私には、ずっと責めている人がいる。
もう何年も前の、その人のある行動を責め続けている。
と同時に、自分を責め続けている。
今日、瞑想していたら、その人のことが思い浮かんだ。
その人に、拒否されたことを思い出して泣いた。
その人に拒否された=私には価値がない
価値のない自分と思うと、生きていることが辛くて、心が痛くて、絶望的な気持ちになる。
その気持ちを感じていくと、さらに、奥底にある気持ちに気付いた。
それは、「愛されることへの恐れ」
「愛を受け取ることへの恐れ」
過去、私を大事にしなかった人への怒りを晴らすため、自分を堅くする。
怒り続けることで、自分を守る。
また、傷つくことから、自分を守る。
自分で、愛されない、愛されてないという状況を再生産する。
その中にいて、安心する。
愛されてない、助けがない、注目がない。
ないないない。
欠落しているという前提で、世界を見る、人生を生きる。
それで、安心感を得る。
愛されることは恐ろしい。
また、裏切られるかも知れないから。
信じることは恐ろしい。
また、がっかりするかも知れないから。
だから、過去に拘り続けて、自分を守る。
人を責めること、自分を責めることで、この世界と何とかつながり続ける。
人を許すこと、自分を許すことは、悔しい。
どうして、私から許さないといけないの?
それと同時に、もう一人の自分が、私に話しかける。
”もうちょっと力抜いてみたら?”
”受け取ってみたら?”
”目の前に、愛は溢れているよ。”
”そんなに突っ張らないで”
いろんな自分の声が聞こえる。
「お前に何が分かるんじゃ!ぼけ!」
と、上の人に言い返す私もいる。
腹が立つ、本当に腹が立つ。
大人になることは、本当に腹が立つ。
「いじけによるコントロール」
「受け取るもんか!」という態度で、相手に罪悪感を抱かせ、攻撃する。
昔、心理学の本で、この表現を読んだ時、
「あっ、私のことだ!」と思った。
と同時に、そういう自分が恥ずかしいやら、認めるのが悔しいやら。
素直って、悔しい。
素直って、すごい。
素直な人は、強い人。