先行き不透明な時代になったもの、と思うようになったのは、ひょっとして自分がそのぶん成長したことの証のようなものかもしれません。

子供の頃は、未来を予想することすら思いもつきませんでした。

中学、高校と進学、またその上も……。

学生時分は、漠然と今の延長のように思えたものです。

ましてや、どんな仕事に就くか、も深く考えたこともなく……。

ま、それが当時言われていたモラトリアム世代、もしくはピーターパン・シンドロームだったのかも、とうなずくばかり。

 

行先を見つけ、切符を買い、颯爽と列車に乗り込む同級生たち。

自分だけは、見栄という背もたれに深く沈み込み、考えている振りをしては、プラットホームで無駄に喫煙をしていたような……。

そんな気がします。

 

今思えば、それなりにその時々の時代をやり過ごしては、グズグズと崩れていきそうな足元をいつも不安に煽られては確認していた気がします。

 

契機は結婚。

明確な責任を背負うことの覚悟は、これまでの自分を強制的に矯正したように思います。

 

先日、モンキー125にクロック・ポジション・メーターなるものを取り付けて頂きました。

これは、時間とギアの位置がわかる優れモノ。

痒い所に手が届く、そんな感じです。

 

仕事では、数えきれないほどの多くの人に勉強させて頂いたものです。

それらひとつひとつが、自分自身にとって、成長に欠かせない滋養そのものでした。

今、趣味に於いても、辛抱強く伴走して頂きつつ、なんとか前を向けている感じ……。

仕事や趣味に於いても、寄り添ってもらえる環境下にいられることに感謝する日々です。

 

感に頼るのではなく、はっきりと目視できる安心感は、どんなことにも通じるとても大切なこと。

しっかりと足が着いていないと、いくらお気に入りのバイクでも、いつまでたっても不安はつきものです。

CB400FOURを手放したのも、思えばそれがいちばん大きい理由だったのかもしれません。

 

ニュートラルでは、いつまでたっても前に進めないまま。

でも、時にはニュートラルも大切なこと。

どんなふうに攻めていくのかを巡らすのにはうってつけです。

『serenity』、ま、そんな感じです。

いい演奏は、心の襞をひらひらと揺らします。