陽向大好き(〃^▽^〃)にこにこ♪ココナッツブログ~☆ -15ページ目

2020.4月

 


1水
日牟ネ豊八幡宮→大津西武
2木
実相院→龍安寺のお墓

8水
階段1、2F掃除

11土
本棚の掃除

16木
dustpan 掃き→停、横、前
17金
カチンコ映画

19日
マスク作り
20月
マスク作り

23木
本棚の掃除

27月
出窓の掃除
28火
dustpan→道、公園

30木
奈良公園を散歩



 

2020.3月

 



5木
氏神様お詣り

6金
dustpan

12木
dustpan 掃き→前のみ

15日
ぐるぐる散歩

20金
1F、階段、廊下掃除 
23月
お墓参り→京都タワー

25水
dustpan 掃き→停、横、前

26木
お仏壇掃除

31火
トイレ掃除



 

ネットのニュース感動編 ☆本編

 
「ようやく娘と一緒に過ごせる。」

東日本大震災で津波に巻き込まれ行方不明となった、宮城県山元町の大久保真希さん=当時(27)=の遺骨が、2019年10月、同町の沿岸で発見された。
父三夫さん(67)と母恵子さん(62)は11日、初めて大切な一人娘と共に命日を迎えた。
震災発生時、真希さんは町内の常磐山元自動車学校でアルバイト従業員として勤務中だった。
学校は津波にのまれ連絡が取れないまま娘を捜し続ける長い日々が始まった。
「親思いの娘。良い人がいるならお嫁に行っていいんだよ。と話すと『お父さんとお母さんが心配だから一緒に住んでくれる人と結婚したい』と言ってくれた」と三夫さん。
「だから絶対に見つけ出すんだと、諦めたくなかった」二人で海岸を歩き尽くし、消波ブロックの隙間もくまなく見て回った。
役場や警察などに捜索を依頼し続け、海岸の復旧工事を中断して捜してもらったこともある。
恵子さんは「それでも見つからなくて、周りに申し訳なくて」と振り返った。
年月が経つにつれ公的な捜索は減り、途方に暮れていたさなか、県警から遺骨発見の連絡が入った。
刺し網に下あごの骨の一部が引っ掛かったという。
残っていた歯の治療痕とDNA型が一致。
8年7ヶ月ぶりに真希さんは骨箱に入って帰ってきた。
「生きて戻ってきたわけではないのに、こんな表現は普通じゃないと思うが、本当に嬉しかった」と三夫さん。
半月ほどは骨箱を開けられなかった。
三夫さんは「やっぱり、娘がどんなに変わり果ててしまったんだろうと怖かった」と言い、毎日二人で箱を持っては「軽いね」と重さを確かめていた。


発見者の漁師にお礼を言いに行った際、『網の中で白く光っていた。きれいなお骨だから見てあげて』と言われ、帰宅してすぐに箱を開けた。
掌に収まる程の娘に、やっと触れることができた。
遺骨はピンク色の小箱に移し、墓には入れず、ずっと夫婦の側に置くことに決めた。
出勤前や帰宅時にいつも声を掛けている。
自動車学校の跡地には、同じく犠牲となった教習生ら37人の慰霊碑が建てられ、夫婦は真希さんが見つかった後も定期的に訪れている。
恵子さんは「真希が最後にいた場所。花もきちんと手入れして、きれいにしてあげたい」と話す。


震災以来、月命日には真希さんの写真を持って小旅行に出かけている。
三夫さんは「ようやく娘と一緒。11日は三人でゆっくり過ごしたい」と穏やかに語った。