何処へ向かって歩いているのか、実はよく判らない。
判らないのに何故歩いているのか、それもよく判らない。
つまり、何のために何処に向かっているのか。それも判らない。
判らないコトだらけなのだが、「歩かなければ」「ソコ」へ行きつかない(ようなのだ)。
チョット納得がいかない。以前の私だったら「行こう」という気にならないと思う。
いや、「以前の私」でなくとも「何のために」「どこへ向かっているのかも判らずに」「行こう」とは多分思わないだろう。
何故そんな気になっているのか自分でも「納得がいかない」。
納得がいかないにもかかわらず、「何処かへ向かって」「歩こう」という気になっている。
実はそんな「自分」に対して、違和感さえ覚えている。
自分で自分のことを了解出来ない。そんな気になっているのに、一方の自分は「その方向にむかって行こう」としている。現に歩き出している。
まるで「無遊病者」のように…。
そんな自分に納得がいかない。
以前の自分だったら、多分そんな理不尽なことを「突き詰めよう」とも思わない(だろう)。
何かが自分の中で変わっているように思う。
変わってしまった自分を「情けない」と思っている。
自分で自分が「許せない」。
いや、「許す」も、「許せない」もないのだろう。
何故なら、私自身がかっつてとは真反対の方向へ歩き出しているのだから。
もう「情けない」としか言いようがない。
そういう輩(やから)は「さっさと死ね!」としか言えない。
そして自分は「のうのう」として生きている。
そういう私を、私は許せない。
「許せない」と書きながら、「許せない!」と呟いているのも、「許せない」対象も、どちらも私自身なのだから、私はどうすれば良いのか。
うさばらしでわけのわからないことを呟いてすみません。