少しずつ書いてみようかなと思い立ったシリーズ。
思い出しながら、気持ちを新たに結婚3年目を目指していこうかなaya
どれくらい長くなるのかもわからないけど。
ダイエットのちょっと休憩時間に笑、
気長に読んでもらえたら幸いですaya

そもそも私たち夫婦が出会ったのは、
大学を卒業して半年後くらいの冬の頃。
もう8年も前のことです。
当時、私は大学時代の友人と4人で、
一人一回ずつ幹事、という合コン強化月間をしてましたaya
遊び半分、何か良い出会いに繋がればラッキーくらいな感じで。
で、確か4回目の会で知り合いました。
これがねー、もういま思い出しても笑えるんだけど、
19時に友人と待ち合わせして、
私、起きたの18時半…!!!!
(ちなみに待ち合わせ場所まで自宅から1時間半くらい)
もうね、ちょっと諦めかけたえ?
そっこーで準備してなんとか開始から1時間遅刻で到着←相当遅い
それで目の前に座ってたのが旦那さんでした。

今でも思うけど、あの日あの場所に行かなかったら、
今がないんだなぁって思うと本当に不思議。
諦めなくて良かったえ?

来ていた男子メンバーが全員、
なんとその日幹事の友人の中学の同級生。
友人は地元飲みみたいなノリだし、私もうっかりそのノリにのっかって、
うっかり朝までカラオケで楽しみましたaya
その日は特に連絡先とかも交換せずにさよなら。
後日、幹事を通して連絡先を聞かれ、連絡を取るように。
そこからお付き合いが始まって5年後。
一旦お別れをしたんだけれど、半年後に再会。
そしてまたお付き合いが始まって。
ちょうど2年前の今くらいの時期に、
ayaそろそろ一人暮らしとかしてみようかな~って思うんだよね~
へぇ~って話半分で聞いてて、
aya一緒に暮らすとかも考えてるんだ~
そうかそうか、いろいろ考えてはくれてるんだな、と。
でもこういうのって勝手に期待すると勝手に落ち込むものなので、
話半分で聞いてて。
気づいたら勝手に一人で内覧行って、
気づいたら家を決めてきてました笑

一緒に暮らすって言うのがいよいよ本格的な話になってきた…
この時点で私はまだ両親になんの話もしてなくて。
とりあえず母に話をしてみたら、
母は早くから実家を出て一人暮らしをしていたので家を出ること自体には賛成派。
特に何を言われることもなく…。
なんか、大丈夫っぽいよ~なんて話をしていて、
彼とも引っ越しやらの日取りなんかを計画し始めようとした矢先。
父「結婚もしないで同棲とか認めないから。結婚して、一緒に住む、それが順序だろう」
と、ここでいきなり父からの反対。
家の引き渡しは12月上旬。
この時、11月中旬aya
とりあえず、彼に報告すると、
aya先に言われちゃったか…
と意味深な彼。
いかんいかん、ここでまた変に期待したら自分が傷つく。
そうは思いつつも、
aya○月○日、仕事終わりに○○で待ち合わせね
その待ち合わせ場所にもピンとくるものがあったけど、
ダメダメ、期待しない。
そう思って当日待ち合わせ場所へ。

彼に連れられるままついていき、
到着したベンチ。
aya結婚しましょう
そう言ってもらったのは、
お付き合いした日に告白してもらったのと、
全く同じ場所、同じベンチでした。
もちろん答えはOKで、よろしくおねがいしますと答えました。

そんなこんなでバッタバタな準備のスタート。
すぐに両親に挨拶に来てくれて、
両家の顔合わせの日取りもぱぱっと決めて、すぐに会食。
まさかのプロポーズから1ヶ月後には、
入籍、引っ越し、新生活のスタートとなったのでしたaya

もちろん、プロポーズにはパカっと憧れる箱はなく、
その後で2人でいろいろ見て回ったりして、
結局購入したのは入籍日当日aya
その日の日付を刻印してもらうことにして、
受け取ったのは2ヶ月後くらいだったかな?

派手ではなく華奢なアームが気に入って、
jupiterのブライダルラインのものにしましたaya
この写真のピンキーリングもjupiterなんだけど、
華奢なリングやネックレス、大好きaya
エンゲージはCartierも一度は候補に挙げて、
お取り置きまでしてもらったんだけどねあせ
でもその後にかかるであろういろんなお金なども考慮して、控えめに…。
まぁ結果、彼はトータルで3つの指輪を買うことになるんだけど、
その話は、また別の機会でaya

思い出話①はここまで!ハート☆
次回また、時間のある時におんぷ