僕のいた大学では「学生百人一首」なるものを毎年募っているらしく、新聞の社説欄なんかでときどき話題をかすっている。
学生時分には視界にも入ってこなかったが、言われてみれば昔、学生課がそんな冊子を配っていたような気もする。

その社説で紹介されたものを読む限り、学生のくせになかなか感性高い作品が多いのが悔しいところ。


………

さて、俳句や短歌といえば、五七五とか五七五七七とか。

あえて形式を持たせることで言葉に奥行きを出すという不思議な技法。
不思議でいて、且つなんとなく理にかなっている気がするところに、言葉のロマンを感じてしまう。

そう考えると日本語がいかに万能な言語なのかと思い知らされてくる。

…かと思えば、外国人が五七調のない英語で作ったやつでも、それを俳句と言い張れば俳句になるらしく、…よく分からん。
英語で五七調はそもそも無理だろうが、素直に首を縦に振れないのは、日本産の魂がそこにあるゆえか。


しかし、日本にも五七調を無視した『自由律』なる形式が存在する。

………

先日、本屋で“自称”自由律俳句の句集を見つけた。

中身は一見、芸人のネタ本のようでもある。
どこか惹かれるものがあったようで ついつい買ってしまった。

読み進めていくと、なかなか面白い。そして妙に切ない。


『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎)


本の帯には、
「センチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句 四百六十九句。」…と書かれている。


そう、この本のタイトル自体が収められた「句」の一つ。

どんなもんか、他の句も少し紹介しちゃおうか。


‥‥‥

§トラックが右に曲がると言う

§二十年ぶりくらいに石を投げる

§雪になり損ねた雨で濡れる

§夜の雲のスピードが尋常ではない

§風呂桶の中で膝ばかり見る

§単三電池握りしめて単三電池を買いに行った日

§独りだから静電気を無視する

§野菜くらいは切れそうな風の音

‥‥‥

ってな具合。

あれ? ダメ?
俺、読んでて目が潤んじゃったんだけど。

う~んダメかぁ…。