私は高2の秋、交通事故に遭った。
修学旅行が直前に迫っている時だった。
その日の夕方、教室で誰かが持ってきていたマンガを読んでいた
そろそろ帰ろうかな、、
という場面
私の記憶はココまでだった。
気づいたら病院のベッドの上
意識が朦朧とするなか聞こえる母の声
駆けつけてくれていた友達の声が聞こえる
代わる代わる手を握りしめてくれている
その感覚は未だ残る。
「今夜が峠です」
「覚悟して下さい」
親友や家族にはこんな言葉が伝わった。
心配をかけてしまったな、、ゴメン
あの時を振り返るといつも思う。
骨折骨折、右足骨折、
右足甲からの出血多量、ここは皮膚移植している
若さゆえの回復力か、無理矢理2ヶ月で退院
どうにか留年は免れた
多少足の長さが違うようで、一応後遺症も認定されたのかな?あんまり覚えてない
だから後遺症は無いと言えるし、五体満足
※足の形が変で履ける靴は限られる、移植跡や大きな傷があって海には行けなかったりするけどね
側から見るとまさかこんな経験してたなんて思うはずもない
フラッシュバックはなく、
あの時の記憶は未だない
私はまだ乗り越えていないのかもしれない。
でもなんで私が?
なぜ事故に遭い
生き続けることに選ばれた?
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日航機墜落事故から今日で34年。
いつ何が起こるかわからない日々に
悲しみは誰もが持っています。
その悲しみは誰かに話したり
周囲に助けを求めたりして下さい。
悲しみには力があります。
将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。
byスティーブ・ジョブズ
点でバラバラなものも繋げると線になる
一日一日を大切に
今を精一杯生きよう
SHIZUKA