先日、保育士試験合格仲間と話をしていました。

震災の時の話です。


私は犠牲になった人たちの中でも、

津波に流された幼稚園バスの子どもたちのことや
避難が遅れて全校生徒ほとんどが亡くなった小学校の話をよく思い出します。


そして子を亡くした親の気持ちを思うのと同時に、

もし自分がその時に保護する立場の指導者だったら
どんな行動を取っていたのかなと時々考えます。

そうしたら、自分も実際の悲劇と同じように
子どもたちを救えず一緒に死んでいたのかもしれないな、という気がしました。

 
子どもを見捨てて逃げた疑惑の先生などは、もちろん言語道断ですが

地震に限らず災害時にどんな行動が命を救うのか

集団をまとめる先生の果たす役割は大きいと思います。

 
 

そんな話をすると他の人が、

「てんでんこ」という言葉を教えてくれました。

  

周囲の者をかまうより各自てんでんばらばらに逃げなさい

  

という意味だそうです。

 

ウィキペディアにも詳しく載っていましたが、

1993年に奥尻島を襲った津波で一緒に避難していた母子3名が、

途中に祖母の家に立ち寄ったわずかな時間差のために犠牲になったことがあり、こうした悲劇を防ぐためにも、

災害時は「まずは自分の命を守るべき」という意識と理解とを広めるための標語なのだそうです。

 

また、このケースでは祖母は先に避難していて無事だったそうですが

先に避難して生き延びた人が、逃げ遅れた人に対する罪悪感に

苦しめられすぎないようにするためにも

「てんでんこ」の標語は意味があるそうです。

たしかに、このお祖母さんは辛かっただろうな、

自分をかまわず、「てんでんこ」で逃げていてくれていたら、

と思ったに違いないと思うのです。

 

東日本大震災の時にも、

夫婦と祖母で避難中の三人のうち、祖母が転倒してしまったが、

振り向くと津波がすぐそばまで来ていたので引き返せなかった、

「母のところに戻らず、妻の手を取って走った」と話していた男性がいました。

悲しいけれど、絶対に正しい判断だったはずです。

助けに戻ったら、このご夫婦も助からなかったかもしれない、と思いました。

  

一刻を争う際に、誰かと一緒に助かりたいと思ってしまったら

 

・どこへ逃げるか

・どうやって逃げるか のほかに、

・誰かを助けるか

 →その人はどこに?

  →どうやって助けるか?

   →その人を助けてどこへ逃げるか

 

これだけ考えないといけませんが、

てんでんこという言葉と、この言葉の意味することを

みんながあらかじめ知っていれば

  

・自分がどうやって助かるか(どこへ、どうやって)

  

だけを考えれば良いので、

命を分ける一刻に「迷い」の時間が減らせるのでは、と思います。

 

この「今」、即座に避難しなければいけなかったとしたら、

私は娘だけ抱いて逃げます。

仕事中の夫を探しにいかずに。

 

今日、ホタルくんが帰ってきたら

ホタルくんにも「てんでんこだよ」と言っておこうと思います。

私たちがだめでも、ホタルくんには自分を責めないでほしいし、

恨みっこなしでてんでん逃げようねーと、あらかじめ言っておかなくては。
 

話を戻して、私がもし

災害時に子どもたちを率いる先生だったりしたら。

 

災害時に「各自逃げなさい!!」なんて言って

助かった子、助からなかった子がいたとして

助からなかった子の親にとっては

「各自逃げなさい」と叫んだ私の判断は間違っていた、

となるんじゃないかと想像します。

 

震災後のテレビで、大川小学校の当時の様子として

裏山に避難するという話が出たが

避難中に子どもたちが裏山で怪我でもしたら・・・

という意見が出て裏山への避難は躊躇された、

という話を聞きました。

 

裏山に避難しなかった理由はそれだけではないけれど、

子どもたちに怪我をさせることを心配したことも理由のひとつなんだと思います。

だって、あんな津波がもし来なかったとしたら

裏山に避難して子どもが怪我でもしたら

「裏山避難を提案した先生はどいつだー」って

怒鳴り込みにくる親いるだろうな・・・って私でも思うので。

私が先生でも、それが恐くて躊躇してしまったと思います。

先生を擁護するわけではないんだけれども、

「てんでんこ」の意識がまだまだ学校では通用しない気がするので

本当に難しい決断だと思います。誰か教えてー。

 

私がその時保育士だったなら、

園児に「てんでんこ」なんてとてもまだ無理なので

先生が指示引率するほうが助かりそうです。

でも、小学校も高学年になれば、

中学生以上ならば・・・と思えてきました。

 

韓国のセウォル号事件でも「その場待機」のアナウンス通りに

じっとしていて亡くなった生徒のお母さんが

「先生の言うとおりに行動しなさい、と教えてしまった」

と嘆いていたのをテレビで見ました。


「先生の言うとおりに」って、日本人にも当たり前のことで

これを教えないと普段のほうが収拾付かなくなりそうですが

緊急時には例外で「避難の時はてんでんこ!」が

学校でも、保護者の間でも合言葉になれば

今回の大川小学校の津波被害の教訓を生かせるんじゃないかな。

 

「てんでんこ」がもっともっと広まって

日本での災害時共通認識になったらいいなと思います。