ラーメンを食べて帰りの道中兄貴から山本五十六記念館見る~って
二つ返事で行くよ~っとにひひ
山本五十六記念館に到着
新潟県長岡市出身で連合艦隊司令長官だった方です。
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山本五十六は最後まで米英との戦争避け、日独伊三国同盟を反対し、早くからこれからは航空機の時代が来ると、先見の目があった方。
最前線に視察に行った際、一式陸攻に搭乗し移動中敵の待ち伏せに会い(暗号が筒抜け)被弾、墜落して戦死しました。その飛行機の左翼先端部分が展示してあります。
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山本が搭乗した一式陸攻(左)護衛機の零式艦上戦闘機(中2機)山本機を撃墜したロッキードP38戦闘機(右)
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当時の日本の航空機は防弾装備が無く(エンジンの馬力が小さく、機体を軽量化する必要があった)薄っぺらい鉄板は飴のように曲がってます。
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山本五十六のパスポート、これにて記念館見学終了。復元した五十六の生家を見学しにちょっとだけ移動。
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公園には山本五十六の胸像が、これはレプリカ。本物は終戦当時霞ヶ浦航空基地にあったそうですが、進駐軍に没収されるのを恐れ湖底に投げたのを湖底から引き揚げ型取りして復元したそうです。(本物は全身像)
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雑学王王冠2の兄貴は詳しく説明してくれました。
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これが五十六の生家を復元した建物。長岡空襲で焼失したそうです。
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最後に記念館の看板と記念写真
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兄貴詳しく案内してくれてありがとうございました。