11月13日

明け方の気温は2度らしかった。

現在21時、外はとても寒い、今まで住んでいたところでは、真冬でもここまで冷えないだろうという温度だ。

 

現在窓にカーテンと窓にはアルミ断熱マットをしている。

 

もともと、カーテンレールもない家で、窓は1重、台所のドアの隙間から青空の見える家だった。

 

引っ越し前から、風呂釜は壊れ、1か月住んだころ、天窓から雨漏りがしてきた。

 

私はここに今年7月下旬に、ベッドとピアノ。身の回りの最低限のものだけもって、DVモラハラ夫から逃げてきた。

 

DVは、40年続いて、警察からは10年以上前から、離婚を何度も勧められ、弁護士も離婚を提案した。

 

しかし、当初は宗教的理由から離婚できなかった。

 

そして、今、私も68才、夫も76才、今更、法廷で争うのも疲れる。

 

私も年金をもらえる年齢になり、10数年前に親から遺産を800万円程度もらったお金もあり、それで買える山の中古別荘と買った。

 

私は食べなくても、たとえ裸でも、ピアノが弾ければ幸せなので、ピアノが弾ける山の別荘を選択した。

 

娘は1人いて、結婚している。

娘婿は「お母さん、我が家のそばに引っ越して、市営住宅に入ったらいいです、そんな山の中に行ってどうやって生活するのですか、道に迷って死んでしまうかもしれない」といいましたが、それに対して、

「〇ちゃんは、お母さんのことを甘く見ている、この人はピアノが弾ければいいの」といいました。

 

そうです、最優先はピアノです。

 

しかし、寒さで死ぬのはつらい、

 

最初から寒いのはわかっていましたが、暖房代くらいは夫が送金するという約束でした。

 

もともと、4年前まで夫は、私に生活費など渡してくれませんでした。

 

もちろん、子供が一緒に住んでいるころは、食費程度は渡されていたし、光熱費住居費は払ってくれていました。

 

しかし、それも子供の結婚後は、光熱費程度になり、私はずっと自分で細々と働いて生活していました。

 

4年前、私も年で収入が減って、食べるものもなくなり、「お金を渡さないなら、悪意の遺棄で訴える」といって、実際に弁護士相談を始めたら、夫は自分から和解案を出して、2人の収入を合算して、税金、健康保険、光熱費、洗剤、紙代を弾いて、残りを半分ずつという案を出しました。

 

そして確かに、最初の1年半くらいは、それに近い数字がもらえました。

夫と私の収入を足すと、月27万円ほどでした。(現在は24万円)

 

そして、私は月に8万円ほど、手渡されていました。

 

それが、2年前から、理由にならない理由で減らされて生き、それでも住むところはあるし、食べられたので、争いませんでしたが、今はこの寒い土地で、送金は、約束の半分ももらえず、月5万円を切ります。

 

そして、とうとう今月から送金が難しくなり、引っ越し後は貯金を切り崩して生きていますが、その貯蓄も、家の修理であと半年したら、生きていくことも難しくなる状態です。

 

私自身の年金は、夫婦で相談して、私が70才になってからもらうということで繰り下げ中です。

 

 

夫の暴力だけなら、私も別居はしなかったですが、加えて認知と統合失調が入っていて、夫はお金の管理ができません。

車を買っては売り、原付を新車で買ったかとおもうと、下取りにだし、またハイブリットを買う、すべてローンです。

なので、私と別居してからもこれなので、知らない間に月に5万円のローンが増えています。

 

認知であることを夫は認めませんし、医者にもいかないし、市役所の人の訪問も拒否します。

そして、「妻が包丁で俺を傷つけた」「近所の〇さんがうちの車のバンパーを傷つけた」「〇さんが農薬でうちの植木を枯らした」と実際に私のことは警察に訴えましたし、毎日「俺のみかんを食べただろう」「みそ汁を飲んだな」と怒鳴り、怒鳴り始めると2時間でも1人でどなっています。

 

相手にしないと、ほうきをもって殴ってきます。

 

昼間なら、怒鳴っている間に庭から外に出て、公園で1時間くらい散歩してきますが、帰ってもまだ怒鳴っています。

夜中と昼間の区別がつかず、夜中中起きていて、朝の4時前から「お前が俺のみかんを触ったな」と怒鳴ります。

 

夜も騒がしく、耳栓をしても眠れません。

 

なので、別居を決意しました。

 

夫の暴力は年に数回、理由なく怒り出し、うどんののし棒で、頭めがけて何十回と殴ります。

気絶するまで殴ります。

頸椎捻挫といい、首を支えられないので立つことができず、熱を出して、這ってトイレにいくと2週間くらいで歩けるようになります。

 

とにかく壮絶なもので、想像を絶するものでした、

棒は娘が19歳のころ「お母さんが殺される」と思い、そうっと中学に寄付してきましたので、棒はその時で終わりましたが、素手で殴るけるはその後も続き、殴りだすと200発くらい、殴られました。

たつ隙も与えず、もちろん警察に電話することもできません。

 

気絶したあと、気が付いてから自分で固定電話から119番して、いつも病院に運んでもらいました

決まって真夜中、家を閉め切って密室で行われます。

 

理由はみそ汁の温度が高いとか低い、箸のおき場所が悪いなどで、理由もなく殴られることもあります。

そして、娘も3歳ころから、頭を床にガンガン踏みつけられることを繰り返し、殴るけるを繰り返されました、

娘は心を心を病んでいます。しかし、娘も結婚するまでは「お母さん離婚しないで」といっていました。生きるためにいえと食べるものが必要でした。学校にも行っていました。

 

娘は結構、若いころからプロポーズされ、24歳で結婚して、今は優しい方と子供も恵まれ生活しています。

 

 

那須は寒いですが、夫のそばより1000倍幸せです。

寒さと飢えで死んだとしても、夫のもとには帰りません。

 

夫は、冬でもストーブなど必要ない家で、1人で住んでいます。

夏も涼しい家です。

トイレは、蓋が開いて自動で流れ、台所はボタンを押すと戸棚が下りてきて、サッシは2重で、内窓はアルゴンガス入りの2重サッシ、家の中もきれいです。

 

私がピアノ教師だったので、防音断熱はしっかりしてあります。

 

今日は、ここまでにします