本当の意味で、それを愛だと思いますか?
あなたは、その時、どんな気持ちですか?
私は、ずっと自分を責めてきました。
いつも、家庭内が怖く思えました。
母が私にとって脅威だと思っていました。
でも、今になって、本当に頑張っていたのは、母だと私の目に映りました。
私は、兄弟の中で真ん中に生まれました。
生きてきた数だけ、我慢を虐げられてきたように思えます。
学生時代は、他の人とは違って、恋や勉強に精を出すのではなく、もちろん、同じように勉強は頑張る中で、自分自身について考えていました。
それで、周りからかなり浮いている感覚が常にありました。
普通とは、何なんだろう。
周りは、自分の思いを異性に伝えたり、進路について本気で考えたり、それぞれの自己主張に、振り回されていたように思えました。
私とは、何だろう。
私は、普通じゃないんだろうか。
私はずっと闇に紛れて、他の子は、楽しそうに皆と話をしたり笑い合っていました。
羨ましかった。
でも、誰も私を理解してくれない。
いや、こんな私なんか、誰も相手にしないだろう。
私が私を相手にしたくないのだから、誰もしたいと思うわけない、絶対に。
でも、誰かに気付いて欲しくて欲しくて…、一人孤独への渦へと呑まれていった。
いつも、いつもその繰り返し。
上を見上げると、晴れ間は見えるのに、出方が分からない。どうしたら、上に上がれるのか、横を見ると、どんよりと、ある意味慣れ親しんだ影。
高望みしては駄目だ。上には上がれない。
だったら、この影と一身の方がいい。
いつの間にかそこに自分を押し込めて、周りを覗くようになった。
人を信用しない、という解釈ではなく、人は人、裏切りという形に嵌めない本当の目でその人を見る。
裏切りや、その人を信用出来ないという価値観は、自分のものさしで判断している。
自分自身をそう感じているからこそ、人には同じことをしない。寧ろ、意識していないからこそ、出来ていると実感していないのかな。
自分を押し込めて、外と内を比べて嘆く。
この思考は、父親から影響を受けたものだった。
自分が正解、周りにケチをつけて歩く。
自分に合うか、合ないかを品定めする。
自分目線で物事を見ることで、善悪を決め付ける。あの人はおかしい、この人はいい人、自分は絶対的存在だ、と。
その人自身なら構わないかもしれない。
人は、それぞれ違った生き方がある。
いいんじゃないの?どうして決め付けちゃったのかな?
私は、その渦中に居た。私に権利はないから、どうか好きにしてって言っているようなものだった。
確かにキツくなるはずだわ(笑)
こうして自分自身で笑い飛ばすことが出来るようになった。自分は自分でいいんだって受け入れることが出来るって素晴らしいね!
ありのままの自分ってそういうことだなって。
その人の思考なんて、私じゃない。
誰かになる必要なんて最初からなかった。
なのに、形を決めてしまっていた。
開き直りに感じるかもしれないけど、本当の意味で開き直る!人間だもん!って☆
すっごいスッキリしてる♪( ´▽`)
もっと早くからだったなら、責めることもなく楽しかったんじゃなかったの!?と思う程←
だけど、この過程は、私にとって大事だったのかもしれない。今まで出来ていない分、これからだ!
私は、私!他の誰でもないし、なれない。
あなたの代わりは、どこにもいないんだよ!
自我の目覚めって、自分らしさって素敵!
ただ、感情の思うままではなく、冷静に自分を見つめるということ。客観視で見下ろすように。
今のあなたは、あなたですか?
私は、いかなる時も私らしくありたいのです。
本当の理解者とは、誰もあなたを責めたりなんかしない。
暗い部屋は、圧迫されてしんどいよね、誰が閉じ込めたの?
自分が思ってるよりも世界は、広いよ!
今、この瞬間に、一生懸命生きているんだよ!
その人は、当たり前の生き方をしている。
胸張って生きているんだよ!
素敵だね☆

