先日の初ZOOMを終えて、少し考えてみました。

 

グローバルとローカルを併せたグローカルという意味。

 

グローバルと聞くと、やっぱりすぐに頭に浮かぶのは、国際的、とか世界的という意味合い。

そして、ローカルと聞くと、田舎や地方的な、少しマイナーな匂いを感じます。

 

ローカルは、当人の個人の考えや思想。

グローバルは、その土地土地の人たちの考えや思想。

 

その交流が、新たな潮流を生むことに繋がるのでしょう。

 

そう思うと、成長していくにつれ、自分と違う価値観、または自分でも気づかなかった興味等を、人との交流を通じて、自分の中へと少しずつ落とし込んできたように思います。

 

多様性とはそういうことのような気がします。

例えば、ふたつのモノを結び付けるとき、1本の直線を瞬時に引くのではなく、あらゆることを考慮していくと、偏西風のように蛇行した線になるのではないですかね。

 

そう思うと、知らないうちに――意識していた可能性もありますが、京都北部の田舎者の自分が、東京下町の江戸弁的な言葉を使うようになってしまったことにも、素直に頷けるというものです。

 

ときどき、ご夫婦で、雰囲気がよく似通った方たちを見かけます。

また、動物病院では、連れている犬や猫を眺めつつ、飼い主さんとの類似性を確認することも多いです。

 

郷に入れば郷に従え、という言葉があります。

また、人の踊る時は踊れ、所の法に矢は立たぬ、とも……。

その場所で定められたことは、たとえ不合理なものでも従うしかないということですが、あまりに一方的な気もします。

ベースがあっての話し合いが、より良いものを構築していくことに繋がるのではないですかね。

 

グローカル・マインド……。

辺境的な私の、個人的な見解です。

でも、そう思うと、つねに自己肯定をしている各国の政治家のトップの心情は、深い闇の奥底に震えながら横たわっているネズミのようなものなのかも、とついつい思ってしまいます。

吹けば飛ぶような会社の代表という、格は断然下の私ですが、責任に対し、値上げの続く情勢が不安となって、つねに心の襞を揺らしています。

 

不安があるからこそ、前向きになれるというもの。

そんなふうに思うからなのかもしれませんが、アルトサックスの儚く不安げで、情熱的な音色に惹かれるのかもしれません。

アルトサックスを手に取るきっかけになったのは、キャノンボール・アダレイの『Somethin' Else』。

レコードの最後に収録されていた、『Dancing in the dark』です。

この曲は、彼のショウケースそのもの。

あの演奏は、中枢神経を甘美なまでに麻痺させました。

今も愛聴している1枚です。