10月、日中も涼しくなってきた季節で、


母は、いつも通りの日常を送っていました。



癌だからと母は気負わず、日常でがんの話をする事はほとんどありませんでした。



3週間に1回の抗がん剤は休まず投与していました。



27年6月に、抗がん剤をしても3ヶ月は厳しいと主治医は言っていましたが、普通に母は生きていました。



過去の患者のデータを見て、1ヶ月とか3ヶ月など、普通に言わないでもらいたいと思いました。



ですが、投与している抗がん剤は耐性がついた効果が無い抗がん剤。日に日に母の体調が悪くなっているのは、毎日一緒に居た私が一番感じていました。




食事は、最低2食は食べていましたが、抗がん剤が効いて調子が良い時と比べると、食べる量も減り、残す日も増えてきていました。



倦怠感が強いのか、横になる日も増えてきていた母。



11月下旬頃から、母はいつも近くのスーパーに買い物に行くのが日課でしたが、そんな買い物に行く事さえも、母は億劫になってきていました。



あんなに歩くことが好きな母が、だんだんと弱っていました。



でも、私が休みの日に観光に行ったり、海に連れて行ったあげたりすると、母は笑顔で元気でした。たまに、残念な観光地もありましたが、母はそれでも喜んでくれていました。



母は、好きな海を見ていて、死んだら海に散骨してくれと言いました。冗談か本気かわかりませんでしたが、私は何も言えませんでした。




一番、現実逃避していたのは私で、母の死を考えることを恐れていたから、何も言えなかったのだと思います。