若い頃にはよくわからなかったことが、年を追うごとに理解が深まることが多いものだとつくづく思います。

意識の根底に流れているものは同じであるものの、おそらくその時々の空気の濃度の差や、もしくは環境の温度の違いなのかもしれません。

 

中学、高校生の頃は、表層的な捉え方が優先していたような気がします。

正しいことやそうでないこと。

好きなことやそうでないこと。

 

そう思うと、私たちはいつの瞬間も延長戦を気づかないうちに継続しているだけなのかもしれません。

へこたれる時があっても、周りから勇気をもらっては、ネクストバッターズサークルで次のチャンスを虎視眈々と狙うような……。

 

憧れの広間への入り口はいくつも用意されていて、自分の好きな色の扉を選んでは中へと足を踏み入れることができます。

そして、扉を押し開けると、その広間へと続く廊下に出ます。

ただ、規定の歩幅で進まないと、その広間へと続く廊下は進むことが出来ないことに気づきます。

 

そんなイメージを昨日のレッスンで強く感じました。

タンギングとアーティキュレーション。

とりあえずは吹けるようにはなったものの、それでは何も伝わりません。

相手に自分の気持ちを伝える時と同じ。

同じ言葉でも、話し方ひとつで熱量の違いを生じさせます。

 

ホホホ……。

昨日は、アクセント、スラー、タンギングの練習をひたすらしました。

そのあと、場所を移し、今度はスウィングの掴み方の練習です。

ドゥー、ダァー、ドゥー、ダァー・ディーの練習です。

ピッチを保とうと思いつつのたったの4小節でさえ、息が続かないという壁にぶち当たります。

タンギングとブレス……。

よく言われる、『1丁目1番地』的なことのように思え、まずはココカラファイン。

 

ま、どんなことにも共通して思うのは、やっぱり基礎がしっかりしていないと、いくら積み上げても正方向には積み上がらない、ということ。

我流がラクなのは、誰だって承知のはず。

ま、そんなことを踏まえつつ、仕事でも正方向へと指導しているつもり……。

ま、当然、自分自身も、いくら趣味と言えども、しっかりと上へと積み上げていきたいと思います。

ヨーソロー!

ま、そんな心持ちです。

 

チャーリー・パーカーが、アート・ブレイキーにこんなことを言ったとの逸話があります。

あそこに行くのなら、トランぺッターは連れて行かなくてもいいぜ。

あそこには、ものすごいトランペット吹きがいるからな。

名前は、なんて言ってたかな……。

そうそう、クリフォード・ブラウンとか言ってたな、と……。

 

ま、次に人間に生まれ変われるとしたら、そんな存在になってみたいものです。

高校生の頃、クリフォード・ブラウンのエマーシー版のレコード、すべて買ったのを覚えています。

シリーズでリリースされていました。

ライナーノーツには、クリフォード・ブラウン物語的なことが綴られていたのを覚えています。

確か、1枚1,950円でした。

中でもお気に入りの演奏は『ザ・ブルース・ウォーク』と『ランズ・エンド』。

今も時々聴いています。