いらっしゃいませ、こんばんわートロピカルカクテル

 

もう週末かぁ~。。。

 

『休みの日は、一日中ベッドで過ごしたいなぁ~』(恋人とです)

 

大好きな人と触れ合うことが、最大の活力になる乙女のトキメキ

 

そんなことを思うようになって、20年近い。

 

そんな私が惹かれる人って、なぜか強いまじかるクラウン

 

 

それって、強い人から出ているフェロモンなのかな~?

 

ってずっと疑問なんですよね。

 

その疑問は、誰かわかる人がいれば、教えてくださいおねがい

 

 

惹かれる人に「私を知ってほしいなぁ~」とか

 

「喜ばせたいなぁ~」と強く思う。

 

パーソナルエリアに入り込んで、一番喜ばせる存在でありたいと。

 

(この時点ではかなり慎重な私)

 

「あ~尽くす女かもしれない私って」てへぺろ

 

だけど、すべてバランスですよね。

 

『気持ちを隠さず、ストレートなんだけど、重くない』みたいなひらめき電球

 

だけど、『100%好きがちゃんと伝えられてる』みたいなひらめき電球

 

気持ちの満たされた状態と、

全身で相手を感じる研ぎ澄まされた時間

 

これがあるから、

 

今日も素敵な自分でいられる

パートナーに感謝する日々

 

時々みかける幸せそうじゃないカップル。

好きなのに片方の思いだけが強いのかな?

好きじゃないかもしれないと思い始めたのかな?

パートナーに大事にされてないのかな?

 

時々いるお客様「付き合わなかったお店に行かない」

そんな言葉は駆け引きにもならないのになぁ~

 

『気持ちの駆け引きしてないだろうか』

 

私は、いつも自分の心に向き合うようにしています。

 

「ここまでは譲れて、ここからは譲れない」とか

「100%の気持ちで向き合っているなぁ」とか

「このくらいしてもらわないと、好きでいられない」とか

 

そしたら段々、選ぶ人を間違わなくなってきたのかな。

 

そんなことを思う今夜です満月、、、乾杯シャンパンロゼワイン

50歳、60歳になっても、清々しいあの人は、いったいどんな風に
人生を歩んできたのだろうか
おねがい

 

数年の来のお客様なのに、何度か、、何度も、、、

そんな気持ちで見つめることがあります。

 

私もこんな風になりたいなぁ~チュー

 

『人の細胞は7年で、すべてが入れ替わる』と聞いたことがあります。

 

何度も自分が嫌いになりショボーン

何度も変われない自分を自覚してえーん

何度も何度も失敗してガーン

 

数年経って、10年経って、

自分が変わったことに、ふと気づくキョロキョロひらめき電球

 

心の選択肢が変わったこと。

物事の捉え方が変わったこと。

泣いたり、悔しがる自分が、人間らしくて可愛いと思えること。


今日から「変わりたい」と決心して、

(決心なんかしなくても、心で感じていることを認めて)

努力をしたら、(努力しなくても、潜在的に刷り込まれてて)


7年後には、今日の細胞はすべて入れ替わって、新しくなってるわけだからニヤリ

きっと別人に思えるほどの変化を遂げていると、
私は自信を持って感じています。

 

田舎者だった私は、もはや都会のおねえちゃんチュークラッカー

 

変化は誰にでも訪れる照れ

変わりたいと思ったら、見た目も心も変わって行けるアップアップ


人の思いや真剣さは、生きていく活力です。

自分を信じて、今日を生き抜いてほしい。

そんな願いを込めてドキドキ

「なんのために生まれたんだろう」

「私の生きる意味ってなんだろう」

そんなこと、何回考えただろう。

ただただ人生に期待して、生きてきた。

 

コロナでお客さまも減ったし、まだ続くのか~ガーン

次に何かしようと思っても、なかなか仕事探しも難しい

また、人生のつまづきあし爆弾

 

また、自分には何もないんだと、振り返る。何回目?チーン

人への信用も、社会的信用も、何もない。

自分だけが思っているのかも知れないけど、

それは自分の心の中の真実なんだな~~笑い泣き

 

コロナで、なんでも持っている有名人が自殺…

みんなに必要とされ、死にたいと思ってない人も病死…

 

私の人生はいつ終わってもいいのに、、、ショック!

だからといって、自殺願望はない。

死を望む部分もあるけど、自殺を想像するけど、

自らの死は、私には無理だなぁ~と、そこで終わる。

どうしても、未来に夢を描きたくなるゆめみる宝石

 

欲しいものはまだ一つも手にしてない。

叶わなくても、夢をみたい。期待したいアップ

それが私。

 

また明日からの生き方を考えようひらめき電球口笛ひらめき電球

 

 

すっきりしたい時は、まず洗顔乙女のトキメキニコニコ乙女のトキメキ

まずは、鏡に映った顔を見ながら、お肌磨き。

お肌磨きしながら、人生磨きのおまじない。

鏡を見ながら、顔をくるくるマッサージうずまきキャンディ

外見の変化、表情の変化は、人生に何か新しい風を吹き込む予感を感じさせます。

 

今一番のお勧めは、去年の12月から販売された、ポアレスクレンジングです。

 

ちょっとした気分転換で、「今日頑張りたい気持ち」をつなぎとめてほしいです。

私もそんな日々の積み重ねで生きています。

 

 

 

 

女の口説かれ方

 

「相性が合うか試してみようよ」という男とはしない!!

 

貴女からも言ってはいけない。

 

こんなフレーズを言われた事はないかな?

私は20代の頃から、今に至るまで、

男性との会話で耳にする言葉。

 

こんな幼稚なフレーズを使う男性とは

ゼッタイにしない事をお勧めする。

 

いい男は、自分が興奮する女を知っている。

女性をその気にさせて、抱くときの彼女の様相に

自分が興奮できるかをちゃんと想像している。

だから、そんな相手に「試そう」とは言わない。

身も心も手に入れたいと思うから、

安易な言葉は使わない。

 

では「試そう」と言われる女性は、

どう扱われるのか、、、試される。

もしくは、男性を試そうとして挑むでしょう?

 

貴女が一歩、素敵な女性に成長するには、「セックスは試しあいではない」と知ろう。

 

「セックスは相性」というのは間違っているとは

思わないけど、

「合うかどうか試そう」という言葉が

失礼な言動だと私は感じる。

 

「素敵なセックスをするに決まってる私に、試そうと

いうこの人は、きっとセックスのセンスないな」

「もてないな」と感じるのは正解。

 

自分が大事にしたい男性、

気持ちよくしてあげたい男性、

興奮する男性とする。

そうすると自分の官能の世界を伝える

セックスができる。

 

セックスをしている時の女性は、美しい。

彼の愛撫を受ける私は、とても輝いている。

感じている時の肉体美を私は知っているし、

大切な男性の眼に映り、彼の興奮を膨らませる事も

知っている。

 

私がいかに繊細に相手の身体を感じ、

相手を想い、興奮を膨らませ、

集中した行為であるかを知ると、

「合わせ合い」の行為だとわかる。

だから、たまたましてみて相性がよかったのではない。

 

その時に「相性が合うね」という言葉が、

いかに単純で軽い言葉だとわかってくる。

「相性がよかったから、またしたい」と言われたら、冷める。

 

「相性がよかったから、またしたい」と言われた事が

あると思う。

私も言われた事があるし、

私の彼も過去に言われたらしい。

 

私たちに共通したのは、

「あなたに合わせていただけで、

私本来の気持ち良さは得ていないよ」という事。

だから、「相性が良かった」と聞いて、

セックスに向き合う気持ちの違いに冷めていく。

 

セックスは合わせる気持ちを持って行う行為。

 

セックスには「たまたま合った」というような物はない。

どちらかが合わせているから、

片方かどちらもが満足できる。

 

「たまたまあなたのやり方が、

私の快感に合うものだった」訳ではない。

 

あなたを満足させるために私は作り上げている。

あなたを感じるために、私は感覚を研ぎ澄まして、

快感を受けている。

あなたを五感で喜ばせるために、

私はさまざまなところに興奮の要素を

詰め込んでいる。

 

あなたも私のために、経験で得たテクニックを

私に合うように変えながら、私の快感を求めてくれる。

あなたは、私の与える興奮を漏らさず

受け止めながら、私を求めてくれている。

 

お互いに自分の持ち得たテクニックを駆使して、

相手をとても大事にしているのが、伝わるセックス。

 

そんな事が分かりあえた間で、感性が合い、

「本当に相性がいいね」と感じ合い、

語り合うのは素晴らしい事。

 

自分が大事にされているかをちゃんと見極める事

 

「相性がいい」と言われて、

「ん?」と思う人は、相手との関係性に

何か違和感を持っている。

 

「セックスが合う」から付き合っているのかな?

「セックスだけ」の関係かな?

関係性の疑問。

 

「合ってる」かな?

「合う」と思ってるのはあなただけじゃない?

求める気持ち良さの相違。

 

これを感じた時に、ちゃんと相手からどういう関係として扱われているかを考えてみる。

自分が相手をどんな風に相手の事を捉えているかも

ちゃんと考えなくてはいけない。

 

心や、気持ち良さを譲っている気持ちで

セックスするのは、

あなたが求める本当のセックスではないと

私は思う。

【何のために学ぶのか】

 生まれてから、今日まであなたは自分の人生を生きている。気が付けば、なぜか「暗い人生」を歩んでいる。心が成長しないまま「人生は、神様かだれかが照らしてくれるのだ」と考えているかもしれない。

 

 心を成長させる理由は、自分で自分の人生を照らし、自分の大切な人の人生を照らすためなのではないだろうか。

 

 「怒りを感じたから殴る」というのは、心の選択をしていない姿である。

「怒り」を感じた時、「怒り」の心か「許し」という心の選択をするのか、この段階が心のコントロールである。

 

 心のコントロールは訓練だと言える。何かを感じ、行動しようとする時、ちゃんと考えをもって選択しなければならない。「怒り」や「憤り」に耐えることばかりが訓練ではなく、どんな考え方をして、どういう心を選択するのかが、訓練なのである。

 

 その次に「怒り」を選択したら「殴る」「無視する」、「許し」を選択したら「許す」「理解しあう」「気にしないようにする」と行動の選択をする。

 

 「愛」という気持ちが芽生えた時、「愛する」「愛さない」を選択する。「愛する」と決めたあと、どう愛するのかまた選択がある。心の選択と行動の選択があって、行動に移すのはあなたの身体である。

 

 訓練は「どの心の選択をするのか」であるが、自分を愛し、周りの人を愛するという事を前提に心の選択をしていくという事が、人生の学びなのではないだろうか。

 

 心の選択はあなたの品性であり、行動の選択はあなたの知性だろう。これまで身内から始まり、学友、職場の人と出会う中で、心を学び言葉を学ぶ。あなたの人生の価値観を作っていくのは、これからなのだ。あなたの力はいずれ、だれかを守る力になる。その時には知らぬ間に、今の痛みは癒されている。

【何を学ばなければならないのか】

 一つは、先を見ること。

 あなたは今苦しむために生まれてきたのではない。苦しみの先にある喜びを感じるために生きている。

 

心が塞ぎ、痛みの心に留まろうとするのも誰もが持ちうる心理であり、大なり小なりの山を越えて、そこに待つ喜びを感じようと知らずしらず成長していくのも人に備わった本能であると私は思う。心で選択しようと意識してなかろうと人は未来へと進んでいく。

 

その時の心の選択は「留まるか」「進むか」の二つだけではない。「どのように進んでいくのか」となると、何通りにもなってくる。

 

 その選択一つ一つが自分らしさとなり、心を選択する楽しさを知っていくことになる。

 

そのことを今まで知らずに生きてきたから、前に進めなかっただけである。

ここまでの人生の道理を知るのは、序章に過ぎない。ここからはあなたが体感し「自分で自分の成長を感じることに、喜びが生まれること」を知ってほしい。

 

あなたは「ここまでの苦しみが人生」と思っているかもしれない。陽の光の明るさに気づかないくらい暗闇に捕らわれているのかもしれない。でも人は何も感じなくても日々はすごせる。あなたは今、暗闇の中に取り残されたように感じるかもしれないが、実はあなたが暗闇を抱きしめているだけなのかもしれない。まずは「痛み」を手放すことから始めよう。

 

心を学ぶというのは、この痛みから何を学ぶのかである。それは「自分の受け止め方」という一つだけ。

 

「痛み」とは、悲しさ、苦しさ、悔しさ、寂しさ、嫉妬、憤り、もっとたくさんある。それらの自分の心に芽生えた気持ちをただ感じるだけでは成長がない。

 

「痛み」を大事に抱えていても、その経験を使えなければ、ただお金を貯めて使わずにいるのと同じことである。お金は自分の信用になり、生活を支え、将来を築き、人を守り、使い方しだいに形を変える。心も同じなのだ。

 

心に抱えた「痛み」を、いかに形を変えて自分の力にしていくのか、それが人生の面白さである。

 

あなた自身がまだあどけない心の自分を許し、「かわいいもんだ」と感じるのは、少し先かもしれないが、「痛み」を和らげるのは「許す」という心である。あなた自身も周りの人たちも、そんなに上手に生きているわけではない。そんな誰かを許し、傷つく自分も許すことである。

 

誰かに何かに向ける憎しみを、自分に向けてしまうのは、ただ道理を知らなかっただけである。

 

気持ちと冷静に向き合い、どう解決していくのかを考え、人として成長するための心の選択をできるようになっていくのが、大人になるという事なのだと思う。自分の成長を願い泣きながらも日々を過ごし、生きているあなたは、愛すべき存在であると私は思う。

【人生に期待し、生きるという誰にでも自然に備わった自分の力を信じるということ】

 

今、心が泣いているあなたは、悲しみという心に少し立ち止まっているだけ。楽しそうに映る人たちより、少し「生き方のコツ」を知らないだけ。周りにいる人たちは、今感じている痛みを正面から受け止めないようにすることが少し上手なのかもしれない。

 

それでも何年間も今のように悩んでいるあなたに言えるとすれば「自分を否定しないでほしい」ということ。

 

「生きているのがつまらない」「生きている意味がない」そんな苦しみを感じていることは悪いことではない。創造的になれないことを否定する必要はないと思う。

 

少しすれば、あなたは「生きていることを苦痛に感じていたあなた」を振り返り、「心が幼かった日」を振り返り、これが心の成長かと感じる日が必ずやってくるから。

 

 「生き方のコツ」というのは、人によって心の成長度によって違う。だから、人生で起こることを真面目に受け止めているあなたに、私は簡単ではない話をするかもしれない。

 

「人生に苦痛を感じ、生きている意味はない」という思考は、「助かりたい」「幸せになりたい」という気持ちから生まれる。「生きている意味がない」という考えを否定しないのと同様に、「幸せになりたい」と願う気持ちにも正直に向き合うと、あなたは自然と自分に期待し、自分の将来のためにちゃんと人生に向き合って生きているのだと、私は思う。

 

あなたが痛みを感じ始めてから今日まで、あなたはちゃんと自分自身を信じて生きている。そのことはいずれ、あなたの自信につながっていくのだということを今一度、信じて欲しい。喜びの中にも、苦しみの中にも『成長する喜び』を見出せるということを実感する日がもうすぐやってくるのだから。

 

(つづく)

【今苦しむあなたは、幼い子供の心のままであるということを知ることから】

 初めに「今のあなたは何のために生き、どう生きていくのかを知らなければいけない時期にあるのではないか」と言った。あなたはまだ若い。こういう話が腑に落ちない年頃であるだろうと思いつつ、話している。

 

若い頃は、葛藤が渦巻いている、

「自分はこうありたいけど、そうじゃない」

「人にこうあって欲しいけど、そうじゃない」

「世の中は、自分が幸せを感じる世界ではない」

「なんでこんなに苦しい人生なんだろう」

葛藤は様々な形で感じるもの。どこにでもあふれている。

 

あなたがどんな葛藤を抱いて苦しんでいるのかわからないけど、もしこんな風に感じているなら、この段階は「子供が欲しいものが親からもらえないと泣いているのと同じ段階」にあると言えるのではないだろうか。

 

幼い子供なら、出来事に敏感で楽しいことも悲しいことも瞬時に切り替えられるけど、小学生、中学生、高校生になるにつれ、とても生きづらい人生だと感じていた頃を思い出す。

 

私は呼吸するのもしんどいと思う暗い毎日を過ごした日々がある。その時の私は「人生が楽しいと思える日が自分に訪れるのだろうか」と、「なんて生きるのが下手なんだろう」と失望感いっぱいの世界にいた。

 

だからといって、私の苦しみを暴露し、あなたに話すのは何の価値もない。あなたは私の辛い過去に共感するかもしれないし、逆に「自分の方が辛い人生だ」と嘆くかもしれない。

 

もし、誰かと全く同じ人生経験があなたの人生に起こったとしても、誰かの人生とあなたの人生は同じ人生にはならない。あなたが感じる思いは、あなたの心でしか感じられないからである。私がいかに詳細に語ろうと、誰かの人生の方がよっぽど大変だったと話したところで、だれも人と自分の人生の辛さを比べることなんて、できないのではないだろうか。

 

人の人生の辛さを聞いたからと、自分の辛さが和らぐのではない。誰かが私の痛みを理解してくれても、痛みを感じているのは私だ。だからこそ、自分にしか感じられない自分の体験、その時感じた感情はあなただけに味わうことができるものなのだ。

 

ただ、痛みを知っている人は優しい。そんな人たちの人生をとても美しい景色をみるような気持で見ている私がいる。私はあなたの人生もまた、美しい人生となっていくのだと感じている。

 

(次回につづく)

今、人生に苦しむあなたに。

「人生は輝きに満ちて、楽しみに溢れているから」なんて期待させる事は言わない。

人生をどう生きるのかは自分の選択でしかない。

 

今のあなたは何のために生き、どう生きていくのかを知らなければいけない時期にあるのではないかと思う。

こんな話をするのは、少し人生の捉え方を知っていた方が生きていきやすいから。話を知らなくても、それとなく感じ取って上手く生きている人も世の中にはいる。物事を簡単に受け流せる人も多い。

 

でも、もしあなたが何かある事に捕らわれ苦しんでいるとしたら、自分の心を軽くして明るくなる事で、自分の人生を照らす必要があるのではないだろうか。

 

 

【あなたの人生はあなたにしか歩めない、かけがえのない人生だということ】

私は人生を森の木々の木の葉一枚のように、感じることがある。

風に吹かれ揺れる木の葉が、同じ枝、近くの枝の葉っぱと擦れあい、カサカサ音を鳴らし、風のせいで散るのか枯れて散るのか、人生もそのくらいの儚いもののように感じる。

 

その反面、私はこの人生の主役で、とてつもなく長い苦楽のある物語のように感じ、自分の感情に飲み込まれ、苦しみ恨み泣き、たくさん笑い希望に向かい歩んでいる。

 

星の時の流れから言えば、人生は一瞬であるし、その中のあなたの苦しむ時間も一瞬である。でも、この時がとても長く感じるのは、あなたが人生の主役である証拠だと言えるのではないだろうか。だから、この人生を大事に生きていくことは、あなたが自分の人生に対して持つべき責任であるのではないかと思う。

 

責任というと重く聞こえるかもしれないけど、ちゃんと自分に期待し、自分を大事にしてあげて欲しいということ。まだあなたは本当の意味で自分を大事にする事を知らない。

 

大事にするとは、人生から学び心を成長させて、自分が潜在的に持つ力(成長する力)をそのままに活用するということではないだろうか。その力を使って、自分らしい人生を歩むということであると私は思う。

 

先に、「木の葉一枚のように感じる」と言ったけれど、人は生まれた場所から自分で選んだ場所に移ることができる。人は心を使って、どんな人生も描ける。泣いている今も、笑っている今も、その一つ一つが輝きに感じるようになってくる。その経験が人生の楽しみとなっていくのを、私はあなたに体感して欲しいと願っている。

 

まず話を進める上で、話の捉え方を理解しないといけない。

「素直になれ」と小学生の頃に大人から言われた事はない?意味をわからないと「自分の心の感じたままでいいんだ」と解釈してしまう事になりかねない。理解をしないと、「腹が立ったから、怒った」というのが、正しいと勘違いする事になる。この「素直になれ」というのは、「自分の心で感じる良い選択をした時の心に従え」という意味である。

 

「自分を大事にする」ということも同じ。自分の融通だけを考えて選択していくと、人生で思い通りにいくことは少ないでしょう。

自分と人との関係の中で、最善の関わり合いを作る選択をしていくことが、自分を大事にすることになる。自分の幸せだけでなく、周りの幸せも自分の幸せになるという事に繋がっていく。

 

すべての事は繋がり、生きていく道すがら人生が築かれていく。だから、人の数だけ人生があり、あなたの生はあなたにしか歩めない。家族であっても、夫婦であっても、恋人であっても、常に人数分の人生がそこにあり、だれも誰かと同じ人生を歩むことはできない。

 

たとえ親子であっても、親子は1つの人生を生きているのではない。そこには2つの人生があり、人の人生の歩みは、それぞれが違う速度で成長する。子供が親より先に大人になる場合もある。その違いは、どんな風に経験を見つめ、どんな風に解釈してきたのか。またその経験を活かしてこられたかによる。

 

学ばない人は同じ失敗を繰り返しても、心が学ばないから、人生がうまくいかないような気になる。「自分はこんなに痛みを感じ泣いているのに、いつも泣いてばかりだ」と感じる。痛みにばかりに気を取られる人生になってしまわないだろうか。

 

それぞれの人生を歩む人が、何かしらの関りを持ち合い、感情や行動が生まれる。だからあなたは、何よりも自分のために心の選択をする技術を身につけて欲しい。それは必ず、自分が自分を大事にすることに繋がっているから。

 

(次回につづく)