2月、母はフォルフォックス+ベクティビックス療法を3週間に1回続けていました。
胆管炎発症から抗がん剤を開始して1回目の投与後、一時的に足がむくみ、気のせいかと思っていましたが、時が経つごとに両足全体が大きくパンパンになってきていました。
抗がん剤の副作用について調べるとエルプラットにも稀に、下半身に浮腫が出る副作用もあるようで、病院側に抗がん剤でむくみが出ているのではないかと相談しましたが、リンパ浮腫だと言われました。
抗がん剤投与から2週間は、母の体調も少し良くなり、食欲がある日も、体を動かす日もありましたが、足の浮腫が原因で立ち上がるだけでも一苦労する日が増えてきていた母。
2月中旬までは、母は体調が少し良い時は食事など作ってくれていましたが、2月下旬からは食事も作るのも母は厳しくなってきていました。
代わりに私が食事など作る日も増えてきていましたが、普段料理など作らないので困りましたが、朝はお粥を作ってあげたり、茹で卵を潰してマヨネーズに絡めて卵パンを作ってあげたり、あと、鍋料理は良く作ってあげました。今は、色々な鍋スープがあって、肉や野菜を切って入れるだけで簡単に作れて、面倒なのは肉のアク取りくらいなので本当に重宝しました。
テレビの3分クッキングの通りに作ったつもりが全然違う物が出来たりしましたが、母は美味しいと食べてくれていました。
2月は腫瘍マーカーの検査結果の紙を母は持って帰って来ていました。いつも腫瘍マーカーの結果など母は気にしませんが、この時は、腫瘍マーカーが高いと主治医から言われたと言い、私に見てと、検査の紙を渡してきました。CEA、19344,72 CA19-9、21944,4
救急車で運ばれ、末期宣告された時より大きく上回った腫瘍マーカー。私は言葉をなくしました。
でも、考えてもしょうがないので、私は母に腫瘍マーカーの話はしませんでした。
そして、訪問診療の回数も増えてきていた母。訪問医師は来られると、いつも世間話や、母の昔の話など聞いてくれたりしていました。そして、いつも抗がん剤の否定もしていました。
母は普通と違い、抗がん剤をすると食欲も出て、体も動かせたりと逆に元気が出て、普通食欲がなかったり、動けないのが普通ですが、母は逆でした。
その事を、訪問医師にも説明しましたが、やはり抗がん剤は否定的な事を言われるので、いつも私は、はいそうですねと聞き流していました。
2月、訪問医師は、兄に電話でお母さんもう1ヶ月も生きられないと思いますよと電話していたようでした。主治医がクリニックに出した紹介状に、抗がん剤をしても3ヶ月は困難と書かれていたので、そのまんまの事を言っておられると思い、気にも留めませんでした。
ただ、母の足の浮腫をどうしても改善させてあげたかったので、どうすれば良いか、訪問医師にも相談しましたが、利尿剤やマッサージくらいしか対策がないとのことで、ラシックス を処方してもらいましたが効果がなかったので、私はネットで病院が紹介している、リンパドレナージを母にしてあげていました。
1回で40分くらい、1日3回程する日もありました。母はスッキリしたありがとうと、リラックスした表情を見せてくれて、マッサージ中に眠ることもありました。そんな母を見ると、本当に幸せでした。
それからリンパマッサージは毎日していましたが、マッサージするとパンパンに張っていた足全体が柔らかくなりますが、時間が経つとまたパンパンになっていて凄く悩ましい状況でした。やりすぎれば、お腹回りが膨らんできますし。でも、マッサージすると母はリラックスしていたので、何かしら良い方向にいくと信じてやっていました。
胆管炎発症から抗がん剤を開始して1回目の投与後、一時的に足がむくみ、気のせいかと思っていましたが、時が経つごとに両足全体が大きくパンパンになってきていました。
抗がん剤の副作用について調べるとエルプラットにも稀に、下半身に浮腫が出る副作用もあるようで、病院側に抗がん剤でむくみが出ているのではないかと相談しましたが、リンパ浮腫だと言われました。
抗がん剤投与から2週間は、母の体調も少し良くなり、食欲がある日も、体を動かす日もありましたが、足の浮腫が原因で立ち上がるだけでも一苦労する日が増えてきていた母。
2月中旬までは、母は体調が少し良い時は食事など作ってくれていましたが、2月下旬からは食事も作るのも母は厳しくなってきていました。
代わりに私が食事など作る日も増えてきていましたが、普段料理など作らないので困りましたが、朝はお粥を作ってあげたり、茹で卵を潰してマヨネーズに絡めて卵パンを作ってあげたり、あと、鍋料理は良く作ってあげました。今は、色々な鍋スープがあって、肉や野菜を切って入れるだけで簡単に作れて、面倒なのは肉のアク取りくらいなので本当に重宝しました。
テレビの3分クッキングの通りに作ったつもりが全然違う物が出来たりしましたが、母は美味しいと食べてくれていました。
2月は腫瘍マーカーの検査結果の紙を母は持って帰って来ていました。いつも腫瘍マーカーの結果など母は気にしませんが、この時は、腫瘍マーカーが高いと主治医から言われたと言い、私に見てと、検査の紙を渡してきました。CEA、19344,72 CA19-9、21944,4
救急車で運ばれ、末期宣告された時より大きく上回った腫瘍マーカー。私は言葉をなくしました。
でも、考えてもしょうがないので、私は母に腫瘍マーカーの話はしませんでした。
そして、訪問診療の回数も増えてきていた母。訪問医師は来られると、いつも世間話や、母の昔の話など聞いてくれたりしていました。そして、いつも抗がん剤の否定もしていました。
母は普通と違い、抗がん剤をすると食欲も出て、体も動かせたりと逆に元気が出て、普通食欲がなかったり、動けないのが普通ですが、母は逆でした。
その事を、訪問医師にも説明しましたが、やはり抗がん剤は否定的な事を言われるので、いつも私は、はいそうですねと聞き流していました。
2月、訪問医師は、兄に電話でお母さんもう1ヶ月も生きられないと思いますよと電話していたようでした。主治医がクリニックに出した紹介状に、抗がん剤をしても3ヶ月は困難と書かれていたので、そのまんまの事を言っておられると思い、気にも留めませんでした。
ただ、母の足の浮腫をどうしても改善させてあげたかったので、どうすれば良いか、訪問医師にも相談しましたが、利尿剤やマッサージくらいしか対策がないとのことで、ラシックス を処方してもらいましたが効果がなかったので、私はネットで病院が紹介している、リンパドレナージを母にしてあげていました。
1回で40分くらい、1日3回程する日もありました。母はスッキリしたありがとうと、リラックスした表情を見せてくれて、マッサージ中に眠ることもありました。そんな母を見ると、本当に幸せでした。
それからリンパマッサージは毎日していましたが、マッサージするとパンパンに張っていた足全体が柔らかくなりますが、時間が経つとまたパンパンになっていて凄く悩ましい状況でした。やりすぎれば、お腹回りが膨らんできますし。でも、マッサージすると母はリラックスしていたので、何かしら良い方向にいくと信じてやっていました。