懐かしく微笑ましい。
新郎新婦は紋付と白無垢で仏壇の前で三々九度をして祝言を上げる。近所の人が手伝いに来て、酒や料理の世話をする。披露宴の演出もなく、お開きの時間もないから、宴会はいつまでも続く。新郎新婦の友人たちは、深夜まで残って、また飲みなおす。こういう結婚式もいい。


映画の中の結婚式 「プロポーズ」は、遺産相続のために結婚しなければならなくなった男を巡るラブ・コメディです。
ジミーは若さと自由を謳歌する独身男。女の子とつきあっても結婚の話になると、すぐに逃げ出してしまう。
そんな彼の許に、祖父が亡くなったとの知らせが入る。大金持ちで、日頃から彼に早く結婚しろと言いつづけていた祖父は彼に1億ドルの遺産を残していた。
ただし、相続の条件は“30歳の誕生日の午後6時までに結婚していること”というもの。それは、なんと明日だった。
バスター・キートンの名作喜劇『セブンチャンス』をもとに、結婚を義務づけられてしまった男が巻き起こす騒動を描いた結婚パニック・コメディです。

「日本の夜と霧」は、回想シーンを除くすべてのシーンが結婚式で構成されている。
その結婚式のカップルと出席者は、1960年安保闘争に関わった学生運動家である。
当然、スピーチの内容は、政治的な発言が多くなり、やがて出席者たちの過去と現在の姿があぶりだされていく。
「日本の夜と霧」は、1960年安保闘争で揺れる当時の状況が映画に反映され、安保世代と、運動に参加しようとしない旧世代との対立をテーマにしている。

今では考えられないような結婚式なのだ。
新郎の暴露話なんてもんじゃない。
ワンシーン・ワンカットやフラッシュ・バックなど、荒削りではあるが、日本のヌーベルバーグの旗手と言われた時代の大島渚の前衛的な演出は評価できる。

出席者たちによる学生運動の総括ともいえる演説や反論を、カットを割らずに往復パンで見せたり、台詞をとちっても構わずにカメラを回し続ける姿勢に、監督のメッセージが込められていたような気がする。


映画の中の結婚式おたがいに事情があって偽装結婚したアメリカ人女性アンディ・マクダウェルとフランス人男性=ジェラール・ドパルデュー。

形だけの結婚のはずが、入国管理局の調査によってしかたなく同居生活を送ることになる。

仲のいい夫婦を演じる芝居のつもりが、やがて本気になって行くというロマンティック・コメディです。
園芸家でエコロジー活動にも熱心なアンディは、独身者は入居不可という庭園アパートメントを借りるために、ジェラールはアメリカのグリーンカードを手に入れたるために偽装結婚した。

性格も生活スタイルも違う二人が、入管の調査が終わるまで同居生活をはじめるが、しだいに愛が芽生えるようになる。
だが、入管の調査員の面接で、ジェラールが失敗し、偽装結婚が見破られてしまう。

偽装結婚が明るみに出ると、今後の人生にさまざまなペナルティが発生する。
「自分が悪いのだから、彼女は見逃してくれ」とジョージは調査員に懇願する。
数日後、再びジェラールに会いたい気持ちをおさえられず、初めて会った喫茶店を訪れたアンディの前にジェラールが現われた。しかし彼の後ろには調査員がいた。
フランスへの強制送還を言い渡されたジェラールはアンディを抱きしめ、アンディも初めて素直な心を彼の前で見せた。


ジェラール「手紙を、毎日書くよ。毎回同じことばかり書く。“いつ来るんだい?”って」
アンディ 「指輪持ってる?」

二人は、街角のカフェの前で、指輪の交換をする。


ジェラール「I do.」
アンディ 「I do.」


今度は偽装結婚ではなく、調査員の前で二人は真実の結婚をする。


映画の中の結婚式 どうみても冴えない女の子が主人公の恋愛映画。
容姿も服のセンスもまったく冴えず、秘書学校に通っても、タイプもろくに打てない女の子=トニ・コレットが主人公。
そんな彼女も、いつしか純白のウェディングドレスを着て結婚式を挙げたい、という夢を持っていた。
映画のテーマは変身願望。
主人公は無理に結婚に突っ走るが、あることをきっかけに、パッとしない人生をありのままに受け入れて生きようとする。そこがこの映画の深いところです。
「マンマ・ミーア」にも使われているテーマ曲のダンシング・クイーンが、元気な気分にさせてくれます。


映画の中の結婚式 主人公ジェーンのクローゼットには、花嫁付添人として着た27着のドレスが保管されている。
「幸せになるための27のドレス」は、その花嫁付添い人ばかりを27回も繰り返しているハイミスの恋愛物語。
ジェーンは、いつか自分が主役になれる日がくる」と信じながら、花嫁の付添人に徹してきた。
そんなある日、ずっと片思いをしていた上司のジョージが、ジェーンのわがままな妹テスに出逢い、プロポーズしてしまう。
ジェーンは、泣きたい気持ちをグッとこらえて2人の結婚式の準備をすることに…

アメリカの結婚式には、新婦の介添え役をする花嫁付添い人(ブライズメイド)という存在がいる。
イギリス映画「フォー・ウェディング」にも親友の結婚式で、新郎の付添人をヒュー・グラントが演じていた。
日本では付添人をつける結婚式はまだ少ないけれど、
やってみるのも楽しいかも。いままでにない結婚式ができるかもしれません。 
新郎側の付添人のことはアッシャーと言う。

「わかっている…いいよ。元気で…幸せになるんだよ」

白無垢の岩下が父親に挨拶をしようとするのを制して、笠置衆が言う台詞。


「秋刀魚の味」は花嫁の父の心境を描いた小津作品です。
娘を嫁にやる父親の心境を描いたアメリカ映画「花嫁の父」と同じ設定ですが印象はかなり違います。
男やもめの父のために娘が結婚を遠慮するという物語に、若い奥さんを後妻にもらう話などを盛り込んでストーリーが展開します。
最後に、「…もう行こう」微笑みながら娘に言う朴訥な台詞が胸を打つ。
子どもが巣立った晩の父親の姿は、世界共通のものがあります。


監督:小津安二郎



映画の中の結婚式 「帰宅しても姿はなく、お帰りという声も聞けない。自分がしていることの意味を悟り、胸が痛んだ」
一人娘のケイ=エリザベス・テイラーが新婚旅行へと旅立ち、力が抜けてしまった花嫁の父=スペンサー・トレイシーのモノローグ。


「花嫁の父」は、一人娘の結婚をめぐる父親の複雑な心境を描いたコメディです。
娘を奪われる父親がそれを徐々に受け入れていくという物語。
父親は結婚式を質素にやりたいと思ってる。
ところが、招待客を削ろうとするが、いろいろあって一人も削れない。
母と娘は高価な結婚式用の衣装を買ってきたり、
自分の礼服も二回しか着ていないが体重が増えて体に合わなくなり新調しなければならなくなる。

400ドルもするつまらないウェディングケーキや
誰も聴かないと思われる楽団にかかる費用。
そして、せまい家に招待客を家に入れるための改装費用など、次々と業者の薦めるウェディングプランに費用はどんどん膨れ上がる。
結婚費用に頭を痛め、父は娘に駆け落ちを勧めてしまったりもする。
出席の返事とともに、お祝いのプレゼントも続々と届いた。
置き場がないぐらいのプレゼントの山に、送り返したいと思うほどである。


そういった結婚資金準備の顛末がコメディタッチで描かれるが、パーティが終わり、新婚旅行に旅立った娘を思っう父がしみじみとした気持ちにひたる。


監督:ビンセント・ミネリ