昨日の夜、ふと、送られて来た書類のことで憂鬱になって、
やりきれなくて、悔しくて、久しぶりに自分のことで泣いた。
そして、そのまま胸の中に留めることができなくて、Twitterで呟いてしまった。
基本ひとりごととして使っているので、誰かが見てるのは解っていても許されると思ってしまった。
でも、その呟きのあと、すぐに友達からの着信があり、取れないでいるとメールが来た。
そして、何度かやり取りしたあと、
泣きつかれたことと次の日も仕事だったこともあって寝てしまったのだが、
どうも彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。
当然と言えば、当然、かもしれない。
私は「死なせてください」と呟いた。
彼女はそれを「生きなくてはいけない」と言った。
辛くても、無意味だと思っても生きていなくてはならない、と。
逃げ道なんて、選択肢なんてないんだと。
彼女にとって「死」という言葉はタブーであり、それは残された側の人間だから。
だから、私が軽はずみに発言したことが許せなかったんだと思う。
でも、私の本心は違う。
確かに、「死なせてください」と言った。「楽、にしてください」と。
でも、そう出来ないのも解っている。現実にそうするつもりもない。
だた、それでも口を吐いて出てしまうのだ。
それに意味などない。
どうせ選べないのなら、やるしかないのだ。解っている。
だからこそ、弱音くらい、吐きたいと思うのはやっぱりいけないことだろうか。
思ってしまうことすら、許されないのだろうか。
これから先、私がどれだけ泣こうと喚こうと、
やる、という方法以外には解決策などなく、
その為に妥協し続けなればならない現実は変わらない。
それを憂いて弱音を吐くことも出来ないのか。
潰れられないから吐いて少し楽になりたい、と思っているだけなのに。
でも、多分私が悪かったんだと思う。
彼女が聞ける場所に、そんな言葉を残した私が。
独り言は一人で言うから独り言なのであって、
呟きは誰にも聞こえないほど小さな声で言うからこそ呟きなのである。
彼女の前で、二度とその言葉は口にしないと誓う。
それにしても、どこにいても、何をしてても生き辛い世の中であるな。
それに対して、ここはいい。
井戸の底みたい。
「誰か」はこの文章を見ているかもしれないけれど、
その「誰か」を私は知らないし、その「誰か」も私を知らない。
だから楽だ。
存在しているけれど、実感がなければそれは三次元にはなりえない。
否定されることも、受け入れられることもない。
だからこそ、楽だ。
私はその水の中に浮かんでいればいい。