夜中にすみません
前記事の内容から振り返りをしていたら、記憶のフラッシュバックで言葉の大事さを今更思いながら痛感しました
当時の自分から、自分自身覚醒していない時だったので、言い訳になるかもしれませんが、思ったことを悪いように聞こえないようにつもりで話をしていました
ですが、人や立場からすると、それは相手に対して不快な思いをさせていたのかもしれません
自分はそんなつもりで話をしていたことは毛頭ないのです
相手にこうしてもらっているのに、自分は出来ていないのだ
とこう話をしていました
要は
相手がこうしてくるから自分が出来ない
と
実に他人の所為にし、悲観的な内容だと思いました
仕事のことだけでピックアップしましたが、それは日常生活からでもいえることです
ごめんなさい
この言葉でも途中伸ばしを入れたり、だらしなく取り敢えず言葉を発した
ということから、同じ言葉でも相手の捉え方次第で、バカにされた、と判断さられざるを得ないのです
もし、自分があの発言をしていたら
とか少しでも考えると、しまった、と悔やむ気持ちが出てきます
だから感情を込める時ももちろん、必要です
ですが、そのまま力任せに発言をしても、それが見えない牙となり刃となり、心というデリケートな身体に突き刺さります
見えない深い傷を負い、癒そうとして今度は次の人に、という連鎖が始まってしまうかもしれません
言霊ですね
人だから、それは仕方がない時もあります
ですが、気付いたならきちんと考えて行動発言をする
これでも人を労り、思いやる
という小さいですが、一番基礎であり大切なことだと思います
見えないけれど、とても愛を感じます
私に対していえることです
間違うことも多々あります
ですが、相手の立場に立って自分の状況を冷静に感じて理解する
言葉「が」と「は」も一つ一つ使う場所やタイミングで捉え方が変化してきます
どうしても難しい場合、最初に誤解を招くのを防ぐ発言をしたりすることで、ああ、こう言っているけれど、実はまた違うのだろう、と大目に見てもらえるといいますか、野球でピッチャーがキャッチャーに投げる球の審判の判断、『ボール』ですね
オブラートに包んで和らげる、みたいな、中和されたような感じです
直球、ストレートに自分の思いを伝える方が良い時もあります
それは自分の考えを言って欲しいと答えを求められている時や、はっきりと伝えることをきちんと伝えないといけない時など、状況です
それでもこう言ったら難しいかもしれない、と、自分の頭でも整理しながら、言葉を選んで、伝えていきたいな、と再度自分の発言について思い返した頃でした
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