ここ数年の間に見聞きしたニュースの中で

一番心にズンと来たのは、

欧州を目指しトルコの沿岸からギリシャへ向けてゴムボート一隻で漕ぎ出す難民が後を絶たない、

というニュース。

 

映像で見たのは、

海に浮かぶゴムボートに、

人がすし詰めになって乗っている様子。


確かに海の向こうに陸は見えるんだけど、

そんなボートで絶対無理だよ!!というような光景だった。

 

実際に着岸は厳しく、途中で船が沈んで

乗っていた人がみんな溺死してしまうケースも多く、

犠牲者の中には2歳の子供もいた模様だと

小さな靴が浜辺に片方映っていた映像が衝撃的すぎでした。

 

転覆もなくギリシャに近づけたボートも、

ギリシャの沿岸警備隊に追い払われたりするのだそう。

 

ギリシャ、鬼かよ!!

 

と一瞬思ったものの、場所を日本に置き換えて

日本海沿岸に大量の異国の難民が毎日押し寄せて・・・

って考えたら、みんなはるばるよくきましたね!もう大丈夫ですよ!!

って気持ちになるのかはたして、

いや厳しいかも・・・。

 

たまに北朝鮮籍?の漁船が餓死した人を乗せたまま

日本海側の浜に漂着してたなんてニュースを聞くと

お気の毒だなと思うし、生きている間に日本につけば

餓死することはなかったのになとは思うけれど。

それが毎日で桁違いの人数だと


人命<自分の身の回りの治安 


って気持ちになってしまう自分、

一円の難民寄付支援もしてない自分だって

ギリシャの沿岸警備隊と変わらない。

 

たまたまシリア人に生まれたっていうことと、

たまたま日本人に生まれたっていうこと以外、

基本的にお互いの命に何の違いもない。

 

中学の頃に英語の授業か何かで


「世界が100人の村だったら」

 

というやつをちょっとだけ教わったけれど

その結論が

 

「あなたは心の底から歌い、魂の底から踊りなさい」

(全文を読んでいないかもしれないので、違っていたらごめんなさい)

みたいなのだったんで、

 

「え、助けに行きなさいとかじゃないのか・・

誰かが飢えていても自分は自分!ってことなのか?」

とモヤっとした。

 

でも結局、教科書に『何を置いても助けに行け』と書いていたとしても

自分の子供に「困っている人を助けようね」

と教えていたとしても、

私は自身がUNHCRに登録するでも

ギリシャ政府に嘆願書を送るでもないのだから

考えてもたどり着くのは「100人の村」と同じように


今自分の手にある自由と命を使い尽くして

全身で生きる喜びをかみしめよ!

 

っていうことなのかも。

 

トン吉も1歳半をすぎて、靴を履いて歩くようになってきたので

浜辺に打ち上げられていた小さな片靴のことが

ちらっと頭をよぎることがある。

 

この問題について何にもしないくせに、って自分でも思うけど

思い出した時くらいは、まじめに考えたいなと思う。

本当にそれだけだけど。