今回、改めて思いましたが、小さなウソやごまかしは、あとあと大きな問題や事件を引き起こす、ということ。

文春が記事訂正をサラッとは流すのはあまりにも無責任……。

 

ま、私たちの生活レベルでも同じことが言えます。

小さなウソやごまかしは、結局は信頼を失ってしまうことに繋がります。

ま、つじつまが合わなくなるわけです。

真実は、それぞれその人と数だけあるものの、事実はひとつ。

ま、これは、ドラマ『ミステリと言う勿れ』でも主人公が言っていた言葉。

 

判断する人が公正であれば、事実はすぐに見抜けるはず。

ただ、人情が不用意に介入してしまうのも事実。

部下の報告を聴いていて、

『あれ? それは先週も聞いたな~』

と思えば、すぐに『ごまかしているな』、と気づきます。

本当のところは、忘れたか、寄っていないか……。

 

『言いたくない』ことと『言わないこと』の違いは、しっかりとした意図があるということ。

若い頃は、よくごまかしたりウソを言ったりしたものです。

気づかれていない、と思うのは自分だけ。

周りは、とうに気づいているもの。

 

無意識に防衛本能が働くのでしょう。

でも、真剣に取り組むことや反省し改善することを怠らなければ、それが一番の自己防衛に繋がると思うのですが、どうですかね。

人には、多かれ少なかれ承認欲求は存在します。

ただ、あまりにも承認欲求を満たすことに執着していくと、最後にはいかんともしがたい自己顕示に変わっていくのかもしれません。

自己顕示に憑りつかれた妄想が、ガソリンをぶちまけるという凄惨な事件を引き起こしたように。

 

自己顕示と言えばすぐに思いつくのが、マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンク。

そして、リッチー・ブラックモアとイアン・ギラン。

あとは、ドン・ヘンリーとグレン・フライ。

ま、まだまだあるとは思いますが、とりあえずはこのあたりですかね。

自己顕示欲と聞くと、ちょっと響きがよくないものの、本当は大切なことのように思います。

ま、重要なのは程度。

どんなことにも言えるのかもしれませんが、『ほどほど』や『ぼちぼち』が無理なく進む一番の近道なのかもしれませんね。

そうそう、矢沢永吉の歌にもあります。

『馬鹿もほどほどに』と……。