私は盛和塾に入塾して約10年になりますが、稲盛塾長の学び教えがやっと身についてきたように思います。塾長のいつも仰る言葉は『利他、利己、良き事を思い良き行動を』と。
 その理念を何度も自分に言い聞かせる毎日を送っていますと、色々なことがうまくいくようになりました。
 苦しく、大変な時こそ、良い事を考えるようになって、それを行なっていければ、改善していく事でしょう。これを読まれている方で、お悩みのある方はぜひ実行してみて下さい。信じる事それが良き事に繋がっていくのです。
 もっともっと書きたいのですが、私は今、手を痛めておりますので又、時々書かせて頂きます。
 この文が誰かお一人の方だけにでも、お役に立てれば幸いです。

 
 
  

宗像大社

 

【宗像大社】

福岡県宗像市田島2331


 天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)の際に生まれでられた宗像三女神をお祀りしてある神社です。天照大神が『代々の天皇を助けるためこの地に降りられお祀りされなさい』と宗像三女神にお命じなられたのがこの神社の起源であり、日本書紀にその名前が出てくる日本でも有数の由緒ある神社です。
 宗像三女神は道主の貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、神道における最高格である「貴(むち)」という称号を授かっている神様です。この称号をお持ちの神様は「オオヒルメノムチ=天照大神」そして「オオナムチ=大国主命」の三柱だけで、格式の高さがお分かりになるでしょう。
 12世紀にある貴族出身の武将が宗像三女神の霊験に魅かれ、自分の国へ勧請したことがあります。その武将の名が平清盛であり、勧請した先の神社の名前が安芸の宮島で有名な「厳島(いつくしま)神社」です。この厳島という名前も宗像三女神の一人の「市杵島姫神(いちきしまひめかみ)」の名前から来ています。 先の誓約の際にお出ましになられた5人の男の神様は英彦山神宮にお祀りされており、この長男の息子がニニギノミコトと言って、天照大神の孫、そう天孫降臨の神様となられるわけです。
 さらに宗像大社の沖津宮のある沖ノ島は、来年の世界文化遺産登録の候補にもなっている神の島で、その地に渡る港の名前が神湊(こうのみなと)と呼ばれ、その島から出た八万点ものご神宝はすべてが国宝に指定されています。沖ノ島は今でも限られた男性しか入ることができず、いまだに女人禁制の島です。その島で見聞きしたことを話してはならない、一木一石一草たりとも持ち出してはならないという厳しい掟が現存する聖なる島であり、不言様(おいわずさま)とも呼ばれています。

筑紫神社

 

【筑紫神社】

福岡県筑紫野市原田2550


 この神社の祭神は筑紫の国魂です。古事記ではイザナギとイザナミが国生みをするさいに九州は身が一つにして面が四つあるとされ、その一つが筑紫の国で白日別(しらひわけ)とされています。白というが白木(しらき)、新羅(しらぎ)と繋がるのですが、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)が書かれたころは倭国(わこく)の範囲は北部九州・壱岐・対馬そして南部朝鮮であったとされています。その間には波が高くて有名な海があるじゃないかと言われそうですが、当時の移動手段は船であり、海によって隔てられていたのではなく、海によって繋がっていたのです。神功皇后は三韓征伐で朝鮮半島へ出兵され、新羅・百済・高句麗を従えたとされています。
 なお、神功皇后がお産みになったのがのちの応神天皇様で、別名八幡様とも言われます。そのへその緒を筥(はこ)に入れて松の根元に祀ったところに建てられたのが筥崎八幡宮です。このように神功皇后の息吹は随所にかかっていることがお分かりでしょう。
 毎年3月15日には粥にできたカビによってコメや麦の豊凶を占う神事「粥卜祭」が催されています。神社が稲作と密接に関係しており、暦を作る作暦を神社が担っていた名残です。どの時代の人も豊作と子孫繁栄を願って神社にお参りしたのです。

桜井神社・桜井大神宮

 

桜井神社・桜井大神宮

福岡県糸島市志摩桜井4227


 この神社は黒田の殿様(二代忠之公)の時代に雷鳴轟く大豪雨の中、岩戸神窟の口が開き霊験あらたかな神様が出現され、その後奇瑞(おめでたい現象)が多くあらわれたために、社殿の造営を発願されたことから始まっていますが、それ以前からこの地には岩屋戸が存在し、お祀りされていたと言われています。
 與止姫大明神(よどひめだいみょうじん)が主祭神ですが、これは警固三神の別名であり、これまたイザナギノミコト(夫)が禊をした際に生まれ出でたる神様です。天神にある警固神社はもともと福岡城内にありましたが、福岡城も黒田氏が福岡に入ってから建てたのでその元がここであるという説もあります。
 さらに伊勢神宮から分霊して建てたのが桜井大神宮であり、天照大神(内宮)と豊受大神(外宮)を一つに奉斎(お祀りすること)されている全国でも珍しい吉田神道方式の社殿があります。その敷地内に入ると得も言われぬ荘厳な雰囲気が漂い、宇宙と繋がっている場所だと言われる霊能力者もおられます。
 さらにここのご神域に二見が浦の夫婦岩があり、伊勢の夫婦岩は朝日が拝めますが、この地では夕日が拝めます。全国にある夫婦岩のほとんどが朝日を拝むようにできており、この夕日を拝む場所は全国でもこの地だけと言っていいでしょう。さらにここは「糸島(いとしま)」ですが、伊勢神宮のある場所を「伊勢志摩(いせしま)」と呼びます。漢字はその後の当て字ですが、日本語の発音がとても似ていると思いませんか。ロマンは限りなく広がりますね。

春日神社 

春日神社

福岡県春日市春日1丁目110


 この神社は中大兄皇子、のちの天智天皇が660年の百済滅亡の知らせを受けて母君の斉明天皇とこの地にお下りになり、百済再興のための兵を朝鮮半島へ送られた時にさかのぼります。藤原氏の氏神様である天児屋命をお祀りになりました。この天児屋命を別名春日大明神とも呼び、この神社やこの地方の名前となっています。奈良の春日大社は768年に奈良の守り神として創建されており、この春日神社の創建の方が古いことがわかります。
 古くからこの地には青銅器などを作る工房が立ち並び、大陸からの玄関口を守る武器の一大生産地として栄えていました。
 その後、663年に白村江の戦(はくすきのえのたたかい)で日本軍は唐と新羅の連合軍に敗れ、大陸からの脅威が増しました。その侵攻を防ぐために、太宰府に政庁を移しさらに1.2㎞に及ぶ水城を築いたのです。福岡の古代史がこの地から始まっています。