「日本の美」に不安感を覚える近頃。

世界6大美女コンテストの一つ、ミス・インターナショナルに取材しに行った。

30名の日本代表候補がステージで
着物・水着・ドレスで審査員に演出。






うむ、なんだろうか。

現場には、2011のミス・インターナショナル(エクアドル代表)と
ヴェネズエラ代表、モンゴル代表がゲストとしていた。


骨格、造形うんぬんではなく、
彼女たちと日本のエントリー者たちには、とても差があると感じた。


お三方とも確かにメイクは濃かった。
でも、なんと云うか、その国らしい「美」を放っている様に感じた。


日本人は欧米化し過ぎて、
「和」や「女」を捨てている様に感じる。

到底及ばない西洋のモデルの物真似をしている
と、云いたい。


そんなトコロに「日本の美」はない。

第一、「美」とは相対的に男子が判断できるのであって、
女子が「美」を判断すると碌(ロク)なコトにならない。

※女子が全くもって「美」の感性がないのではなく、「容姿端麗」などの形式的整合性=「美」と捉える方が多いコトが宜しくない、というコト。



顕著な表現は「可愛い」だ。
彼女たちの使う「可愛い」は刹那的で、
未来に伝えるべき文化も情緒もない。

詰まるトコロ、ツマラナイ。



デヴィ夫人が動画で苦言を呈する様に
現代の日本女性の美意識は、グローバルでは通用しない。

現代の日本女性は「自己満足」の表現だ。
私はこれを「自慰行為」の内に入れたい。


己だけ良くても、虚しいだけ。
哀れだ。

『それでも良い。』という方がいるが、
そういった方は日本人を止めた方が良い。

憲法前文に
≪日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。≫


「この崇高な理想と目的」
この解釈は如何様にもあるが、
私はここでは、憲法前文より下記を挙げる。

≪われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、、、≫

国家=国民+領地+法律
よって、
自国=自分
他国=他人
も含むのですねえ。


『他人は関係ない。』
という方は日本国にとって、何なんでしょうか。
憲法的にはOUTですね。


法治国家の民である以上、
この平和憲法が絶対です。


日本が世界に誇れる平和憲法です。


「美」の定義は憲法にはありませんが、
皆で判断するのが、「美」でしょう。

芸術家、音楽家しかり。
己の「美」がどれだけの方に通用するのか?

自画自賛では、限界があります。


「和」の意味は、
仲よくです。お互いを大切にし、協力し合う関係。
仲直りもします。争いをやめたりします。
調和のとれている状態でもあります。


「日本の美」は、この「和」を体現した女性に宿るのではないでしょうか?
まるで菩薩ですね。
都市部の人はせわしない。

とても余裕がなさそうだ。

きっと皆、本当は根が優しい。


しかし、周囲を気にする事や優しくする事が難しいようだ。





自己を否定されて、呑み込む為には余裕が必要だ。

余裕がなければ、人の意見は聞けない。


人の意見を聞く気がないと、、、

いけない。



自己を否定された理由は何なのか?
考えるコトが必要。


その否定は、価値があるのか、ないのか。

その判断は誰がするのか?

自分だ。


その自分の価値観は、
古いものか、今か、新しいものか。


今のままで良ければ、
古いものと今の価値観で判断しても問題ない。




補足をする。
日本経済は、格差が拡がっている。

今の生活を維持する事は困難になっていくだろう。


水商売を10年以上みてきた。
キャバ嬢が10年まえの時給に戻る事はないだろう。

今後も下がるだろう。


それは、ITエンジニアでも同じ事。

戻らない。




実は今を維持する為には、
「古いものと今の価値観で判断する」
という選択はよろしくない。


今を維持したいのであれば、
少々の変化が必要だ。


さもなくば、下落する。
必ずする。


理由はグローバル化と仮想化だ。
それについては、また別の機会に。


あなたの個人資産が10億円以上(簿価)あれば、
下落率は抑えられる。


年収200万円時代は遠くない。


金があるか、ないか、だ。

悪銭は身につかない。
悪い事をして得たお金は、活きない。

良いお金を得る為には、
今のままではダメだ。

あなたが良い人間か、どうか。



良きも悪きも変化が必要だ。
変化しない者は、ただ堕ちるだけだ。


パソコンを使えない者に、素敵な未来はない。
人の話しを8割以上聞けない者に、幸せな未来はない。

今、知っている知識・知恵・自信は、
おおよそ5年以内に役に立たなくなる。


これからの時代は、「一生勉学」。
新しい知識を得るのに、我は要らない。
その我は、仏法用語で「増上慢」や「我慢」という。

そのような者に、「新しい」はない。
よって未来に適応できず、化石になる。




話しを戻そう。
余裕はどうやって創るか?

本音で話せる、甘えられる人間を1人身近におくこと。
もしくは逢いに行くこと。


1人で良い。
まずは1人で良い。


それ以外の人には、「優しくする」と決めつけること。
つまり、「気を遣う」こと。


1人以外には、本音も甘えも、ダメだ。
そんなルール。


ルールである以上、罰がある。
このルールを破れば、余裕がなくなる。

そして、このルールは絶対ではない。
余裕が欲しい人が、一つの選択肢として選べるモノ。




ここから3か月は、この様なブログを綴ろうと思う。
心境やタイミングによって、「気付き」が異なるように
文章構成を考えた。

一度きりのあなたが失敗でなく、成功するように。