この日も母はずっと身の置き所が無く、とても辛そうでした。
でも、そんな状態にも関わらず母は少しでも普通を装います。
寝たきりになる1年程前までは良く、愛犬、柴犬ゴンタの散歩をしていました。私と母が住んでいる賃貸では犬が飼えなくなっていたので、兄の所で飼ってもらっていました。
兄がたまに家にゴンタを連れて来ると、母は凄く喜んで、おやつをあげたり、散歩に連れて行ってあげたりしていました。
寝たきりになった母はそんな事を思い出し、ゴンタ何しよるかね~と言い、今日は歌番組があるねぇ、音を大きくして聞かせてと母は言います。でも、母が好きな昔の歌が流れても母は、哀しい表情でした。
体調も日に日に悪くなる一方で、水分をストローで吸い込むことさえも出来なくなっていました。
母に水分を取らせてあげる為に、スプーンにポカリやカルピスなど入れ、母の口に入れてあげていました。
一口では微々たる量しかないので何度も飲ませてあげていました。
そして、この頃から本当にどうして良いのか分からないくらい、母は何度も私を呼んでいました。
足を揉んであげたり、持ち上げてあげると母は痛みも和らいでた様でしたが、日に日にその間隔は短くなっていました。
訪問医師にも、少しでも母が楽になるような薬が無いか相談していましたが、訪問医師はオプソしかないと言います。
正直、オプソを服用してから母の体調が悪くなっているのは分かっていたので、なるべく服用させたくないと、私は訪問医師に伝えていました。
そして、28日の夕方から深夜にかけて母は痛い痛いとずっと言っていました。私は何度も体の向きを変えてあげたり、セレコックスを砕いて飲ませてあげても、母は凄く辛い状態。
母は私にどうにかしてほしいと訴える様に私の手を強く掴みました。
そんな辛い母に、もうどうすることも出来ないと言ってしまいました。
母は悲痛な声で、病院に入院した方が良かろうと言い、もう早く死にたいと言いました。
本当に辛くてたまらない母に、何であんな言葉を発したのか後悔していました。
それから母の側にずっといましたが、母はずっと痛みで眠れない状態。訪問医師に電話を掛けて、状態を説明をする。でも、訪問医師は、オプソを飲ませてあげてとしか言わない。
もう、私にはどうする事も出来なかったから、オプソを母に飲ませようとしたけれど、母はオプソは飲みたく無い、その薬を飲んだら頭がおかしくなると母は言いました。
そんなやりとりをして、数時間後、医師からオプソを飲めば痛みも和らぎ、眠れるからと、医師に言われた事をそのまま母に話して、母も受け入れてくれて、オプソを飲ませました。
でも、オプソを飲んでも効果はありませんでした。
ずっと、枕の位置を変えてあげたり、マットを重ねて足をあげたり、マッサージをしていたら母も落ち着いたのか3時間程寝てくれました。
そして翌朝、訪問医師が来て母と話をて体の状態などを聞いていました。少しすると母と離れた所へ医師は私を呼んで話を初めました。
医師は私に、(もうお母さん凄く辛い状態だよ もう少し体力がある状態ならば 元気になるような薬もあるけど、お母さんもうそんな状態では無いよ 正直、お母さんには眠ってもらった方が良いと思うよ 凄く辛いよお母さん。何日間も点滴で薬を流して眠ることが、今からでも出来るよ)と訪問医師は言いました。
私は何を言っているのかと思いました。ずっと眠る薬?それはもうそのまま意識も無くなり死にゆく方法だとすぐにわかりました。とんでもない事を医師はしてくれる所でした。
私は一切拒んでいたので、医師はそれなら、お母さんにオプソを飲ませてあげようと。私が、オプソを飲ませても効果が無いですと言うと、それならオプソ二袋を飲ませてあげると効果はあるよと。
医師に言われるまま、母にオプソを二袋飲ませました。
そして、オプソを二袋飲んだ母はもう数時間後には意識が混乱していて、もう普通に喋ることすら出来なくなりました。
もう母とは、普通の会話が出来ない状態になっていました。
なんで医師に言われるまま、オプソを二袋飲ませてしまったのか本当に後悔しかない。
そして、4月29日。この日訪問医師から、母の命はあと、2日から3日だと言われました。
私にはもう絶望しかありませんでした。動けない母が、次は会話も出来なくなり、2日から3日で亡くなると言われる。思えば母と大事な話しも何もしてない。母にどうして欲しいのか希望すら聞けてない。
本当に辛かった。ただ、母ともう1度だけでも良いからちゃんと話をしたいから、ずっと母の側に付いて看病していました。
体温36.9 呼吸14~15回 脈拍99回 SpO2 93% 血圧88/64
でも、そんな状態にも関わらず母は少しでも普通を装います。
寝たきりになる1年程前までは良く、愛犬、柴犬ゴンタの散歩をしていました。私と母が住んでいる賃貸では犬が飼えなくなっていたので、兄の所で飼ってもらっていました。
兄がたまに家にゴンタを連れて来ると、母は凄く喜んで、おやつをあげたり、散歩に連れて行ってあげたりしていました。
寝たきりになった母はそんな事を思い出し、ゴンタ何しよるかね~と言い、今日は歌番組があるねぇ、音を大きくして聞かせてと母は言います。でも、母が好きな昔の歌が流れても母は、哀しい表情でした。
体調も日に日に悪くなる一方で、水分をストローで吸い込むことさえも出来なくなっていました。
母に水分を取らせてあげる為に、スプーンにポカリやカルピスなど入れ、母の口に入れてあげていました。
一口では微々たる量しかないので何度も飲ませてあげていました。
そして、この頃から本当にどうして良いのか分からないくらい、母は何度も私を呼んでいました。
足を揉んであげたり、持ち上げてあげると母は痛みも和らいでた様でしたが、日に日にその間隔は短くなっていました。
訪問医師にも、少しでも母が楽になるような薬が無いか相談していましたが、訪問医師はオプソしかないと言います。
正直、オプソを服用してから母の体調が悪くなっているのは分かっていたので、なるべく服用させたくないと、私は訪問医師に伝えていました。
そして、28日の夕方から深夜にかけて母は痛い痛いとずっと言っていました。私は何度も体の向きを変えてあげたり、セレコックスを砕いて飲ませてあげても、母は凄く辛い状態。
母は私にどうにかしてほしいと訴える様に私の手を強く掴みました。
そんな辛い母に、もうどうすることも出来ないと言ってしまいました。
母は悲痛な声で、病院に入院した方が良かろうと言い、もう早く死にたいと言いました。
本当に辛くてたまらない母に、何であんな言葉を発したのか後悔していました。
それから母の側にずっといましたが、母はずっと痛みで眠れない状態。訪問医師に電話を掛けて、状態を説明をする。でも、訪問医師は、オプソを飲ませてあげてとしか言わない。
もう、私にはどうする事も出来なかったから、オプソを母に飲ませようとしたけれど、母はオプソは飲みたく無い、その薬を飲んだら頭がおかしくなると母は言いました。
そんなやりとりをして、数時間後、医師からオプソを飲めば痛みも和らぎ、眠れるからと、医師に言われた事をそのまま母に話して、母も受け入れてくれて、オプソを飲ませました。
でも、オプソを飲んでも効果はありませんでした。
ずっと、枕の位置を変えてあげたり、マットを重ねて足をあげたり、マッサージをしていたら母も落ち着いたのか3時間程寝てくれました。
そして翌朝、訪問医師が来て母と話をて体の状態などを聞いていました。少しすると母と離れた所へ医師は私を呼んで話を初めました。
医師は私に、(もうお母さん凄く辛い状態だよ もう少し体力がある状態ならば 元気になるような薬もあるけど、お母さんもうそんな状態では無いよ 正直、お母さんには眠ってもらった方が良いと思うよ 凄く辛いよお母さん。何日間も点滴で薬を流して眠ることが、今からでも出来るよ)と訪問医師は言いました。
私は何を言っているのかと思いました。ずっと眠る薬?それはもうそのまま意識も無くなり死にゆく方法だとすぐにわかりました。とんでもない事を医師はしてくれる所でした。
私は一切拒んでいたので、医師はそれなら、お母さんにオプソを飲ませてあげようと。私が、オプソを飲ませても効果が無いですと言うと、それならオプソ二袋を飲ませてあげると効果はあるよと。
医師に言われるまま、母にオプソを二袋飲ませました。
そして、オプソを二袋飲んだ母はもう数時間後には意識が混乱していて、もう普通に喋ることすら出来なくなりました。
もう母とは、普通の会話が出来ない状態になっていました。
なんで医師に言われるまま、オプソを二袋飲ませてしまったのか本当に後悔しかない。
そして、4月29日。この日訪問医師から、母の命はあと、2日から3日だと言われました。
私にはもう絶望しかありませんでした。動けない母が、次は会話も出来なくなり、2日から3日で亡くなると言われる。思えば母と大事な話しも何もしてない。母にどうして欲しいのか希望すら聞けてない。
本当に辛かった。ただ、母ともう1度だけでも良いからちゃんと話をしたいから、ずっと母の側に付いて看病していました。
体温36.9 呼吸14~15回 脈拍99回 SpO2 93% 血圧88/64