ちょっと前に友達と話していて、気づいたこと。

相手が確信を持って私を定義した時、
「すずめこさんって~だよね」って言われた時に、
そうじゃないのだけど、って思っているのに言えない。
相手の言うことを鵜呑みにしているのじゃないのだけど、
そうじゃないよって言えない。

私のことそんな風に思っていたんだ、、、

良いことじゃなかったから、ちょっとショックだったんだけどね。

まぁそれが一般的な見方なのかも。
かわいそうな私っていうのが。

もう5年以上も外出できないしね。
今はあんまり寝込むことも無くなったけど、ちょっと前までは普通に生活するのも大変だったしね。

後で「そうじゃないよ」って言えばよかったなと思ったけど、

相手に優位な立場でいてもらえないと、自分が叩かれるとか、
良くしてもらえないって思っているのか?

随分手放したつもりだったけど、まだ根強く残っていたんだな。
もう自分を下にするのは辞めようと思う。

最近の私は韓国ドラマにはまっている。
ドラマの中での、生まれながらに恵まれず犯罪を犯す人や、
大金持ちに生まれて見た目には何も困っていないように見えない人がいて、
その中で一生懸命生きている。

それがなんだか切なくて、生きているってどこか悲しいものがあるのだと思う。

私は広場恐怖が強くて、もう5年以上も外出できなくて、
時には寝込んだりして、
子どもの学校での姿は見ることはできないし、
卒業や入学式に参加できない。
友達とも会って話すことはできない。

それでも最近の私は、何とか外に出たいとか、何かをしなくてはならないとか
思うことが少なくなり、かわいそうな自分とも余り思わなくなっている。

制限の中で、自分ができることをするだけ。
なんだかイライラしたり、悲しくなったり、不安になったりするけど、
それを恐れずに。
日々自分がやりたいことを淡々とできるようになりたい。