カフェバーエリクシルの粕家です。
3か月ぶりのブログ更新となりました。
おかげさまで、たくさんの方にウイスキーの楽しさを知って頂き
嬉しく思う、この頃でございます。
今回はウェールズのウイスキーについてお話したいと思います。
昨今ですとウェールズのウイスキー(ウェルシュウイスキー)と云うと
ペンダーリン蒸留所でしょうが、ペンダーリンが操業する前。
それより、ちょっと昔の話をしていきたいと思います。
まずはこちらをご覧ください。

このラグビーボールの形をしたウイスキーボトル。
ちょっと昔に造られていたウェルシュウイスキーなのです。
今回はこの不思議な形のボトルからウェールズをひも解いていきます。
まずはウェールズって何?という方もいらっしゃると思いますので
そちらをご説明いたします。
ウェールズとはイギリスに属するひとつの国名です。
イギリスとは「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」ですが
そのなかのひとつです。

グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国は
イングランド
スコットランド
北アイルランド
ウェールズ
から成り立っております。
ただしウェールズはイギリスの国旗を見る限り
ほかの国とは同等には扱われておりません。
最近スコットランド独立選挙がありましたので
ご存知のかたもおられると思いますが
英国旗はこのようなつくりになっております。(ユニオンジャック)

一目瞭然かと思いますが、そうなのです。
ウェールズの旗はどこにも見当たりません。
ちなみにウェールズの旗はこちら。

うん。かっこいいですね。
ユニオンジャックが作られたときには、すでにイングランドに併合されて
いたのでウェールズは入っていないそうですが、しかし、これはかなりの屈辱。
ウェールズは強国イングランドに侵略された苦渋の歴史があり
13世紀後半にイングランドの支配下に置かれ、属州のような立場であったという。
18世紀半ばに法律でイングランドの一部と定められ
ウェールズが別の国であると認められたのは
1967年になってから。
最近じゃねーか!!と驚かれたかたも多いことだろう。
このときウェールズ語の使用許可もおりたそうで、なんとも言い難いものがある。
このような事情もありスコットランド同様、反イングランド感情が強くあるのだ。
先日の選挙でスコットランドが独立していたら、きっと飛び火していたことであろう。
さて、最初にご紹介したラグビーボール型のウェルシュウイスキーですが、
ウェールズは南東部に広大にある「ブレーコン・ビーコンズ国立公園」。
その国立公園の中央部北側であるブレーコン町にある蒸留所で造られていた。
蒸留所名は「ウェルシュウイスキー蒸留所」

ブレーコン・ビーコンズ国立公園は、のどかな高原や山々、湖などがあり
自然豊かな所だそうだ。





さぞかし空気も水も澄んでいてうまいことだろう。
ウェルシュウイスキーの歴史は古く
ウェールズ的には、世界最初のウイスキー誕生はウェールズということになっている。
356年に北ウェールズのバージー島にいた、ロールト・ヒールと云う男が
ウイスキーを造ったという。(ウイスキーはウェールズ語でチェズキー[chwisgi]という)
島の修道僧が造っていた甘口のエールを蒸留したそうで
その後、修道僧たちにより改良を重ね、蜂蜜や様々ハーブを加え風味を増したそうな。
ここまでくるとウイスキーじゃなく、リキュールじゃないか!と言われそうだが
今現在の法律をあてがっても仕方ないので、
ウェルシュウイスキーはこういうものだと認めてみよう。
この蒸留酒が英国各地に広がり、鎮痛剤や薬剤として珍重されたそうだ。
しかしながら、これは一般的に言われている
アイルランドが6世紀にウイスキーを誕生させたと
いうものを2百年も早く上まり、覆すものである。
アイルランドにとっては聞き捨てならない話であろう。
だが、どちらも確証がなければ致しかたない。
双方とも夢のある面白い話なので有難く頂戴したい。
時代は16世紀すでにウェールズを支配していたイングランドの王
ヘンリー8世がローマ・カトリックと袂を分かつことになる。
これはヘンリー8世がほかに女ができて、ただただ妻と離婚したいがためそうなった。
(簡単に云うとローマ・カトリックでは離婚できない為、酷い話だ)
それにより1534年英国教会が設立される。
この宗教改革により各地に在った修道院は解体され
ウイスキー造りは修道僧から農民の手に移ることとなる。
この頃ウイスキーは国民の間でポピュラーなものになっていたそうだ。
その後、個人レベルでのウイスキー造りが行われていたが
1705年、商業的な蒸留所がウェールズ南西部ペンブロークに設立された。
設立者はエヴァン・ウィリアムス・オブ・デールという者で
後に西部カーディガンのダニエル家に引き継がれることになる。
ウイスキー好きには聞いたことある名前である。
そう、アメリカンウイスキーの雄
エヴァン・ウィリアムスとジャック・ダニエルだ!
ふたつの家はのちにアメリカへと渡り、新たな原料でウイスキーを造り出す事となる。
アメリカンウイスキーはスコットランド、アイルランド、ドイツ、オランダと
様々な国の移民たちが造り出したが、そこにはウェールズも居たのである。
18世紀半ばになり、あちこちの谷間でウイスキーが造られるようになる。
密造酒の時代だ。
やはり、スコットランドやアイルランドと同じように
ウェールズでも税務官とのイタチゴッコが行われていたのだろう。
それからしばらくして1888年
北ウェールズのバラに立派な造りの大規模蒸留所が建設された。
だが不運なことに当時ウェールズにて流行っていた、メソジストによる禁酒運動の為
1906年に倒産してしまう。(メソジストはとても戒律が厳しいのです)
禁酒運動自体は北部から始まり、南部に広がっていったそうだ。
しかしアメリカのような禁酒法までには発展しなかったようであった。
根っから飲酒が好きなのであろう(笑)
そもそも炭鉱夫などの労働者が多い時代
1日中、地下に潜っていては、すっきり飲みたくなるのが心情だ。
しかし、これでウェールズでのウイスキー造りは終わってしまったかに見えたが
1974年、デヴィット・ギティンズとマル・モーガンという人物が
先に申し上げたブレーコン町でウイスキーを造りはじめ
当時、ウェールズ唯一の蒸留所として稼働していた。
社名は「ウェルシュウイスキー社」
そうラグビーボール型のウイスキーを造った蒸留所に繋がるのである。
彼らが、まず最初に世に放ったウイスキーはこちらである。

「スィニー・モー」海の響きという意味だ。
ウェルシュウイスキー秘伝の風味を醸し出したウイスキーだそうだ。
主力製品だったスィニー・モーもラグビーボール型ボトルがある。

手に入れるのはなかなか難しそうだ。でも欲しい・・・。
スィニー・モーは、ほのかな甘みで少し硬質のウイスキーだあるそうで
最低3年間熟成させたモルトウイスキーを35%
グレーンウイスキーを65%の割合で混ぜたブレンデットウイスキー
数種類のハーブを濾過しているので、かすかに複雑な香りがするようだ。
(ノンピートのようです。)
仕込み水はブレーコン山系の湧水
大麦はウェールズ産のものを使用している。
ハーブの種類は例によって秘密である。
1986年には10年もののモルトウイスキーが発売される
「プリンス・オブ・ウェールズ」である。

そして、このプリンス・オブ・ウェールズのラグビーボール型がこれだ。

ラベルがないのでわかりにくいがプリンス・オブ・ウェールズである。
実はびんの底にラベルが貼ってある。

今回のお宝「プリンス・オブ・ウェールズ」はモルトウイスキー10年熟成
ウェルシュウイスキー社としてはヘビータイプの辛口仕上げ。
そしてやはりウェルシュウイスキーの特徴であるハーブの香りが独自性を漂わしている。
明らかにスコッチやアイリッシュとは違うのだ。
ラベルを今一度見ていただきたい。

一番上に「プリンス・オブ・ウェールズ」と銘打ってある。
そのしたに「オーウェン・グリンドゥール」と人物名がある。
これらはウェールズの人々にとって大切な魂を意味しているのだ。
プリンス・オブ・ウェールズといえば、今では代々イギリス皇太子のことを指すが
元々は違う。
13世紀、侵略してきたイングランドと戦った
英雄「オーウェン・グリンドゥール」を称え
ウェールズの人々は彼を「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼んだ。
意味は「ウェールズ最後の大公」というところでしょうか。
しかしながらウェールズはイングランドに敗れることとなる。
イングランド国王のエドワード1世は、息子であるエドワード2世に
対し「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えるのだ。
侵略して勝ち取った栄光のつもりなのでしょうが
それが代々英国の皇太子の称号となったわけである。
実に人を喰った馬鹿馬鹿しい伝統だ。
わざわざウェールズにあるカーナフォン城まで出向いて昔のように称号を受けるのですから
しかも現代まで続いており、呆れて言葉も出ない
反感をかうのもあたりまえである。
ちなみに2000年には反乱600周年を祝い
ウェールズ各地でオーウェン・グリンドゥールを称えたそうな。
2012年のロンドンオリンピックでは
イギリス全土から代表チームが出場したそうだが(基本イングランド・スコットランドだけ)
試合前のイングランド国家斉唱をウェールズ出身のキャプテンが歌わなかったり
長い年月の軋轢をひしひしと感じます。
そしてラグビーと云えばウェールズは強い。
北半球最強なんて云われたりもしますね。
ということは国技ともいえるこのラグビーで
スコットランドを負かすこともできるのです。
つまりこのラグビーボールのボトルに「プリンス・オブ・ウェールズ」と云う
ウェルシュウイスキーを満たすのは、最も適した組み合わせと云えるのではないでしょうか。

ボトルキャップには国旗の紋章が。熱い想いを感じます。
しかしながらこのウェルシュウイスキー蒸留所
理由は解らないが1998年に閉鎖された。
そしてウェルシュウイスキー社は売却された。
買い取ったのはアラン・エヴァンスとブライアン・モーガン
そうペンダーリン蒸留所を造った者たちである。
現にペンダーリンは1998年にこの二人が計画し
2000年に蒸留を開始するのである。
少し腑に落ちない点がある。
ペンダーリンは売り文句として
「この100年余りウェールズではウイスキーは一切造られていなかった」と
明言している。
しかしそれは明らかな嘘である。
そして伝統的なウェルシュウイスキーにするのであれば
ハーブにて濾過しなくてもよいのだろうか。
表向きには「ウェールズのウイスキーを復活させる」だの
「空白の100年がどうだこうだ」だの
綺麗事ばかり並べているが嘘はよくない。
商売上、大人の事情で仕方がないのかもしれないが
納得はできないのである。
ペンダーリンは折角、革新的な試みなどに挑戦し続けているのだから
歴史も踏まえ正直な勝負をして頂きたいものだ。
ウェールズの人々はこれを知っているとすれば
どう思っているのだろうか。
2004年に発売されたペンダーリンだが
そのときにはプリンス・オブ・ウェールズである
チャールズ皇太子も祝いに駆けつけたそうだ。
お互いの腹の内が見てみたいものだが
今では唯一のウェルシュウイスキーになっている
ペンダーリンが懐に巧く潜り込み、結果を出していくことを期待している。
これからも暖かい目でウェルシュウイスキーを見守っていこうと思います。
ペンダーリンに想いを繋げ
ウェルシュウイスキー蒸留所の「プリンス・オブ・ウェールズ」を
ウェールズの歴史を味わってみようかと思います。
ご興味ある方は声をかけてください。
まだ少しならとっておいてございますので。
ではまた。 粕家
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※2014年11月04日現在の情報です
