☆ 昨日は山焼きでした ☆




みなさん花火の画像なんですが、分かりますか

2階の自分の部屋から撮りました
携帯で、しかもフラッシュを点灯させたら押してから6秒経たないと撮影されません(遅ッ)
1番の見どころからはズレてズレて消えかけで写せたのはまだましな方で、消えてからチョロリ~ンってシャッター音が…
母と2人で大爆笑しながらの花火鑑賞でした

山焼きは残念ながら前の竹藪で見えませんでしたが、間近で見るとすごく感動しますよ

若草山の山焼きなんですが、言ってみればただ山を焼くだけなのに、なんでみんなあんなに『山焼き、山焼き
』って言うのか不思議に思ってました

でも破石町にある旅館から見た時は感動のあまり鳥肌が立ち声も出ませんでした

山焼きをまだ1度もご覧になったことがない方はぜひぜひ来年ご覧になって下さいね

外からだとチト寒いので防寒対策はバッチリでお越し下さいませぇヾ(≧∇≦)〃
о破石町
わりいしちょうと読み近鉄奈良駅から南東に1.5km位の辺りで若草山からはほぼ南に位置します
志賀直哉旧邸があり近くには奈良の写真家・入江泰吉氏で有名な奈良市写真美術館、少し(?)歩くと新薬師寺と白豪寺があります。
(山焼きの写真どこからか拝借して載せようかと思ったのですが、ダメでした
sorry(^^〃)ゞ )☆ あとがき
去年の1月17日は体調が悪かったのか、よく覚えていないのですが夜の7時頃目が覚めそのまま自室にいました
夜中の1時が過ぎ、その頃よく読ませて頂いてたkazuminさんのブログにお邪魔しました
前日の記事(17日分)に震災のことが書かれてました
そんなに詳しい内容が書かれてた訳ではないのですが読んでる内に涙がボロボロボロボロと出てきて止まらなくなりました
自分は関西に住んでて亡くなった人達と同じような経験をしてるはずやのに昨日1日いったい何をしてたんやろう
亡くなった人達の事忘れて震災のこと忘れて1日何してたんやろう
自分は関西人としてあの日の事を伝えていかなあかんのに…
いつまででも涙が止まりませんでした
来年は絶対書こう
経験者の1人として何か伝える記事書こう
自分に書けるかどうか分からんけど…
そして1年が経ちました
5日前から書き始めましたが、なかなか筆が進みませんでした
でもあの経験があったからこそ感謝できる自分が今ここに居る、あの経験がなければ今の自分は居ません
皆さんに出逢うこともありませんでした
自分はすっごく幸せな人間なんやと思える、そのことにとても感謝しています
そしてkazuminさんにも感謝いたします
そしてそして1日遅れの長い記事を最後までお読みいただいた皆様ありがとうございました
心から感謝いたします<(_ _)>
※追記
あの日の体の感じ方は人によって全然違い、同じ奈良に住んで居ても横揺れだけで、縦揺れを体感されずあまり恐怖を感じられなかった人もいらっしゃいます
今回の記事はあくまでも私個人のもので、あの時関西に住んでらっしゃった全ての方が私と同じ体感をされた訳ではない事をお断りしておきます
☆ その後
そしてひと月ぐらい経ってたでしょうか、ある日ふと考えました
『もし私も家がつぶれて家族みんな失ってたらどうしたやろ…』
きっと母親の妹にあたる叔母さんの所にお世話になって
となりには従兄弟のSちゃんも住んでるし…
でも京都に引っ越してそこで仕事見つけて知らん人ばっかりの中でやっていけるんやろか
生きていけるやろか
そう考えるとすごく不安になってきました
そしてその時初めて気付きました
今までー緒に仕事してきた人みんなに支えて貰ってたんや
自分の気に入った人だけと違って、嫌いやった人にも間違いなく支えて貰ってたんやて
それまでの私は決して1人で生きてるつもりはありませんでした
感謝を知らん人間というわけでもなかったと思います
けど人の好き嫌いが激しく嫌いな人には仕事以外では私から話しかける事はありませんでした
やっぱり勘違いしてたんですね
好きな人も嫌いな人も自分に関わる人は皆、自分を支えてくれたはったんです
そんな事もわからんと今まで生きてきたんかと思うと情けない気持ちでいっぱいでした
それに生きたい命があった筈や、まだまだ生きたい命があった筈やのに
自分は毎日ぼーっと無駄に過ごしてる
でも自分はこうして生きてる
生かされてる
それは託されたんやから、この経験で教えてもろたこと活かして行かなあかんねん
今までとおんなじように生きてたらアカンねん

それから色んなこと考えました
そしてあの経験がなかったら、ここまでたどり着く事は出来なかったと思います
生かされた命に感謝します
ありがとうございます
そして亡くなった人ひとり、ひとりの思いを胸に抱きしめながらこれからも生きていきたいと思います
合掌