今日も暑いですね。

今日は、お店の都合もあり、あさイチでカットへ。

ラジオやビッグバンドの話をしつつ、いつものようにはさみとバリカンが進みます。

 

帰り道、ハンドルを握りつつ、頭を掠めるのは臥薪嘗胆という文字。

昨日は、師匠のところで久し振りのレッスン。

その時も、今はいちばん低いシ♭からいちばん高いファ♯までのスケール練習を毎日しています、と伝えました。

お、なんと、具体的な教え方、と納得されていました。

 

今は、眩しい景色を横目にしつつ、今は、音のニュアンスを含めて練習しています、と伝えました。

また、それが楽しくてしかたがない、とも。

小さなことでも、それが10のうち2回できるだけで、悦びは2乗です。

 

いつかは、師匠と笑顔で演奏できるようになりたい、とそんな思いが今の推進力です。

 

ま、そこで臥薪嘗胆です。

若い頃、ま、中学生の頃からですが、両親からは、お前は我慢ができない、とよく言われたもの……。

ある時、父親からどこかのお土産で、石灰岩のような盾に『忍耐』という文字が彫られた置物をもらったことがあります。

今でも、実家の書棚にあるような気はしますが……。

 

目標に向かって努力する。

ま、大抵は、努力と聞けば、つらさを連想するものです。

でも、好きなことに対しての練習は、果たして努力と言えるかどうかは疑問です。

なぜなら、今は見えなくても、続けていくうちに、いつかは思い描いている景色に到達するということが理解できるからです。

 

人は簡単には変わらないのは重々承知の助。

でも、考え方は、捉え方を変えるだけで豊かな曲線を描きます。

そうすることで、直線は知らぬ間に弧を描き、大きな円へと繋がっていくように思います。

 

それが、円熟という言葉の意味のようになるのではないですかね。

そんな気がするようになったのも歳のせいですかね。

ホホホ……。

 

そんなことを思いつつ、フレーズが自然に口から洩れてきたのは『時間よ、止まれ』。

行間に埋もれている感覚が、今ではひょいと掬い取れる気がします。

過去を踏まえて現在があり、またすぐにそれは過去へと……。

いつだって未来には追いつくことのできない儚さが、いつだって切ないくらい愛しい気がします。