先日のCAPワークショップ参加から、
自分の備忘録として。
時々テレビで聞く
いじめ自殺のニュース。
本当につらい。
ワークショップでは、こうした痛ましい結末も
もしかしたらCAPプログラムの訓練で減らせるのではないか?
そんな可能性についてのお話もありました。
CAPとは、
子どもが誰でも持っているが、
まだ芽生えていない隠された能力、個性、生命力、気質、
そいういった内なる力を
・知識(をつける) ・情報(を与える) ・スキル(を習得させる) ・力を信じる
という働きかけを通して表に出していこうという考えらしい。
暴力は言うまでもなく、力の強いものから、力の弱いものへと働きます。
力は腕力だけではなくて、社会的地位やら数の力、知識なども力です。
力 > 力 > 力 > 力
この場合、右へ行くほど弱くなります。
弱い立場にいる子供の力が、少しでも大きくなれば
それだけ暴力に遭いにくくなるので、
子どもに働きかけて自衛力を高めるぞ!という考え方です。
るなこ(2)とトントン(0)のために、受験生ばりに前のめりで勉強してきました
いじめられて負けてきた子供にたいして、親が
「情けない。もっと強くならなきゃだめだ」
「やられたらやり返してきなさい」(男性に多いパターン)
なんていうシーン、時々話に出てきますが
CAPの考えでは、こういった対応は間違いだそうです。
やられてやり返したら・・・またやられるだろ!!!
っていう話です。
暴力のループで、結果的に傷つくだけになってしまうということでした。
暴力に傷ついた子供のきもちは
苦しい。悲しい。さびしい。つらい。心が痛い。
という状態です。
これは茨城でいじめを苦に亡くなった中三の女の子の日記にあった記述です。(ネット引用だけど)
十年ちょい生きただけの、これからっていう子が最後にこんな思いを抱えて亡くなったなんて本当にやるせないです。
きっと心の優しい子だったんだろうなあって想像しています。
苦しい。悲しい。さびしい。つらい。心が痛い。
こんな気持ちでいる子供にまず
「やれらるのが悪いんじゃない」
「暴力をふるう方がわるいんだ。あなたは悪くない!」
と知っていてほしい。
NO・・・「嫌」と言う
GO・・・逃げる (逃げる勇気!)
TELL・・・相談する
先生
「子どものころからずっと、染み込ませるように子供に伝え続けてください。そうすれば小学校高学年、中学生くらいになっていじめられた時に 『自分は悪くないんだ』って思える。そのための基礎になる。」
プログラムの中で、特に大切だなと思った部分でした。
大津のいじめ事件でも、茨城の女の子でも、
いじめられていた子ってきっとすごく優しい子だったんだろうなって
いつもそう想像して思い出しています。
「よこせ」って言われたら、自分が使いたかったスコップでも
ぐっと我慢して貸してあげるんじゃないかな。
私も自分自身、るなこに対してそうだったけれど、
被害者の落ち度ではなくって、
日本全体の「優しさ教育」のような他者優先の空気を
絶対のもののように刷り込んでいく感じが背景にあると思う。
自分の本来の気持ちより、他者の気持ちばかり優先しすぎるところは
今の子どもたちの世代では処世術のような側面があるけど、
そこを起点にするよりももっと前に
自分の心が「いやだ」「怖い」って言ってる時、
そんな気持ちに素直になって、言葉にして、断ったり、逃げたり助けを求めて相談したりできたらって思います。
亡くなってしまった子供たちの無念から、何かどんな小さなこと1つでも
社会なり下の世代なりに学んで定着させることがないと浮かばれない気がする。
「いじめられても、あなたたちは何も悪くないんだよ」「いじめた方が悪いんだよ」
っていう単純なことだけれど、私も子どもたちに染み込んでいくよう伝えたいな。
子どもの頃からずっと
「亡くなった〇〇ちゃんの分も生きる」とかいう言葉に疑問しかなかったというか
「余計かわいそうやんけ!!!」
とか斜め上の気持ちがあったのですが
大人になってからようやく 「少しわかる」 というところまできました。
子どもたちにはおしなべて、上の世代でつかみ損ねた「正しさ」みたいなものが引き継がれてほしいです。
いじめや暴力に亡くなった子供の心の一部の行き先が、そこにあるような気がするのです。
それにしても!!
ニュースになるような自殺事件の場合、だいたい被害者が助けをもとめてるんですよね…。
それも一回とかじゃなく、担任に何度も何度も相談したり、伝えてるんだけど、
その「TELL」がものすごくスルーされててね。ほんまクソですわ。