今日ナメクジをみた。
雨上がり終電待ち、ふと座り込んだ時だった。私はそれと出会った。それはそれは小さくて、少し気味の悪いどんよりとしたオーラを背負っていた。
進んでいるのか、止まっているのか私には分からない。というかどうでもいい。
今日も疲れた、うまくいかないことがたくさんあった。私には考えなければならないことがたくさんある。
そんな私を横目に宇宙から来た生命体のようなそいつは相変わらず同じ場所にいる。
久しぶりの雨を悦びどこかから現れたのだろうか、この小さいのは晴れた日は何をしているのか。
単細胞な私の頭はくねっとしたそいつの頭の先の二つの角をじっと見つめそんなことを考えていた。
ふと思った、仮に進んでいるとしたらその目的地にはいったいどれほどの時間をかけ歩んでいくのだろうか。
目的地にはそれほどの労力と時間を費やすメリットがあるのか。
私がほんの数秒、数歩歩いたら届いてしまう場所に、そこまでして大移動をしなければならないのかと。馬鹿な行動だとも思ってしまった。
数年後の近い将来なっていたい自分のために今日を頑張れない自分が言えた話ではない。
そんなことを考えている間にそいつの後ろにはしっかりとそいつが進んだ足跡できていた。
勤勉とはこのナメクジのような人のことを言うのかもしれない。少しずつ、幾ら時間を費やしたって真っ直ぐに目指す場所へ進んでいける。そんな人だ。
私はどうだ…。毎日本当にやりたいことがわからないことを淡々とこなし、ただ過ぎていく日々に焦りと将来への不安を抱えて一体なにをしているのか。
趣味も娯楽もないそのナメクジは何かについて深く考えることも、ストレスを発散することも、素晴らしい映画を見て泣くこともできない。
嫌なことがあったら好きな音楽を聞いて、好きな趣味に走って、好きなものを食べることができる贅沢な人生を送れている自分が情けなく感じてきた。同時に優越感を覚えた。
十二分に幸せすぎる人生が私にはあるのかもしれない。
彼より何万倍も早く歩むことができ、喜怒哀楽を感じ、目指すべき将来があることを噛み締めなければ彼には少し申し訳ないと思った。
そんなことを考えてたら電車が来てしまった。
彼はこの短い夜が明けて、眩しい朝日が昇る時、目的の場所にたどり着いているのだろうか。
私は電車に揺られている間、彼のどこか愛らしいフォルムが忘れられなかった。
いつか落ち込んだり、迷ってしまった友人が現れたらナメクジの話をしてやろう。
馬鹿だと笑われるかもしれない、くだらないと思うのだろうか。
だけれども彼は今日も歩んでいる。
彼が頑張っているのなら、私が私の人生を頑張らないわけにはいかない。
明日からまた頑張ってみるのも悪くはないと気付かされた不思議な出会いだった。
今日の帰路は少しだけ足が弾む。