先週末、ピアノのソロ・コンサートに行ってきました。
美術館でのコンサート、穏やかな雰囲気で、とても心地よい空間でした。
詩の朗読のあと、静かにピアノに向き合い、演奏をはじめられた『あじさい』という曲が、心の襞にしっとりと染み込むように感じられました。
この曲は、ピアノでのソロがとても映えるように思いました。
このCDにも『あ・じ・さ・い』という曲が収録されています。
音の厚みという点では、やはりこちらのほうに軍配は上がるものの、しっとりとした佇まいは同じ。
『Sixth sense』、『邂逅』、『あじさい』等のオリジナルに加え、『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』を収録して頂けると、個人的には最強のCDに、とひとり笑いです。
ホホホ……。
ま、無理なことは重々承知。
『みんなのために、ひとりの誰かのために』というスローガンは、ガツンと胸を貫きます。
個人的には、政治はそうあるべきだと思いますし、社会自体もそうあるべきのように思います。
ま、でも、それはある意味理想。
チベット奥地にあるとされるシャングリラ。
誰の心の奥に静かにしまってある思いのようなもの。
わかってはいるものの、と言う類に分類される理想のひとつなのかもしれません
時間待ちのために訪れたカフェでの光景。
時計の針が12時に近づくにつれ、訪れる客足が増えます。
店内の椅子に腰かけ、順番待ちをする家族。
しばらくして、新たに入店してきたお客さん。
待っているお客さんを追い越すようにお店の方に言葉をかけます。
『そこのテーブルを2つに分けてもらうと座れるのですが……』、と。
4人掛けのテーブルに腰を据えていたお客さんが肩身を狭くされていました。
どんな時も同じです。
例え、それが正論でも、状況や温度差によって、相手を傷つけることがあるもの。
そうなれば、それはもう正論でもなんでもなく、身勝手極まりないわがままへと堕ちていきます。
何かの壁にぶつかったとき、相手の立場になって考えることをすれば、自ずと取るべき態度はわかるもの。
扉を開けて店内を見回し、
お店の方に、少々お待ちいただけますか?
と訊かれ、
またにします、と帰られたお客さん。
ごく当たり前の対応を目の当たりにして、なぜだかほっとしました。
家内も娘も同じ思いのようで、
な~、と言いつつ、蜂蜜のかかったピザを口に運んではリンゴジュースを頂きました。
ホホホ……。
映画にしてもCDにしても同じ。
観た人、買った人だけのために制作されてはいないはず。
好きなシーンやそうでない表現があって当たり前。
でも、『カサブランカ』や『アメリカン・グラフィティ』は、ケチをつけるところがありません。
先日、購入したCD『Mutation』というアルバムも、今ではお気に入りのひとつです。
感性が合うと気分が高揚します。
若い頃の恋愛にも通じます。
同じ景色を見て、同じ思いにふける……。
時間が経てば収まる熱病のようなもの。
ふたつ並べて書いた円の上を自由電子のように感性が回ります。
近づいたかな、と思えばまた遠ざかったり……。
世の中には無数の円があり、それぞれの感性が行き交っているのではないですかね。
仲良くなったり、疎遠になったり、と。
そう思うと、人の縁は不思議です。
止まることのない円の出会い。
次は、どんな縁に出会うのか、そんなことを思うと楽しみがまたひとつ増えていきます。




