ある友人のアドバイスだった。
常に夫を優先しろ、子どもを優先しろ
と何度も言われ、その度にすごく体調を崩していた。
それは、彼女が言ったことではあるが、自分が自分に言っていた言葉なのだと思う。
先日、体調を崩したことを話しをしたら、夫を喜ばせたらと言われて、
何で自分のこともままならないのに、夫を優先しないといけないの?
と怒りを感じた。
それは言わなかったけど、、、
私は、友人の言ったとおりにするっていうのが、その人を愛するっていうことだと思っていた。
というかその人に怒られたくなかった。
その思いは私の父に対する思いと同じ。
ウチは父が暴君だった。
父の言いつけを守ること、父の機嫌を損ねないことが、家庭内を安全にするために必要だった。
父が正しいとは思ってはいなかったと思う。
でも父の言いつけは絶対だった。
どうであっても、父が暴れると大変だった。
とはいっても、どうやってもきっと暴れたんだと今になっては思うけど。
私は、その友人の言うことを聞かないと、母親として、人間として失格だと思っていた。
その人は私にとって絶対だった。
しかし、その友人もただの人間であるということ。
絶対的な人ではないんだなーとここ1~2年思う。
ようやく訪れたのだろうか?
反抗期みたいなもの。
私はあなたとは違う。
あなたのように立派ではない。
子どもの為に尽くせと言うが、子どもを理想な状態にすれば、それで問題は起こらないのか?
両親が絶対必要だと言うが、子どもの為に仮面夫婦をしていて、子どもは幸せだろうか?
子どもは、親の幸せを望んでいると思う。
自分のことよりも親に幸せでいて欲しかったはずだ。
何よりも私は立派な人間ではない。
岡田斗司夫さんのメルマガで、友達が離れていく人の悩みがあった。
私も同じことを感じていたことがあったので、すごく心に沁みた。
私は悩みを抱えている人に、解決策を提案するのが、その人の為だと思っていた。
共感なんかしても何の役にも立たないと思っていた。
それは自分の辛い思いを感じないようにして、生きてきたからだ。
そういう解決策は、できるものだったらいいけど、
できないとき、自分の至らなさを思い出して、そのアドバイスをしてくれた人を避けるというものだった。
そうして、その友人からダメ出しをされた人たちが去って行ったのだ。
私は去ることはしない(と思う)けど、ただアドバイスを受けるだけの関係、
上下の関係では無く、一人の友人として付き合っていきたいと思う。