どんなところでも、どんなときでも、何かを決定する場合、たった一人の大きな声を出す人です。

または、大きな声を出す人を操る影の人……。

それは、どんな生き物でもなく、まぎれもなく人間です。

地域社会や学校、会社、政治に至るまで、すべてに通じる真理のように思います。

歴史を紐解いてみても明らか……。

 

先日、メーカーさんとも、そんなようなことを話していました。

 

古くから、遠交近攻は、あらゆる戦略における常套手段。

 

相互利益、つまり互いに利益を享受し、また信頼を深める……。

これは、仕事をしている中で、とても重要な柱です。

根幹と言っても過言ではないでしょう。

ただ、利益という言葉に金銭を直結して当てはめてしまうと、その時点で話は続かなくなってしまいますが……。

 

言葉は似ていても、意味はまったく違う言葉があります。

利益相反。

大きな意味での利益相反行為が、本来は何ら関係のない人までも巻き込んでいく戦争へと繋がるのではないですかね。

 

渡米経験のある五十六さんは、史実的にもアメリカとの交戦は基本的には求めなかったようです。

ま、工業力、資源力、人員と、どれをとってもアメリカの足元にも及ばない……。

虚栄心に駆られた者が提唱するのは精神力での現状打破。

作戦あっても戦略なし。

おそらく、それが四方を海で囲まれた日本的な考え方なのかもしれません。

大陸だと、その先、その先とつねに見据えて考える必要に迫られます。

 

特定外来生物。

生態系を歪ませる理由で飼ってはいけない生き物。

会社の裏にある川には、ブラックバスが生息しています。

オイカワやメダカ、カワムツを捕獲しようとして、ときどきブラックバスが網に入ります。

そうなると、抜き差しならない状況に陥ります。

持って帰るのもダメ。

そのまま、川へと戻すのもダメ。

そこで、命を絶つのが正しいとされています。

 

視点や論点を変えることで、簡単に正義はひっくり返ります。

人を殺すのは罪です。

そうなら、殺さなかったら罪にはならない。

今度は、殺さずとも危害を加えるのは罪です。

そうなら、危害を加えなかったら罪にはならない。

今度は、危害を加えずとも相手が嫌がることをするのは罪です……。

 

法律の抜け道を知っているのは、法律を作った人がいちばん知っているというもの。

または、それに準ずる人たち。

柳条湖事件や盧溝橋事件の二の舞のように思えるのが、イスラエルとパレスチナ。

ま、辺境的な私の見解なので、特に気にされる必要はないと思いますが、個人的にはそう見ています。

 

従業員に注意する時も同じです。

自分は悪くない、という主張が強い人ほど責任感は薄いもの。

その結果を引き起こしたのは、自分の注意が足らなかったからだ、と反省できる人は責任の意味をしっかりと把握しているものです。

 

斎藤一人さんの言葉で、非常に興味深い言葉があります。

自分にとって、苦手な人は、どこにでもいるもの。

イヤだな、と思うことをやめて、自分の周りには、いい人ばかり、と思ってみる。

すると、いつの間にか、本当に、自分の周りには、いい人ばかりが集まってくる……。

的なことを言っておられました。

ま、なんだかわかる気がします。

ま、今は、なんとなくですが……。

 

先月、アルトサックスの発表会にて、『花は咲く』を演奏しました。

ちょっと、気取って、尊敬しているナベサダ・バージョンを一部引用して……。

四分音符のところを八分音符にしました。

ま、結果はギリギリなんとか最後まで老けた感じです。

ホホホ……。

初めて買った渡辺貞夫さんのレコードは『オレンジ・エキスプレス』。

今聴いても、当時の空気感を反映していて、とても気持ちよく心をドライブしてくれます。

入り口がよければ、どんどんと次から次へと扉を開けたくなるものですね。

今では、60年代のモノからついこないだリリースされたモノまでほぼ持っています。