怖い。気持ち悪い。ほんの一押しで恐怖の底に突き落とされてしまう淵に立たされている。それなのにページをめくる手は一向に止まろうとしない。そんな小説だった。

まず私が読んで感じたことを書く。

舞台は青森県の廃れた集落。主人公の歩は、東京から集落に引っ越してきたいわゆる「よそもの」でありながら、晃、稔、内田、藤間、近野の同学年メンバーに馴染んでゆく。それは、転勤族である彼が身につけた、人を観察して、それぞれの集団の中での立ち位置を把握し、自分を最も適した位置に位置つける能力がなし得たことである。
今までの例に漏れず、歩は集団の中での立ち位置を確立させる。副学級委員長となり、リーダーである晃と親しくなる。うまくいくはずだった歩の新天地での生活。しかし、そこの生活は、今まで彼が過ごしてきた生活とは決定的に違っていた。その違いは、少人数の集落ならではの閉鎖性である。晃からいじめを受ける稔という構図は、人間関係が変化しない集落では、彼らが関わり続ける限り固定されたままなのだ。そして、今までならそのようないじめから距離を置くことで無関係を貫いてきた歩が、否応なしにそのいじめに巻き込まれてゆく。
このような不健全な人間関係についてだが、私も(この小説に出てくる学校ほどではないが)少人数の学校出身であるので、理解できる部分が多い。本作品は、閉鎖的な環境でエスカレートしてゆく暴力、一度組み込まれれば絶対に抜け出すことのできない人間関係、といったものを、少年たちの不安や希望などの微妙な心情を交えて描いていた。〈外〉から見てしまえば、「なぜ逃げない?」とか、「そんなの気にしなくても世界はもっと広いんだよ」と思えるかもしれないが、その環境にいる人間にとって、彼らの世界はその集落だけでしかないのだ。

しかし、なぜ最後のシーンで、稔が歩を襲ったのかが理解できなかった。それについては、興味深い記事を見つけたので、以下に紹介する。


【書評】書評家・倉本さおりが読む 『送り火』高橋弘希著 「視界の歪み」穿つラストの惨劇



田舎集落の底辺である稔と、東京からやってきた、生きるのがうまい歩の対比。
俯瞰する視点というのは、時に、傲慢で上から目線になっているということ。
いじめの当事者であることを引き受けようとしない歩の姿勢。

暴力とは、力によるものだけではない。「まなざしの持つ暴力性」を考えさせられる作品であった。