USJに行ってきました。
といってももうだいぶ前なんです。
2月だったんです
私はどうもブログに書きたいと強く思うこと、
それこそSランクに書きたいと思うような内容を
大事にしすぎて書きそびれるということが
とても多いです。
その時撮った写真そのものが
記録だと思っていたり、
ブログと並行して
紙の日記も細々と書いていたりするので
「消えてなくなるわけでなし」
と思ったりしますが、
写真を保存しているPCが壊れたり
USBがバチッと静電気で逝ってしまったりしたら、
また、
紙の日記はたまーにムショーに恥ずかしくなって
「うわあああああ」となって捨ててしまうので
結局私の持てるいろいろな記録媒体の中で
意外と一番残っていそうなのがブログなんじゃないか・・・
ということに最近気が付き始めました。
なので、やっぱりどんなに遅れようと
忘れたくないことはブログにもきちんと残しておこうと思います。
人の中にある器というと
その人の心の広さ 寛大さを示すものですが
そういう意味ではなくて
ただ思い出を入れておく容器としての自分の脳に
最近とても不安を感じています。
ものすごい勢いでいろんなことを忘れ続けている感じがします。
なんなんだよー。
この写真は、二枚とも暗い感じで(夜だし)
USJの写真としてピックアップするには
あまりにも微妙ですが写真を撮った時、
私はこの景色を心から素敵だなと感じていたので
今見てもじーんときます。
この空間の灯りの一つひとつが
小さな人間が頑張って他の人間を
楽しませよう、喜ばせようと思って造った物なんだなあと思いました。
樹もどこかから持ってきて植えたものだし、
岩壁とか池も運んで来たり掘ったりして作った偽物だけど
本当に優しい虚像です。
誰かが
『USJはパーク内から外の道路が見えてしまうところがダメだ』、
と言っていたのですが(真ん中の橋のところです)
それすら愛おしかったです。
サンタクロースがいるという前提で話を合わせる親とか、
子供のバレバレのサプライズみたいでいいなって思いました。
もし本当にサンタクロースがいたら。
もし小さな子供が完璧なサプライズをやり遂げたら。
『本物』だったらかえって台無しになってしまうことって
あると思いませんか