むむむ、なんか忙しい…。
新生活の続き、忘れないうちに書きます。

三男・洸人(ヒロト・1歳)が認可保育園に入れず、中野区の認証保育園(←高い)
に入園。長男・陽人(ハルト・7歳・小1)、次男・昊人(ソラト・3歳・年少、いままで
どおり中野区の保育園に通園)、そして洸人がバラバラの小学校、保育園に通うことになり、
さらに朝から「早く起きろ!」「ご飯食べろ!」「行くぞ~」…etc.と
戦争状態になった我が家。

みんなが新生活に慣れかけたころ、新宿区から電話。
「洸人くん、新宿区の保育園に入れることに、そこに昊人くんにも空きが出て」
との電話。よくよく聞いてみると、
昊人が通っていた中野区の保育園、「昊人のクラスにどうしても入りたい人がいるらしく…」
とのこと。ああ、こういうことってあるんだよね。議員さんに知り合いがいる人とか…。
それで、昊人は、中野区新宿区民のため白羽の矢が立ったんだと容易に想像された。
うちは、開き直ってていて、新宿区には「昊人が洸人と同じ保育園にならない限り、
今の保育園(←中野区)からは出ません」と宣言していたところで、
まぁ、突然、ふたつの空きって、あるわけないかな、と思った次第。
こちらとしては、願ってもかなったり、だったので
(あとでいろいろと問題が起きるのだが)、
ふたつ返事で了承し、5月より、長男・小学校&学童(←ありがたいことに次男&三男の
保育園と同じ建物)、
次男&三男、同じ保育園(区立←厳しい、熱がちょっとでも出ると即電話)に通う
という新体制がスタートしたのでした。

まぁ、現在、“保活”という言葉があるくらい、保育園に入ることが困難。
普通、三人目は余裕で入れるものなのだが、今年(当初)、うちはダメ…。
だって、変な話、洸人の新宿区認可保育園が決まったとき、
「誰かに“入れたよ”って言いたい」って本気で思ったほど。
保育園くらい、なんの苦労もなく入れないと…。

あ、80年代から言われ続けていた、“幼保一体化”、も頓挫。
あれ、厚生労働省(保育園)、文科省(幼稚園)の、
ただの利権争いです、ハイ。


卒園式を終えても、3月末日まで通うのが保育園。いままで、けっこう「めんどくせーな」と思っていた
保育園の送りでしたが(なんだかいつの間にか、父の役割となっていたのでした…
たとえひっどい二日酔いでも…)、卒園式後は、「あと何日かな」なんて、
ちょっとセンチメンタルな気持ちで毎日保育園へ行っていた。
これも、震災の影響かな。
家にはなるべく早く帰るようになったし、ちょっとテレくさいんだけど、
少しでも家族たちの顔を見ていたい、と思うようになった。

結局、三男・洸人(ひろと)は認定保育園には行けず、認証保育園へ。
次男・昊人(そらと)は、いままでと同じ、認定保育園。
そして、長男・陽人(はると)は小学校&学童。
3人が3人バラバラ。むむむ、これは大変…。

4月1日。陽人が初めての学童。僕と歩いて行くも、入り口で泣きそうになる陽人。
振り切って帰る父。が…、夜、帰宅して、お迎えに行った嫁から話を聞くと、
「なんで早くお迎え来たんだよ」って文句言われた…って…。
保育園を転園したときは、毎日のように泣きまくってた陽人だったけど、
成長したんだな、と…しかも、かなりあっさりと。

そして入学式。
校長から「7人の震災地からの転校生がいます」
いままで、テレビ、ネット、そして、実家からの電話&メールから
震災情報を得ていなかったのだが、このとき、初めて
“東日本大震災”を現実のものとして感じた、のかもしれない。

翌朝、6時ごろ起きる。テレビを見てると突然の電話。
「本日、卒園式は予定通り行いますので」と保育園から電話。
あとから聞いた話ですが、3月11日、最後に子どもが引き取られたのが
なんと、夜中の2時。で、卒園式決行が決まったのが4時。

その後、親戚、姉などからの電話で福島無事との報告。

さて、バタバタと正装して保育園へ。そのとき、ひとり、卒園生・陽人(はると)の
友達のお父さんが、ダウンジャケットにジーパン、ひげづらで現れた。
「間に合った」彼は某東電マン。夜通し、復旧作業をしてやってきたのです。
いまでも(僕よりかなり若いけど)、一緒にキャンプなどに行く、
久しぶりにできた友人なのですが、いま、ちょっと肩身の狭い思いをしていると
思うと、なんだかな、って思います。
※独占企業、政府、メディアとのズブズブの関係…と言われていますが
(僕も、それをかなり問題視していますが…)、
とにもかくにも、いままで電力の安定供給をしてきたのも確か。
そして、それを支えてきた人たちをも、ひとくくりに批判するムードってどーかな、って思う!

まぁ、それは、後日…。

「保育園の卒園式が、とにもかくにも一番感動する」と誰かが言ってた通り、
とにかく感動。陽人を雨の日も雪の日も、送っていった日々が走馬灯のようにめぐってきた。

そのあと、謝恩会(居酒屋)。震災翌日、でも、気持ちのいい
お酒を飲んで、ほろ酔い気分で帰宅。
そして、また、現実に戻る…も、とにかく、家族無事で何より。
でも、被災地の悲惨な状況。
子どもたちには、何を伝えようか…。
ずっと悩ましい日々が続く。